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2011-06-25

「部下に任せないとダメだ」と考えさせられる一冊(その2)



小倉 広著『任せる技術』を読み進んだので前回に続き感想と思ったことを書こうと思う。

小倉氏は CHAPTER 3 任せる、と伝える の中で、「人生のビジョンがない部下には任せられない」と書いている。仕事を任せる時には部下に自分からジャンプさせ選ばせる。しかし、そうするためには絶対に必要な条件があり、それが、自分なりの「判断基準」を持っていることだという。そして、その「判断基準」が長期的な「人生のビジョン」であることが必要というのだ。

【CHAPTER 3 「任せる、と伝える」 より引用】
部下の立場に立って考えてみよう。上司から仕事を任せたい、と申し出があった。どうやら今よりも仕事が増えそうだ。しかし、すぐに給料が上がるわけではない。目先の損得だけを考えれば、これは間違いなく「損」だ。

「給料が上がるわけじゃないないし、だったら面倒だから断ろう」

このように考えるのがごく普通の判断というものだろう。しかし、もし、彼に将来の夢があったならどうだろう。例えば独立して社長になりたい。もしくは他社からスカウトが来るようなプロフェッショナルになりたい。そんな夢があったら、きっと判断は変わるに違いない。

「将来独立するためには、この経験はプラスになる。自己成長のために是非やらせてもらいたい。」そのように答えが変わってくるだろう。
【引用終わり】

小倉氏は組織人事のコンサルタントだったからこう書いているが、この話しはソフトウェアエンジニアにも全く同じように当てはまる。

ソフトウェアの開発効率や品質を高めるためには、高度なスキルを学んだり、自動化のシステムを構築したり、アーキテクチャを見直したり、プロセスを組み直したりするため一時的に仕事量が増える。日々忙しいのなら、さらに忙しくなるということだ。

ソフトウェアプロダクトライン(ソフトウェアの再利用戦略)もそうだが、最初に再利用資産を構築する際には通常の作業よりも1.5倍くらいは軽く工数も時間もかかる。それを乗り越えて「今やろう」と決断できなければ、その先開発が楽になることはない。エンドレスの悪循環が待ち構えている。

エンジニア個人やプロジェクトにスキルアップや新しい取り組みを進言するとき、必ず聞かれるのは「それをやるとどれくらい工数や時間がかかるのか」だ。目先の損得だけで判断されると大抵は辞退される。だからこそ、エンジニアとしての将来の夢を語りたいのだが、なかなか自分自身がエンジニアとしてどう成長したいのかを頭に描いている人はいない。

新人は夢があっていいのだけれど、職場に配置されて1年もたつと、夢を語らなくなる。上記の引用のように、夢のないエンジニアに仕事を任せても成長のスピードが遅い。

本サイトでよく読まれ低r記事「問題解決能力(Problem Solving Skill):自ら考え行動する力」の「どうせどうせ子ちゃん」や「評論家君」が多く、「問題解決キッズ」が少ないのだ。

小倉氏は、『任せる技術』のなかで「世の中には、明確な人生のビジョンを持ち仕事に取り組んでいる人は1割に満たないと思う。これまで3万人の管理職に研修や講演をしてきた僕の実感値では、1~2%がいいところだろう。」と言っている。よって、上司は部下が自分の人生のビジョンを描くお手伝いをする必要があり、そのためには定期的な面談が欠かせないと書いている。

【CHAPTER 3 「任せる、と伝える」 より引用】

■ビジョンなし、なら今に集中
実際に部下と人生のビジョンについて面談するとわかることがある。それは何度質問を繰り返してもビジョンが見つからない部下がたくさんいるということだ。これまで彼らは「ベキ論」に縛られて生きてきた。だから突然、「どうしたい?」「どうなりたい?」と聞かれるとうろたえてしまうのだ。「やりたいことが見つからない」。そういう若者が増えているのだという。では、僕たちは彼らに対してどう接すればよいのだろうか?

これまで言ってきたことと矛盾するようだが、僕はその場合は、ムリしてビジョンを描かなくてもいいと思う。今、目の前にある仕事に120%集中するよう導いてあげればいいのではないか。

キャリア・ドリフト理論という考え方がある。キャリアはデザインするものではない。偶然に出会うものだ、という考え方だ。ただし、そのためには条件がある。今、目の前にある仕事に120%集中することだ。「自分には向いていないかもしれない・・・」などと言わずに、その仕事に集中するのだ。そのときに初めて偶然が、幸運が訪れる。
【引用終わり】

「明確な人生のビジョンを持ち仕事に取り組んでいる人は1割に満たない」というのは悲しいことだ。そうなっているのは、人生のビジョンを描く訓練をしてこなかったからだと自分は信じたい。「ベキ論」に縛られることなく、やりたいことをやるにはどうしたらいいのかを考え、実行し、ダメだったらなぜそうなったのかを反省するそれを繰り返していけば、人生のビジョンを描けるようになると思う。

本当ならば、それを学生の時代に訓練しておいて欲しいのだが、その訓練をする機会もなく社会で出てしまった人達は大勢いる。だから、上司は部下に仕事を任せなければいけない。

【CHAPTER 3 「任せる、と伝える」 より引用】

■任せる、とういことは、自分の違うやり方に異を唱えないこと
任せた以上は、自分と違うやり方を許容しなくれはならない。
「オレだったらこうするのに・・・」
「そのやり方をすると後で必ず問題が起こるぞ。あ~。やっちゃった・・・」
そう思ったとしても、部下のやり方に異を唱えてはいけないのだ。失敗することも含めて部下に経験させなくてはならない。それが本当の意味での任せる、ということなのだ。
【引用終わり】

もう一つ、重要な教訓。

【CHAPTER 4 「ギリギリまで力を発揮させる」 より引用】

■相手に矢印を向ける人は成長しない
先にお伝えした通り、上司が持っていた仕事を部下に任せると、部下には大きなストレス負荷がかかる。能力以上の仕事にチャレンジする部下は思い通りにならない仕事にイライラを感じるのだ。これを心理学の言葉では認知的不協和と呼ぶ。

これは前にも説明したが、そのイライラを解消する時に常に選択肢は二つある。一つは自分に矢印を向ける方法。つまり、問題の原因を自分にあると考え、自分を変えることで問題を解決しようとするアプローチだ。これを選ぶ部下は成長していく。仕事を任せたかいがある、というものだ。

しかし、もう一つの選択肢を選んだ場合はそうはいかない。それが他人に矢印を向けるという方法だ。
「目標達成できないのは不景気のせい」
「期限内に提出物を出せないのは、仕事の量が多すぎるから」
「チームの目標達成率が低いのは、人員を補充してくれない人事部のせい」

そうやって問題をすべて他人のせいにすることで自己正当化する。自分は悪くない、悪いのは他人だ、と言って必死に自分を守るのだ。

当たり前にことではあるが、このタイプの人は成長しない。自分は変わる必要がない。すべては他人が悪いと思っているからだ。
【引用終わり】

相手に矢印を向けずに、「自分に矢印を向ける」ように指導する、これが難しい。どうすればいいかを考えるのも自分の仕事だ。

2011-06-12

「部下に任せないとダメだ」と考えさせられる一冊


いま『任せる技術』という本を読んでいる。プレイングマネージャを自負している方には是非読んでいただきたい一冊だ。まだ最初の方だけしか読んでいないが、とても心に響いている。

【CHAPTER1 ムリを承知で任せる より 引用】
そもそも部下の仕事とは「今日」の食いぶちを稼ぐことにある。一方で上司の仕事とは「今日とは違う明日」をつくることである。例えば、業務フローを標準化し改善する。営業戦略を立案し実行する。未来のビジョンを策定し部下を勇気づける。部下育成をする。これまでとは違うやり方を示し、より良い未来へ踏み出すのだ。

部下の仕事を奪っている上司は、これを怠っているということになる。目先の忙しさにかまけて本質的な上司の仕事を一切していないことになるのだ。先に掲げた「高い給与で部下の仕事を奪うこと」が目に見える損失だとすれば、「今日とは違う明日」づくりを放棄するということは目には見えない大いなる損失と言えるだろう。
【引用終わり】

耳が痛い。著者の小倉広氏は組織人事コンサルティング畑の方で、エンジニアではないが、技術者の上司と部下も同じことが言えるだろう。

小倉氏は上司が部下に仕事を任せない理由として次のようなことを挙げている。

  • 部下に任せて失敗することを恐れている。上司の責任になってしまうのが恐い。
  • 部下に任せることで仕事の質が下がり、部署全体の業績が下がることを恐れている。
  • 部下に任せるためには手取り足取り教えなければならない。自分がやった方が早い。
  • 部下に教えられるほどにノウハウが整理体系化されていない。
  • 口べたであり、うまく部下に教えることができない。
  • 部下が自分の仕事が増えることを嫌がり、場合によっては任せられることを拒絶する。
  • 仕事を部下に任せることにより職場にストレスがたまり雰囲気が悪くなる。
  • 部下に仕事を任せることで、上司が楽をしているのではないかと疑われるのが恐い。
  • 上司自身が忙しくなることに快感を覚え、仕事を部下に渡したくない。
  • 部下に任せることによるわずかな品質低下が許せないほどに上司が完璧主義者である。
  • 部下に仕事を任せたいと思っているが、何をどこまで任せていいのかわからない。
まさに図星だ。自分の場合「部下に任せることによる品質低下が最終的に顧客満足を低下させることにつながらないか?」という恐怖が強い。しかし、そのことは自分が戦列を離れたときの顧客満足度の低下については考慮していないということになる。

「自分がいなくなったら?」「そんなことは知ったこっちゃない」ということになり、きわめて自己中心的であり、組織力を弱体化させ、結果的には顧客満足も下げてしまうことになりかねない。

【CHAPTER2 ムリをしなければ脳の筋肉はつかない より引用】
「小倉さん、今の仕事にやりがいが感じられないのです。転職すべきかどうか迷っています。アドバイスを下さい」と言うのだ。なぜ、やりがいがないの? と聞くと返ってくる答えは2種類に大別される。

1つ目は「今の仕事が自分には向いていない」というものだ。例えば営業をやっている人は自分には営業は向いていない、と言う。本当にそうであるかは大いに疑問が残るのだが。

2つ目の理由は、「上司や会社に問題がある」というものだ。職場に問題があり、上司に直訴しても変わりそうにない。だからあきらめて転職する、と言うのだ。

僕はその2つを聞くたびにこう思う。

「その状態でどこへ転職しても、絶対にやりがいは見つかりませんよ」と。

「やりがい」とは、楽ちんな仕事を通じては手に入らない。「やりがい」は壁を乗り越えた向こう側にあるものだからだ。決して壁の手前にそれはない。様々な障害やつらさを乗り越えたときに初めて僕たちは「やりがい」に出会い、それを手にすることができる。しかし、先に相談してくる人達のほとんどは壁を乗り越える前に逃げ出そうとしている人ばかりだからだ。
【引用終わり】

部下のモチベーションは維持しなければいけないし、ムリもさせないと基礎体力がつかない。自分自身は若いことムリをした経験がある。今の若い人達には「ムリをさせろ」ということ自体がムリという人がいるが、小倉氏が書いていることはその通りだと思う。障害やつらさを取り越えないで「やりがい」に出会えることなどない。

【CHAPTER3 部下が失敗する「権利」を奪うな より引用】
失敗が喉の渇きを引き起こす

なぜ人は「任される」と育つのだろうか。

もちろん答えは一つではない。任されるから主体性が育つ。任されるからモチベーションが高まる。任されるから期待が伝わりそれに応えようとする。様々な要因があげられるだろう。

しかし、それらの中であえて一つを選ぶとするならば、僕は真っ先に「失敗の経験」をあげるだろう。つまり「任される」ことで初めて「失敗」を経験し、「失敗」により人は多くを学ぶのだ。「失敗」すれば痛みが伴う。そのとき初めて人は「失敗したくない」と心から思う。「うまくできるようになりたい」と切望する。つまりは、うまくやるための方法という「水」を求めて「喉が渇く」のだ。

そして様々な「試行錯誤」を行う。自分の頭で考えて「工夫」する。やがてうまくいくやり方を見つける。そこで見つけた方法をゴクリと飲み干すのだ。そうして全身にそれをしみ渡らせる。それを繰り返すことにより体で覚えていくのだ。
【引用終わり】

この話を、ソフトウェア開発の世界に投影してみると、何しろ今は「失敗させる機会」が少ない。「渇きを引き起こす」だけの「失敗の経験」を与える機会がない。また、ソフトウェアは失敗作でも一見動いてしまうこともあり、それが失敗であると気づかずに先に進んでしまうこともある。

さらに、大規模プロジェクトでは自分の作ったソフトウェアに失敗(=バグ)があることを自分ではなく、後工程のメンバーが見つける責務を担っていることもある。作りっぱなしで失敗を見つけるのも他人という環境では渇きが起こらない。

自分の場合は「渇き」は「今よりも美しいソフトウェアを作りたい」「より楽に、より高品質で、クリエイティブな仕事がしたい」という気持ちから生まれていたと思う。

「失敗の経験」により「渇きを引き起こす」ためには、この本のタイトルどおり任せる技術が必要そうだ。「渇きを引き起こす」どころかやる気がなくなってもまずい。

失敗しないように手取り足取り教えてしまうと任せたことにはならず、「渇き」にはつながらない。

コンピュータではなく相手が人間だとこれほどまでに物事をうまく進めるのが難しい。もっと、この本を読み進める必要がありそうだ。

2011-01-30

『課外授業 ようこそ先輩』で湯浅誠さんが言いたかったこと

深夜のサッカーの試合を生で見る元気がなく、朝起きてから結果を見ようと思ってテレビをつけたらたまたま、NHKで『課外授業 ようこそ先輩』をやっていてついつい見入ってしまった。

【番組ホームページより】
さまざまなジャンルの第一線で活躍する著名人が、ふるさとの母校を訪ね、後輩たちのためにとっておきの授業を行います。授業は通常2日間、リハーサルなしの真剣勝負です。内容や仕掛けは、先輩によって実に多彩。人生で得たこと、創造の秘密、専門分野の面白さなどを、独自の方法で解き明かします。そんな先輩の思いがこもった授業を、子どもたちはどう受け止めるのか?そこには毎回、思いがけない発見と感動があります。1998年に番組がスタートして以来、これまでに400人を越える先輩が、母校の子どもたちに熱いメッセージを送ってきました。

今回の先生役の有名人、どこかで見たことがある。芸能人ではない。誰だっけと思い出していたら、やっと思い出した。2008年12月社会問題化したいわゆる「派遣切り」への緊急対策として、開設された「年越し派遣村」の村長、湯浅誠さんだ。

かつて、湯浅さんが有名になる前、TBSラジオの夜PM10:00からやっていたアクセスのゲストで来ていたときに反貧困ネットワークでの活動について聞いたことがあった。

この人の学歴がすごい。
1988年 武蔵高等学校 卒業
1989年 東京大学教養学部文科I類 入学
1995年 東京大学法学部 卒業
1996年 東京大学大学院法学政治学研究科 入学
2003年 同大学院博士課程 単位取得退学

詳しくは Wikipedia を見ていただきたいのだが、以下の一節だけ読んでもすごい経歴だ。
東京都小平市で、新聞社勤務の父と小学校教諭の母の間に生まれる。1988年に武蔵高等学校卒業後、1浪して東京大学に入学。児童養護施設のボランティアや映画鑑賞にのめりこんで授業にはあまり出席していなかったが、5回生の夏に一念発起し学者を志して勉学に集中、一時的にボランティア活動から離れた。
さてさて、肝心の『課外授業 ようこそ先輩』の内容に進もう。


2011年1月30日 「目を向ければ 見えてくる!?」 東京都小平市立小平第十三小学校
湯浅誠 (「反貧困ネットワーク」事務局長)

まず、最初の授業はクラスのみんな(たぶん6年生)に自分の宝物を持ってきてもらい、どんな宝物なのかを説明してもらっていた。ある子供は地球儀をある子供はオカリナや写真をある子供は水筒(病気で頻繁に水分補給が必要とのこと)を持ってきてみんなに説明する。

この授業は何のためにやっていたのか。この授業には湯浅さんの明確な意図があった。それは「他人には分からなくてもその人にとっては大事なもの」が存在し、なぜ大事なのかはその人にしかわからないということに気がつかせるということだった。自分では分かっている自分の宝物の意味が他人には分からないことに気がつかせ、一見理解できない他人の宝物が大切な理由を聞いて理解させる。

つぎに湯浅さんは3人の大人の方を一人ずつ呼んで、クラスのみんなに「この人は一体誰か」を当てされる。3人とも学校で働いてる方だ。

種を明かせば、一人目は給食のおばさん、二人目は校庭の芝部を手入れする芝生キーパーさん、三人目は警備員さん。

一人目の給食のおばさんはいつも割烹着を着てマスクをしているため、誰も当てられない。警備員さんは多くの子供が当てた。

この授業の意図は制服を着ているとその人の制服から想像される役割だけに注意をとらわれてしまうということを示したかった。制服を脱いだ一人の個人には役割から離れた個人としての人格があり、それに気がつかなければいけない、その人個人に関心を持って欲しいと湯浅さんは言いたかったのだ。

三つめの授業は、班に分かれて普段気になっている街の人達にその役割ではなく、その人の人生を聞いて見ようというもの。社会科見学はその人やその施設の役割を聞くが、これは社会科見学ではなく、一人一人の人格に向き合ってみようという授業。

農家のご主人に宝物は何かと尋ねると「それは奥さんかな」と答え、奥さんを呼んできて奥さんにも同じ質問をすると「このおじさんよ」と答えた。ご主人は「僕らには子供がいないので、そう答えるのかもしれない」「君たちのお父さん、お母さんに聞いたら、宝物は君たち」と言うかもしれないねと語った。

モヒカンヘアの和菓子職人は、若い頃バンドをやっていて今でも音楽が好きで、今は和菓子職人を継いでいるのだと語り、交通指導をしてくれているボランティアのおじいさんは戦時中に使っていた飯盒を宝物として見せてくれた。

授業の最後に湯浅さんは自分の座右の銘「見えないことは無視につながり、関心は尊重につながる。」を黒板に書いた。

日本の貧困問題に対峙することで生まれたポリシーかもしれないが、自分の周りでも起こりうることのように感じた。不具合を起こすソフトウェア、調子を崩すエンジニアの気持ちが見えない、いや見ようとしないことで無視することにつながり、直近の納期や売り上げだけを気にして行動する人達があまりにも多くないだろうか。

湯浅さんが言いたかったのは、偏見の排除だと思う。昔、妹尾河童の『少年H』を読んで、戦争中に威張っていた学校の先生が戦争が終わったとたんに180度態度が変わった部分を読んで、制服の威厳を笠に着るのは絶対にやめよう、自分自身の内面、中身で勝負しようと思った。

ようするに肩書きが外されたときでも、態度を変えられないようにしよう、態度を変えるような人と接するときは注意をしようということだ。

『課外授業 ようこそ先輩』を見て、見えないものを分からないといってそのままにしない、その人の制服、役割ではなくその人個人に関心を持ち尊重することの重要性を再認識した。

2010-07-04

人財と人罪

あるセミナーでおもしろい図を見た。「じんざい」を四つの象限で表した図だ。縦軸はモチベーション、横軸はスキル。

  1. モチベーションが高く、スキルもある場合は組織の財産という意味で人財
  2. スキルは高いが、モチベーションが低い場合は単なる材料という意味で人材
  3. モチベーションは高いがスキルが低い場合は、居るだけだから人在
  4. モチベーションも低く、スキルもない場合は居るだけで罪だから人罪



もう一つの図。会社がリストラの必要性に迫られたときに、誰を残すかという指標。縦軸はビジョンを共有。横軸は仕事ができる。

  1. 組織とビジョンを共有し、仕事ができる社員は残す。
  2. ビジョンを共有できているが仕事はできない社員も残す。
  3. 仕事ができるがビジョンが共有できない者は会社を滅ぼす。
  4. ビジョンも共有できず、仕事もできない者は不要。



【楽に生きていきたいと思っていると楽に生きていけないというロジック】

  1. 楽に生きていきたい
  2. 責任を負いたくない
  3. 会社・相手に責任を転嫁する
  4. 信用が落ちていく
  1. 楽に生きていきたい
  2. 面倒は避けたい
  3. 処理が遅れる
  4. 信用が落ちていく
  1. 楽に生きていきたい
  2. チャレンジする意欲はない
  3. やれることしかやらない
  4. 信用が落ちていく
  1. 楽に生きていきたい
  2. 自分の利益が最優先
  3. 他は利用すべきもの
  4. 信用が落ちていく
結果として楽に生きていけない。依存型の人間にどのようなよい仕組みを与えても、依存型は依存型としてこれを利用する。

【自立型人材のモデル】
  1. 自分を活かして充実して生きていきたい
  2. 率先して取り組む
  3. 責任は自分が取る
  4. 自分への信用が増す
  1. 自分を活かして充実して生きていきたい
  2. 面倒なことから逃げない
  3. 処理が早い
  4. 自分への信用が増す
  1. 自分を活かして充実して生きていきたい
  2. チェレンジしたい
  3. 自ら新たな状況を作る
  4. 自分への信用が増す
自分への信用が増すことにより、楽しく充実した人生が送れる。

【コンピテンシーモデル】

職能資格制度の欠陥を払拭するために高業績者の成果達成の行動特性(業績・成果と連動した顕在的能力)を重視したコンピテンシーモデルが有効である。

タワーズ・ペリン社のコンピテンシー ※1
  1. コミュニケーション
  2. チームワーク
  3. 顧客志向性
  4. 成果達成志向
  5. 革新性/創造性
  6. ビジネス感応性
  7. リーダーシップ
  8. 自身及び他者の能力開発/育成
  9. 意志決定
  10. 順応性/柔軟性
  11. 問題解決
※1 コンピテンシーの定義の例 「継続的にその職務に求められる達成すべき最終成果責任を生み出すための効果的な行動を選択し、実際に行動に結びつけるという行動にフォーカスした能力で、しかも顕在的で他社から観察しうる行動レベルでの発揮能力」

【達成動機が強い人には成果に対するフィードバックを示すべし】

達成動機の強い人は成功報酬よりも個人的な達成感に関心を示すとともに、難しい問題に取り組んだり、解決すること自体に関心を示す。達成動機の強い人は自分たちの成果に対して具体的なフィードバックを求めることを強調している。

これは同感。解決すべき問題が部門間にまたがっているような場合、ルールやプロセスの変更が素早く承認されると達成感、満足感が生まれる。

ここまでの話し、どう考えても義務教育の学校では教えていないことばかりのような気がする。教えていないところか、正反対の依存型の人材を一生懸命作ろうとしていないだろうか?

改めて問題の根(依存型の社会人が多いという現状)は深いように思った。

2010-05-16

『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』の感想

4月に感想を送っていただける方に『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』を進呈するキャンペーンを実施した。

本を読んでいただいた yuri_at_earth さんから感想が送られてきたので紹介したいと思う。

【『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』の感想】



まず、ソースコード20例が大変貴重なものだと思いました。ベテランになった著者の方が考えて書いた初心者っぽいコードでは、実際に初心者が書いたコードははまるポイントを押さえてはいたとしても、それ以外の素人っぽさは再現できなくなっていると思うので、リアル感がよかったと思います。実際に集められる人も限られていると思いますし。

しかも、2,3例でなく、20という数がいいですね。私自身、ちゃんとした集合教育的なものを受けたことがなく、同じ課題を多数の人が書いた結果というものを実際に体験したことがなかったので、とても貴重でした。さらに、同じ人が書き直したコードが改善された例など、この部分は新人時代に読みたかった、もしくは前職で部下だった人たちに見せたかった感じです。

次にこれまでの経験をもとに素直に読んで、「プライドを傷つけないようにする」という表現が、最もなのですが(だからゆえ?)笑えました。(私があまりほかの本を読んでないのかもしれませんが)こういう内容を強調されているところが特徴的というか、現場を経験されている方ならではだと思いました。

その他、実際に見聞きされたんだろうなという例がたくさんあって、心当たりがあり苦笑するものと、組み込みだとそうなのかと思うところがありました。ちょっと話がとびますが、エンプラ系はもともと進化が早く、新しいものを取り入れたものが偉い的な風潮があり、昔ながらのやり方だとだめ的な考え方があるためか、プライドを傷つけないように新しいことを取り入れていくという考え方は少ないように思います。

どちらかというと、新しいものについていけない方が悪いというような。。。
そして、やっぱり(吸収の早い)若い人にはかなわないよねという文化だと思います。とはいえ、上司のプライドを傷つけないように導入していけば、エンプラ系でありがちな、最近の技術はわからんから若いもんでやれ的な態度で投げ出すのでなくて、協力してくれるのかも?と思いました。

実際、以前の職場のマネージャは、javaはわからんとか、最近の~はわからんとかで実装は経験が数年レベルの部下に丸投げ状態で、その結果テストが全然だったことがありました。そこで、最近の開発環境とか、はやりとかはわからないかもしれないが、テスト設計をするときの考え方は今も昔も同じだし、彼らはそのスキルがないのでテストしたつもりになっていても、実際は肝心なところがテストされていないんですよ。なので教えてくださいという話をしたら、快諾してくれたことがありました。

プライドを傷つけずに導入することができていたら、(昔は言語は違えど現場でばりばりにコードを書いていたはずの)上司が、実装はわからないと目も耳もふさいでしまうことはなかったかも?と思ってしまいました。(本題とはかなりずれてしまいましたが・・・)

最後に、今の職場の問題に対してどう対処すべきか?という目線からです。まさに現状がこの本の例にあるように、「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」状態なので、ここに書かれていることを気をつけながら導入していけばよいかな?と思ったのですが、現状でそれなりにうまく回っていて、現場的にも特に問題意識もなく、開発規模が大きくなることもなく。。。

ならば、このまま「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」のままでいるのもひとつの解かと思ったのですが、ここはどうお考えですか?
【感想終わり】

まずは、感想を送っていただいた yuri_at_earth さんにお礼を言いたい。ありがとうございました。書籍にしてもブログにしても読者が何を考えているのか、こちらからの発信をどう受けとめたのか、じっと待っていてもが何も分からない。その点、Twitter は双方向のコミュニケーションが成立しているが、やはり不特定多数の読者の深い意見を吸い上げることができない。

そういった意味でも本の感想は貴重だ。Amazon のサイトにも「とら子」さんから「日本の開発現場にフィットする品質向上策」というタイトルで『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』の感想をいただいたので是非見て欲しい。

さて、yuri_at_earth さんの感想で Part1 の20のソースコードの例が貴重であると評価していただいたのが正直うれしい。重厚なタイトルにしてしまったため、新人や初級者、上司の方達には「自分には関係のない本」と思われたかもしれないが、実は Part1 だけでも切り離して多くの初級プログラマや指導する先輩、上司の方達に読んで欲しい内容なのだ。

Part1には他の本には書かれていない人間の本質からくる危うさを具体例で示している。その危うさは現場でまともに仕事をしていくとどんどん薄れていくのでほとんどの技術者が忘れてしまうのだが、「焦っているとき」「集中力が欠けているとき」「モチベーションが下がっているとき」などに、その危うさがプログラムに出る。また、プロジェクトリーダーが確固たる設計の規範を持っていないとき、持っていてもメンバーに指導しきれていないときに、その危うさがソフトウェアシステムの欠陥となって表面化する。

その根源がどこにあるのかを Part1 では具体的に読者に知ってもらいたかった。テストでよい点を取る手順のように、あらかじめ用意されたユニットテストのテストケースをパスすることだけに注力を注いでいると、そのソフトウェアを使うエンドユーザーにとって危険なプログラムを作り込んでしまう可能性があるということをソフトウェアを作ったことがない人、昔作っていたけど今のような大規模・複雑化してしまったソフトウェアの中身を知らない人に伝えたかった。

「プライドを傷つけないようにする」というのは特に日本のソフトウェアプロジェクトでプロジェクトを成功させるためには重要なポイントだと思う。この本では「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」というキーワードを何十回も書いている。日本人がそういう性質を持っているからこそ、トップダウンでの指示よりも、プライドを傷つけないように気をつけながら導くことが大事なのだ。ちなみに、D・カーネギーの『人を動かす』にも同じようなことが書いてあるので特に日本人だけに当てはまることではないみたいだ。

yuri_at_earth さんからの「あたたかい人間関係の中のやさしい一員のままでうまくいっているので、これまでのやり方を変えていく必要があるのか」という問題提起に答えていきたい。

20年くらい前の組込みソフトウェア開発の現場は「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」でうまく回っていた。開発効率は今ほど納期が厳しくなかったのでそれほどプレッシャーが強くなかったし、最終成果物の品質もよかった。しかし、現在、自分の周りではそんなにうまくはいっていない。ひとつの製品が自分のプロジェクトの中だけで閉じなくなってきている。スタンドアロンの機能だけでは他社に勝てない、ネットワークを使った連携機能が求められるようになってきた。

そんな時代になった昨今、「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の世界で培われてきたアプローチと「創造性と個性にあふれた強い個人」の世界で体系化されたアプローチの両方を使わないと顧客満足の高い商品をアウトプットできないと考えている。

もちろん、プロジェクトの人間関係という視点では「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」のよさが前面に出ていていいのだが、大規模、複雑化したソフトウェアシステムの顧客に対する安全や信頼を保つためには「創造性と個性にあふれた強い個人」の世界で体系化された是正・予防のアプローチ等をきっちりやっていくことも必要だ。

ただし、マニュアルに書かれたようにシステマティックでなくても、大工の棟梁が失敗した職人を呼び出して説教をし、一度目は軽く、二度目は雷を落とすという、見事な是正・予防のアプローチをしていることもあるから「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」もまんざら捨てたものではない。

また、CMMIには是正を言い渡してダメ出しした後に、相手と飲みに行って「本音で話す」などというアプローチは書いていないが、上記の大工の棟梁は雷落とした後に職人を飲みに連れて行ったりする。

従って、問題提起の答えは「顧客を満足させる品質が保てているのなら今のままでよい」「それが危うくなってきたら、変わる必要がある」となる。大工の棟梁のすごいところは顧客満足のことを第一に考えていながら、職人を一人前に育てることも同時に重要だと考えているところだ。どちらが欠けてもいけないことが分かっている。でも、どんなに優れた棟梁だって100人の職人を同じように気に掛けてやることはできない。そのアプローチの有効な範囲(プロジェクトの規模)はある。

西欧と東洋の良さを融合させながら、グローバルマーケティングにアウトプットする商品が多くの顧客に満足される品質を確保するにはどうしたらいいかということを『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』には書いたつもりである。

2009-08-04

見える化、見せる化、そして、見られる化

かつてこのブログで『組込みソフトは「見える化」より「見せる化」』という記事を書いた。「見える化」というのはよくよく考えてみると隠れているものを見せたいのか、見られたいのかはっきりしない。実際の問題を抱えた現場にとって「見える化」ということばはいわばきれい事のように思える。

ソフトウェアの世界で「要求仕様が見えない」「設計思想が見えない」「アーキテクチャが見えない」「インタフェースが見えない」「どこが再利用されているのか見えない」「そのモジュールの開発やバグ取りにどれくらい費用がかかったのか見えない」といった問題が蔓延している。

かつて「見える化」より「見せる化」と言ったのは、プロジェクトサイドがポジティブに見えないものを見えるようにして、悪循環を脱するために踏みだすべきだという意味だった。

しかし、問題を抱えているプロジェクトは必ずしもポジティブであるとは限らない。いや、どちらかと言えばネガティブなことが多い。そういうプロジェクトは「見せる化」どころか「見せないように」「見られないように」さえ振る舞うこともある。苦しい内情を知られてより強いプレッシャーをかけられるよりも、現状を隠して取りあえず今降りかかっている嵐をしのぎたいという心理だ。

ただ、残念ながらこのようなアプローチを繰り返しているとプロジェクトは徐々に疲弊し、モチベーションが下がり、長期の視点で改善の活動ができなくなっていく。

そのようなプロジェクトに対して必要なのは、「見られるのが普通のこと」という状況に持って行くことだ。ソフトウェアエンジニアは誰もがある程度の権限を得ると、自分のやりたいようにプロジェクトを運営したいと思う。その気持ちは、外部から余計なことを言われないように知られたくないことは見えないようにしておこうという行動を誘発する。

そのような状態でプロジェクトを放置していくと、「やってることはやってるんだから、文句は言わせない」という非常にわがままなプロジェクトになってしまう。このようなプロジェクトに対して、問題点を指摘し是正や予防を要求するのはやっかいだ。

解決方法は、プロジェクトに常に「見られていることを意識させること」だ。どのプロジェクトもみな、同じような環境で見られているという意識が広がると、自分達の行動に自覚を持つようになるし、外部からの指摘に過剰反応しなくなる。

そういう意味で「見える化」ということばは、改善を受け入れるか、拒絶するかといった真剣勝負からほど遠い甘っちょろい台詞に聞こえる。「見せる化」は、プロジェクトの「文句あるなら言ってみろ」という自信の現れでもある。そんな自信がないプロジェクトに対しては「見られる化」を定着されなければいけない。

よっぽど強靱な精神力を持ったプロジェクトでなければ、常に見られているということが必要であり、見られているという状態は、自分達の行動に自信を持ち、責任を持つというステージに導くために役立つのである。

2009-02-23

人と人をつなぎまくると物事はスムーズに流れる

今日の話題は、『人と人をつなぎまくると物事はスムーズに流れる』というテーマで、「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という特性を持った日本人が形だけ「創造性と個性にあふれた強い個人」のシステムを使おうとするとどうなるかという一例を紹介したい。

さて、今日「TBSラジオの久米宏 ラジオなんですけど」を聞いていたら、大分トリニータの社長 溝畑宏さんがゲストに来ていて、大分トリニータがナビスコカップで優勝を遂げ、地元に定着して地域振興に貢献するようになるまでの苦労と、サッカーチームをベースにして地域振興にかける溝畑さんの熱い想いを語っていた。

溝畑さんは、東京大学法学部卒、1985年自治省(現総務省)入省、1990年大分県に出向して、役人らしからぬ強い思いで大分をサッカーで盛り上げようと考える人だ。2006年に総務省を退職して、大分トリニータの社長として身を粉にしてチームと地域のために働いている。

お父様は溝畑茂 京都大学名誉教授、お母様は放送局のアナウンサーだったそうだ。父からは「厳しい道と楽な道があったら、厳しい道を選べ」と言われ、母からは「下を向かずに上を見て目立ちなさい」と言われて育った。

若干30代中盤の溝畑さんが大分で大分トリニータの設立等を進めているときに、県のお偉いさんたちに「溝畑さん、田舎では身の丈以上のことをしようと思ったらダメなんですよ」と言われカチンときて「あんた達の身の丈はこれくらい(20センチくらい)かも知れないが、自分の身の丈はこれくらい(2メートルくらい)なんだ。そんな考えだから、地方が活性化しないんだ。」と叫んだそうだ。

その後の溝畑さんの活躍を見れば分かるように、溝畑さんは「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という特性を持った日本人の環境の中で、親から教えられた「創造性と個性にあふれた強い個人」のとしてのリーダーシップを発揮することで、閉塞した環境をブレークスルーしたと考えられる。

今、まさに不況のまっただ中でプロサッカーチームを運営するのは非常に苦しいらしい。しかし、溝畑さんは「逆境よ、ようこそ」という気持ちで、人の3倍働くことで乗り越えるつもりだと語っていた。これまでも7回ほど、もうダメだという逆境があったが、それを乗り越えることで成長してきたと言う。逆境がなければこれほど成長もしなかったと。

今回の話しは、溝畑さんの話に比べるととてもスケールの小さいちっぽけな話しだが、本質は近いところがあるように思う。組織内で問題解決のためのシステムがうまく機能せず、人と人をつなぎまくって問題を解決したという話しである。「創造性と個性にあふれた強い個人」の世界で構築されたシステムを「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」が導入しただけでは物事は流れていかないという例だ。

さて、例えば、ある組織で組織内のインフラをサポートするための部署を作ったとする。ITが発達した今日、対外的なITサポートも増加する一方、組織内のITサポートも個々の担当者レベルでは対応しきれなくなってきた。

そこで、ITサポート部隊は会社対会社で行われているようにサポート窓口(電子的な窓口)を作って、そこからいろいろなリクエストを受け付け対応するようにした。昔なら依頼書で動くところを、電子的な申し込みに対して、電子的に回答をするというシステムだ。やりとりの履歴がすべて残るので後々データを整理したりする際には便利である。

そこで、ITインフラを担当する部門に動いてもらわないと解決しない問題が発生した。いろいろな問題が絡み合っているのは分かっているが、残念ながら担当部門の中で誰が何の役割を担っているのか分からない。普段なら問題の解決についての情報を知っている人にあたりを付けて、そこにアクセスしながら情報を探り全体像を明らかにしていくのだが、今回に限って言えば誰にアクセスすればいいのか今ひとつ見えてこない。そこで、電子的なサポート窓口を使って調査依頼を出した。

後で分かったのだが、担当部門には複数のチーム(例えばAチーム、Bチーム、Cチーム)があり、今回の問題はBチームとCチームが動かないと解決できない問題だった。ところが問い合わせを受けたAチームは解決すべき問題の全容を理解していないため、BチームとCチームに相談することをせず、部門内でも電子システムをメッセンジャーとして使い、解決したい目的を理解せずに現象だけをBチームやCチーム別々に伝え、埒があかないという現象が発生した。

相手がブラックボックスの組織ならどうしようもないが、同一組織内の他部門ならもっとなんとか打つ手はあるはずだ。結局、いろいろなことを聞きまくることで、BチームとCチームが問題解決に関係していることがわかり、彼らに直面している障害を伝え協力してもらうことで問題は解決するめどが立った。

実は、この件は自分自身の直接的な業務の問題ではなかった。ある開発現場の効率を高めるために取り除く必要がある障害だった。当事者ができないことを解決する方法が分からなくてあきらめているのをみて、コーディネートしたのだ。「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の技術者は自分達の不便は自分達が我慢することで何とかなると考える人たちが大勢いる。「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」のマイナス面だ。顧客満足向上という遠くの目標達成のために、取り除くべき障害があっても、そのままにして効率の悪い状態を放置してしまうのだ。こういう状況は放置しておくと巡り巡って技術者自身の残業の増加や顧客に対するコストアップなどの不利益となって降りかかってくる。結果的に不利益が生じることをはっきり認識している訳ではないので未必の故意(※)とは言えないかもしれないが、決してほめられたことではない。
※未必の故意 - 実害の発生を積極的に希望ないしは意図するものではないが、自分の行為により結果として実害が発生してもかまわないという行為者の心理状態。
このような各部門の各技術者が抱えているちょっとしたあきらめを見つけて、誰がどこまでを認識していて何を認識していないのか、誰と誰を結びつけると解決しそうかを調査して、関係者が断片的に持っている情報を総合的に分析して人と人をつないであげると物事がスムーズに流れ改善が進む。

誰と誰をつなぎ合わせると問題を解決できるのか分かってくると、逆にどうしてこんな簡単なことで多くのことが滞っているのか、改善の機会を止めてしまっているのかが見えてきて、そんなくだらないことで立ち止まっているのかとだんだんバカバカしくなってくる。

同じ部門内の中でちょっとだけ話しをすれば解決できる問題も、システムを通すとつなぎがうまくいかなくなることがある。これはシステムを都合良く利用しながら、システムを隠れ蓑にして問題解決の勇気や義務を放棄して「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の特長を殺している人間がいるからなのだ。

システムが組織内でうまく機能しない場合は、うまく言っていない点を報告し是正を要求する。これを繰り返すことで、システムは生き続けることができる。改善のプロセスが重要視されているのはそのためだ。逆に言えば、改善のプロセスを回すことができない組織がシステムを導入するとシステムは必ず形骸化する。システムの裏で技術者は「あれは役に立たない」とささやきながら、自分達のやり方で物事を進めようとする。

「創造性と個性にあふれた強い個人」の世界では責務を果たしていない個人や部門があることが分かったら、状況を発見した個人や部門には是正を要求する義務がある。是正を要求しなければ改善は進まないというシステムなのだ。それを理解していない組織はシステムを形骸化させる。

何からしらの「システム」を導入して、なぜうまくいかないのだろうと悩んでいる方がいたら、「あいつらが自分達の責務を果たしていないから」と愚痴を言っているのではなく、是正を要求しないとシステムの本来の効果が活きてこないし、放っておくとシステムが腐ってくる。

システムを改善していくのもいいが、日本人の「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という特長を活かすのなら、まずは人と人とをつなぐことで問題を解決することを推奨したい。単に人と人をつなぐだけでなく、AさんとBさんがいがみ合っている場合は双方に「あちらは、こちらがこんな事をしてくれるととても助かる、いつも感謝しているといっていましたよ」などと言うと流れがよくなることがある。「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の世界では是正を要求するよりも、問題解決に必要な人と人をつなぐ方が改善が進むスピードが速いことが多い。

「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の特性を活かして、物事を滞らせている原因を探偵になったつもりでヒアリングにより調査し、人と人とつなぎまくることで情報の流れをよくし問題を解決する。これがうまくいくと、うまく行かなかった原因がいかにバカバカしい小さなことであるかがわかり、「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の世界で必要なリーダーシップとは何かが見えてくる。コーチングとかティーチングといったテクニックではなく、当事者達とコーディネータとなる自分という関係性の中で、どの情報を誰にどうやって伝えれば問題解決するのか、ケースバイケースで最善策を考える。

「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の世界の中で人と人とつなぎまくることで、問題が解決されると、つなぎまくって問題を解決した人はそれまで困っていた人たちに感謝される筈だ。セクショナリズムが蔓延し、たこつぼ状態になっている組織では、コーディネータの役割を担おうと立ち上がった者が「これは自分の仕事ではない」とか「自分が動くとバカを見る」と思ってしまうと組織の硬直化はますます進んでしまう。

そうなると、コーディネータのエネルギー源は、困っている人の問題が解決したときの当事者からの感謝の言葉や、顧客満足を高めることができたときの満足感でしかないのだ。コーディネイトすることで問題解決を請け負っている人はコーディネイト成功の感謝の気持ちを対価に置き換えることができるが、組織内の場合はお金は動かないから感謝の気持ちを糧にするしかない。

「人と人をつなぎまくると物事はスムーズに流れる」、これは「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の世界だからこそ有効なアプローチだと感じる。逆に「人と人をつなぎまくると物事はスムーズに流れる」が通りにくい組織は黄色信号が点っていると考えた方がいいだろう。日本では人と人をつなぐ心やその役目を担う人がいないとせっかく導入したシステムもいずれは死んでしまう。死んでしまったシステムの利用者達にヒアリングして調査すればセクショナリズムやたこつぼ化が組織に蔓延しているのがわかるはずだ。

PS.
「創造性と個性にあふれた強い個人」と「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の元ネタを知りたい方はこちらの記事をお読みください。
 

2009-02-22

西洋の真似をするだけというのはそろそろやめよう

今週のテレビ朝日サンデープロジェクトは次の4方と司会の田原総一朗氏が、「日本の拠って立つものとは?」というテーマで討論をしていた。

西部 邁  (評論家) 
中谷 巌  (三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長)
櫻井 よしこ(ジャーナリスト)
姜 尚中  (東京大学大学院教授)

中谷 巌氏は、過去に自分が行っていた言動(アメリカ流の新自由主義や市場原理主義、グローバル資本主義に対する礼賛言動、構造改革推進発言など)を自己批判し、180度転向したことを宣言した上で、小泉純一郎の行った構造改革を批判、ベーシック・インカムの導入等の提言を行っている。中谷氏の懺悔本という位置づけの『資本主義はなぜ自壊したのか~「日本」再生への提言』が話題を呼んでいる。簡単に言えば、西洋の真似をしようとしたのは間違い(真似するだけではダメ)と言い始めた人だ。

サンデープロジェクトはこの放送でちょうど1000回目を迎え、その節目に日本という国と、その社会の進むべき道として「日本が拠って立つものとは?」というテーマを取り上げた。

戦後、世界第二位の経済大国にまで昇り詰めた日本は、現在、未曾有の不況に直面し、その政治・社会の様相も、大きな転換期に立っている。一体、私達の国と社会は、何を拠りどころとしてここまで歩んできたのか?これから、何をよりどころとして歩んでいくのか?

これを討論した。この討論の中で、櫻井 よしこさんは、「日本が拠って立つものとは?」の問いに、それは「武士道の精神である」と答え、『武士道(新渡戸稲造著)』を引用し、日本人が単一の宗教による影響力なしに一定の規範を持ちながら政治、経済、文化を維持できているのは日本人の中に武士道の精神があるからだと語った。

この話しには思わず「ガッテン」ボタンを3回押した。2008年8月に書いた『サムライエンジニア』の記事を是非読んでいただきたい。この記事から一部引用する。

自分が考えるサムライエンジニアとは次のような技術者のことだ。(字下げされている部分は『武士道』からの引用)

【義】 サムライエンジニアは義理堅く恩義は忘れない 
義理の本来の意味は義務に他ならない。しかして義理という語のできた理由は次の事実からであると、私は思う。すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、そに欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。彼らが義理の権威を形成したことは極めて正当である。何ともなればもし愛が徳行を刺激するほどに強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めねばならない。すなわち人の理性を動かして、正しく行為する必要を知らしめなければならない。
サムライエンジニアは金や権威では動かない。受けた恩義を返すために動く。

【勇】 サムライエンジニアは正しいことを行うときこそ勇気を使う  
勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。孔子は『論語』において、その常用の論法に従い消極的に勇の定義を下して、「義を見てならざるは勇なきなり」と説いた。この格言を積極的に言い直せば、「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」である。
サムライエンジニアは組織や上司の命令あっても、コンプライアンスや顧客に不利益となることは行わない。顧客に不利益となることを指示された場合は勇気をもって義のために反論する。

【仁】 サムライエンジニアは仁愛を持って他者に接する  
仁は柔和なる徳であって、母のごとくである。真直なる道義と厳格なる正義とが特に男性的であるとすれば、慈愛は女性的なる柔和さと説得性を持つ。我々は無差別的な愛に溺れることなく、正義と道義をもってこれに塩つくべきことを戒められた。伊達政宗が「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」と道破せる格言は、人のしばしば引用するところである。
 幸いにも慈愛は美であり、しかも希有ではない。「最も剛毅なる者は柔和なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」とは普遍的に真理である。「武士の情け」という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた。武士の仁愛が他の人間の仁愛と種別的に異なるわけではない。しかし武士の場合にありては愛は盲目的な衝動ではなく、正義に対して適当なる顧慮を払える愛であり、また単に或る心の状態としてのみではなく、殺生与奪の権力を背後に有する愛だからである。
サムライエンジニアは誠実な隣人に対して仁愛を持って接する。クライアントとサプライヤの関係や上司と部下の関係を利用することはせず、誠実な技術者には立場を越えて協業する。

【礼】 サムライエンジニアは正当なる物事に対して尊敬の念を抱き礼を尽くす 
作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は日本人の著しき特性として、外人観光者を惹くところである。もし単に良き趣味を損なうことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である。真の礼はこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである。それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。何となれば社会的地位に対する尊敬を意味する。
サムライエンジニアは高き技術に素直に感動し、その技術を吸収したいと考えるとともに、その技術、その技術を持つ者を尊敬し礼を尽くす。

【誠】 サムライエンジニアは誠実に徹し、嘘をつかない  
真実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。伊達政宗曰く、「礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる」と。「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」と戒めし昔の歌人は、ポロニウスを凌駕する。孔子は『中庸』において誠を尊び、これに超自然力を賦与してほとんど神と同視した。曰く、「誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし」と。
サムライエンジニアは失敗やリスク、日程の遅れの可能性について嘘をつかない。真実を報告し、問題解決を誠実に遂行する。

【記事からの引用終わり】

みなさんの中にもこのような考え方に「うん、確かにそう思う」という気持ちが奥底の方にあれば、それこそ日本人の中に脈々と流れている武士道の精神なのだ。

さて、「日本が拠って立つものとは?」の話しに戻ろう。司会者の田原氏含め5人がいろいろな意見を述べたが、本質的な方向は同じ向きを向いており、最終的な意見は次のようなものであると自分は理解した。
  • 戦後、日本は政治も経済も文化も西洋(特にアメリカ)のやり方を受け入れ、真似をしてここまでやってきた。
  • 今になって、いろいろなことが立ちゆかなくなってきて改めて日本の良さとは何かを考えてみると、「日本が拠って立つものとは?」もともと日本が本来持っていたものが重要であることが分かる。
  • ただし、古き良き時代を回顧するだけでは、グローバル社会で生き残っていけない。
  • したがって、今一度日本人が守ってきた価値観が何であったのかを認識した上で、世界の多用な価値観を拒絶せずに理解し、場合によっては受け入れることが、これからは求められる。
この議論は、日本という国と、その社会の進むべき道についてであり、日本の組込みソフトウェア開発がどうあるべきかというテーマではない。しかし、自分はこの議論を方向性と、「日本の組込みソフトウェア開発がどうあるべきか」の方向性は同じであると確信している。

ソフトウェアは毎日のソフトウェアエンジニアの成果の積み重ねで作られており、再利用性が高まったとはいうものの、未だに毎日毎日おびただしい量のソフトウェアが作られ、かつ、まだまだ日本人が作ったソフトウェアが組込み製品の品質の高さを維持することに貢献していると考えている。

日本のソフトウェアの品質の高さは、日本のソフトウェアエンジニアの特性によるものが大きいというのが自分の持論で、その日本のソフトウェアエンジニアの特性をベースに、西洋のよいところをうまく取り入れていくことがこれからの日本のソフトウェア開発に求められているというのが自分の考えだ。

問題は、もともとの日本の良いところは何なのかを十分に理解しないで、西洋でうまくいった方法論をそのまんま適用しようとする人たちが多すぎるということだ。

先日、日本でMBAの資格を取った同僚と話しをしていて「なぜ」を5回繰り返してことの本質を追求する方法について話しをしていたら、「それって、5 Why 法だろう?」と言われた。「なぜ、なぜ問答」はトヨタで実践されているやり方であり、それが西洋に渡って 5 Why 法と呼ばれるようになったのだというのが自分の認識だ。日本人がやってきた「なぜ、なぜ問答」は「トヨタがやっている」という形容詞が付かないと大して見向きもされないのに、5 Whys Method と英語にするだけで、有効性の高い方法論と捕らえる人がたくさんいるのは、自分はどうしても納得できない。日本人は自分達のプロジェクトでやっている有効性の高い活動の方法をそれがどれだけすごいことなのかまったく意識せずに自慢もせずにコツコツと積み重ねている人たちがたくさんいる。日本人の奥ゆかしい性質が、有効な方法論であっても「こんなにすごいんです」とは言わせないし、「自慢するためにやっているんじゃない」と思って黙々と働く。

スーパーに有効性の高い方法論ではなくても、「なかなかいいね」くらいの努力をほとんどすべてのプロジェクトが漏れなく、かつ一歩一歩確実に実施していて、これを積み重ねれば大きな力、高い品質につながる。日本の組込みソフトウェアの品質が高いのはこれが原因じゃないのだろうか。

「なぜ、なぜ問答」=5 Whys Method と同じような例として、品質機能展開=QFD 、日本的品質管理=QCコントロールなどもある。日本で体系化されたときはあまり盛り上がらず、西洋で認められ逆輸入されると注目される方法論はたくさんある。

日本や日本人の良さをベースに品質管理やソフトウェア品質を語る人はいる。ただし、自分の感覚ではその方達はみな高齢になりつつあり、日本発のソリューションもしくは、西洋で体系化された方法論を日本人向けにテーラリングした成果を発表する若い研究者、エンジニアをあまり見かけないように思う。

確信を持ってその原因が何とは言えないが、思うに自分自身で考えて考えて考え抜いて絞り出した独自の価値観を持つ人が少なくなったことが原因になっているのではないだろうか。テレビなどのマスコミや他人が語る価値観に簡単になびいてしまう、他人の成功体験で自分が成功したような気になってしまう人が多くなっていないだろうか。

西洋発のアプローチは何もかも悪いということではない。自分が言いたいのは、どんなやり方でもいいから最後までやり遂げて、目的を果たして、オリジナルのやり方に対して結果的にどんなテーラリングをしたのか、日本人向けにどんな変更が必要だったのかを見届けてその内容を外に発表して欲しいのだ。

最後の最後に品質を維持しているのは、西洋発のアプローチの力よりも、日本人エンジニアの特性や粘り、頑張りの力の方が大きいということではないよね? ということである。崇高な方法論で指揮されたプロジェクトも実際には、仕事がどんどん下請けに送られ最後は日本人エンジニアの粘りと残業がプロジェクトを支えていることはないかということである。

サンデープロジェクトで「日本が拠って立つものとは?」で語られた話は、実は「日本の組込みソフトウェア開発でも同じなんです」と声を大にして言いたい。

日本の組織では、権限を持っていなくても顧客のことを考えて「こうしよう」と熱く語りかけ、自分を省みずに黙々と働く姿を見せることで、成果を成し遂げる人がいるのを知っている。これは直感だけれども日本的なリーダーシップとは何か、日本的なリーダーシップを鍛える方法論は日本人が確立しなけれいけないのだと思う。

1. 日本人の特性をベースにして、2. 西洋の方法論を上手に取り入れることが大事だと自分は考えている。この順番を崩さない少数派の組込みアーキテクトとしてこれからもいろいろなテーマについて考えていきたい。
 

2009-02-05

技術伝承の鎖が切れてしまった組込みソフト開発の現場

製造業における技術伝承は、ベテランが初級者にくっついて実際に作業をやらせ、失敗を繰り返しながら技術が習得できるまで指導を続けるというものだ。

一方でマニュアルを使って一律に技術習得させるという方法もある。マクドナルドがよい例だ。マクドナルドはマニュアルによる指導、トレーニングを徹底させるために世界のどこのマクドナルドに行っても同じレベルのサービスを受けることができる。これはまさに欧米的な技術の習得方法だと感じる。

日本でも工場では手順書による作業指示があるので、マクドナルドのマネージメントと似ているように見えるが、QC活動などでマニュアルを逸脱した独自のくふうも許しているところがちょっと違う。逆に言えば、一応手順書やマニュアルはあるものの、実際には冒頭で紹介したベテランが初心者に対して技術を習得できるまで指導し、その指導の方が手順書よりも優先されることが多い。

トレーニングの方法として学校でスキルを身につけるというやり方もある。料理学校などは、料理を作る行為自体は学校でやることも、実際に就職した先の店でやることも基本的には同じだから、料理学校で受けたトレーニングは即現場で役立つ。

さて、それでは、ソフトウェアの開発技術はどうだろうか。日本の多くの学校ではソフトウェア工学を現場で使いこなせるまで指導できるところは非常に少ない。先生の中には実際の現場でソフトウェアを作った経験がある人が少ないこともあるし、昔ソフトウェアを搭載した製品を作ったことがある人でも、現役を離れてから10年もたつとソフトウェア開発の方法論自体が変わってしまうこともある。

そこで、先人が成功と失敗から体系化したソフトウェア工学を日本のソフトウェアエンジニアが修得する5つの方法について考えてみる。

【日本のソフトウェアエンジニアがソフトウェア工学を修得する方法】
  1. 雑誌、書籍、学会、シンポジウム等の情報から学ぶ(独学)
  2. 学校やセミナーで学ぶ
  3. 組織内で上司や先輩から学ぶ
  4. コミュニティの知り合った友人から学ぶ
  5. コンサルタントから学ぶ
この5つの方法をいずれか、単独、もしくは組み合わせでスキル修得して現場に適用できる技術者は実際にはほんの少ししかいない。今回の記事は「それは何故か?」の分析である。

【「雑誌、書籍、学会、シンポジウム等の情報から学ぶ(独学)」と「学校や、セミナーで学ぶ」が難しい理由】

日本のソフトウェア開発の現場は方法論を自分達の案件でやって見せてあげないとできるようにならない。自分達だけで、抽象化された方法論を自分達の問題にテーラリングして取り込むことができるプロジェクトはほんのひとにぎりしかない。なぜなら、製造業における技術伝承は、ベテランが初級者にくっついて実際に作業をやらせ、失敗を繰り返しながら技術が習得できるまで指導を続ける方法であり、自分一人ではそれができないからだ。

別な言い方をすると、日本のソフトウェア技術者は抽象化された方法論を自分自身の具体的な問題に展開する能力が低い。なぜ、低いのかというとそういうトレーニングを受けてこなかったからだ。『問題解決能力(Problem Solving Skill):自ら考え行動する力』の記事参照のこと。もう少し、正確に言えば公式に具体的な数値を代入することはできるが、公式よりももっと抽象度の高い方法論になってしまうと、目の前に具体的な問題がころがっていても、何をどう当てはめていいのかわからないし、何となくわかったとしても、失敗するのが恐く、試してみる勇気がないので、問題解決の経験値が上がらない。現場の技術者が失敗に対して恐れを感じているというのを最近特に強く感じる。おそらくプロジェクトに余裕がなくなって失敗を許さない雰囲気があるのだろう。

だから、問題解決の経験値が上がらない技術者は本や雑誌を読んでも、セミナーに行っても、学会に行っても、シンポジウムに参加しても、そこで示されている抽象化された方法論を現場に展開することができない。まれに、それがうまくいくケースは二つあって、よっぽど分かりやすい手順が示されている場合と、よっぽどその人の気持ちを揺り動かすことができて試してみる勇気がわいたときだけだ。ただ、前者の分かりやすい手順というのは、逆に言えば少しでも問題の対象にマッチしないところがあると先に進めないというデメリットがある。2つのめの気持ちを揺り動かすという方法は、「時間がない」とか「周りが賛同しない」とか「予算が付かない」などさまざまなハードルが現場にはあるので、気持ちを揺り動かすことができても時間がたつと急速にやる気が萎えてしまう場合もある。

このような理由から残念ながら独学で問題を解決できるところまで持って行ける技術者は非常に少ない。逆に言うとそういう人は希少価値であるため、いずれ自分自身の存在が希少であることに気づき、その価値を最大限活かすために独立したりコンサルタントになったりする。

※宗教的な熱狂に周りを巻き込むことで問題を成功に導く方法もあるが、本来ならば行動の目的や自分達のあるべき姿を見据えた上で、熱狂的ではなく静かな闘志を燃して事にあたるようにしたいものだ。

【「組織内で上司や先輩から学ぶ」方法が難しい理由】

これは簡単で、上司や先輩が現場の問題を解決するために必要な技術を知らない、もしくは、技術伝承する能力がないからだ。もしも、上司や先輩が現場の問題を解決する技術を身につけていて実際に解決できるだけの実力があるのなら、この状態が最も問題解決の成功確率が高い。なぜなら、「ベテランが初級者にくっついて実際に作業をやらせ、失敗を繰り返しながら技術が習得できるまで指導を続ける」という昔からあるアプローチが使えるからだ。この方法は日本の製造業の世界ではスタンダードな技術伝承の方法だから、そのやり方を否定する人はいないし、ハードウェア出身のマネージャもその有効性や効果を十分に理解できる。まわりに反対する人は現れない。

だから、一度組織やプロジェクトが問題を解決する技術を身につけてしまえば、後は新しく入ってきた後輩達にせっせとその技術を伝承していけばよい。ところが、いつの日か、現場の技術者達が新しい問題を解決するための技術を習得することを怠ってしまったために、技術伝承の流れ(鎖)は切れてしまったのだ。ソフトウェア系の外部協力会社に仕事を任せるようになったころから、技術伝承の鎖の途切れが始まったのかもしれない。当時から、役割分担が明確であればよかったものの、徐々に丸投げの度合いは進み始め、メーカーサイドはドメインの知識とソフトウェア工学を結びつけることができなくなり、ソフトウェア受託開発会社は社員にソフトウェア工学を身につけさせるのではなく、より多くの時間働かせることが組織と社員の共通の利益であると考えるようになってしまった。

だから、特に組込みソフトウェア開発の世界では「組織内で上司や先輩から学ぶ」方法が難しくなってしまったのだ。

【「コミュニティの知り合った友人から学ぶ」方法が難しい理由】

実は、実際にやってみて一番有効なのはこの方法だ。自分自身、SESSAMEやEEBOFというコミュニティで知り合った友人から多くを学んだし、コミュニティに積極的に参加している人ほど、ソフトウェア工学を自組織に適応できているように思う。うまくいく理由は、「時間がない」とか「周りが賛同しない」とか「予算が付かない」などさまざまなハードルをコミュニティのメンバーがちょっとした励ましの言葉やヒントで支えてくれるから乗り越えられる確率が高くなるのだ。みんな、自分たちの境遇に憂いを感じていて、何とか問題を解決したいと考える技術者が集まるので、苦しいときは助け合おうという状況が作れる。

では、すべての多くの技術者がその方法で成功できていないのか。ダメな理由は簡単で、ひとつは組織の中で鎖国状態を作ってしまいコミュニティの存在自体を知らないのと、コミュニティに参加していてもROM状態から一歩も踏み出せない人が多いからだ。

組込みソフトエンジニアが自組織の中で鎖国状態に陥り、ゆでガエルになるのは、人が流動しないから、自組織の外にどんな世界が広がっているのか知らないからだろう。今はインターネットで何でも調べられるのに、「調べてみよう」という気が起こらないのがとても不思議だ。google でいろいろなキーワードを打ち込んでいくと、どのような世界が外に広がっているのかだんだんわかってくる。毎日自組織の狭い世界の情報だけにさらされていると、外の世界も同じだろうと思い込んでしまうのだろうか。

【「コンサルタントから学ぶ」のが難しい理由】

現場で起こっている問題を解決する方法を知っている技術者にコンサルテーションしてもらう方法は、技術伝承の鎖が切れてしまった組織においても問題解決に成功する確率が高い。なぜなら、ベテランが初級者にくっついて実際に作業をやらせ、失敗を繰り返しながら技術が習得できるまで指導を続けるというやり方でコンサルタントから技術を習得することができるからだ。抽象化された方法論を実際に現場で起こっている問題にどうやって適用すればいいのかを教えてくれて、かつ、問題を解決するまで、技術が伝承されるまで指導してくれる。

ではなぜ、みなコンサルテーションを頼まないのか。理由は簡単で、組込みソフトウェアの開発現場では技術伝承の鎖が切れてしまっている現在でも、組織内の先輩から後輩への技術伝承によって問題を解決することが正しいと考えられており、それができないのは技術者の怠慢であると考える経営者や上司が多いからである。だから、コンサルタントを頼む予算が付かない。

もちろん、現場の問題を解決し、いったん切れてしまった技術伝承の流れを復活させる力のあるコンサルタントは非常に少ないし、コンサルタントの力だけでなく現場の技術リーダー達の協力がなければ技術伝承の鎖を結び直すのは難しい。何はともあれ技術伝承の鎖を復活させることが必要だということが組織の上位層に理解されなければ、コンサルタントの助けを求めることはできない。

【おまけの考察】

JaSST'09 の基調講演で『実践ソフトウェアエンジニア』の著者であるロジャー・S・プレスマン氏は「自分達が作ったソフトウェア(方法論)以外は信用できないシンドローム」は未だになくなっていないと言っていた。それを聞いて「なんだ、それは日本だけじゃなかったのか」と思った。「自分達が作ったソフトウェア(方法論)以外は信用できないシンドローム」が蔓延している組織、プロジェクトで従来のやり方から脱却するためには、かなり強いリーダシップが必要になる。

昔、日本の職人の中には棟梁という存在がいた。今、日本の組込みソフトウェアプロジェクトで求められているのは、棟梁的なリーダーシップを発揮できる人材だ。棟梁的なリーダーシップとは、しがらみや制約条件の中で舵取りができる決断力を持ち、アーキテクチャの善し悪しを判断し悪い所を指摘し、良い例を提示できる実績と経験を持っているということだ。必ずしも、声が大きいとか、人を引きつける能力があるという訳ではない。

技術伝承の鎖が切れてしまった状況では、問題解決に必要な技術を身につけ、棟梁的なリーダーシップを発揮できる人材が組織やプロジェクトの中にいないと改革を進めることができない。

「そんな人いないや」と思った人は「自分がなるしかないんだ」と思ってもらうしかない。そうしないと明るい未来がくる可能性は残念ながらない。
 

2009-01-10

リーダーの発言と行動

このブログで政治の話をするつもりはさらさらないのだが、定額給付金の問題での閣僚の発言の迷走ぶりが日本の企業内のリーダー達の発言や行動と似ているところがあると感じたのでここで分析してみたい。

定額給付金を国民に配布するという話しは、当初は低所得者への支援という性格から、配布のタイミングを逸したことで、今では消費刺激という性格に変わっている。

これに対して、各閣僚が定額給付金を受け取るのか受け取らないのかを答えているが、甘利行政改革大臣の答えを聞いて、「この人はクリティカルシンキングができている」と思った。

 「家計支援という趣旨で言えば、私は申請しない。消費刺激の責務があるから、家族には私のポケットマネーから定額給付し、地元の商店街で使うよう要請したい」(甘利 明 行革相)
低所得者への支援という目的に対しては、(自分は高額取得者であるから)定額給付金を受け取らないと答えたのは論理が通っている。

また、消費刺激の目的に対しては、(自分は高額取得者であるから)定額給付金は受け取らずにポケットマネーを使って消費する答えたのも論理が通っている。

この問題は以下の三つに対して矛盾なく、発言と行動ができるかどうかがポイントであり、自分は閣僚11人のうち甘利行政改革大臣だけが矛盾なく答えることができたように感じた。

定額給付金の目的と発言者の立場
  1. 定額給付金は低所得者への支援である
  2. 定額給付金は消費刺激のためである
  3. 自分は1800万円以上の収入がある高額取得者である
そう考えて、何人かの閣僚の発言を眺めてみる。


「個人の判断であって、まだ予算も通ってない段階から、もらったらどうだとかこうだとかいう“たられば”の話というのでは、お答えのしようがない」(麻生首相)

「“ニコニコ給付金”で皆が喜んで受け取ってもらいたい。私はニコニコして受け取る」(鳩山邦夫 総務相)

「省エネ製品を買ったり、エコポイント制度を利用して電球型の蛍光灯を買ったり、私のお金をプラスして地元で消費したい」(斉藤鉄夫 環境相)

「飛騨牛を食べるとか、じっくりそれは考えたい」(野田聖子 消費者行政相)

「個人の内面性に土足で踏み込んで、もらうのかもらわないのか迫るのは、個人の内面性の自由とぶつかるのではないか」(与謝野馨 経財相)

「(給付金の受け取りを)辞退するなんて、格好つけるような事を言う人があるが、そうじゃない。ここで少しでも景気の傾向に歯止めをかけ、頑張っていこうではないか」(自民党 細田博之 幹事長)
麻生首相と与謝野経財相以外は、2の定額給付金は消費刺激のためである という一点だけに着目して発言している。麻生首相と与謝野経財相に至っては、定額給付金の目的を推し量れるようなコメントがどこにも入っていない。

マスコミが「定額給付金を受け取るのか受け取らないのか」などという一見どうでもいいようなことを聞いているのは、これを聞けば定額給付金を低所得者への支援なのか消費刺激のためなのか、閣僚達がどちらだと考えているのか、もしくは別の考えを持っているのかが分かる、おそらく一致していないだろうと考えたからだと想像する。

そして、その問いに対して矛盾なく回答できたのは、甘利行政改革大臣だけのように感じる。

そもそも、このようなクリティカルな思考(自分の考えを批評しながら、より深く論理的に物事を考えること)をするためには、発言や行動の前に「目的」が明確でなければいけない。

「目的」を考えるについては直近の要求ではなく、遠くにあるゴールを見据えながら、今行うべき発言や行動について考える。

日本人はこれに慣れていないし、そのための教育や訓練を受けてきていない。(アメリカ人と日本人の記事を参照のこと)

だから、直近に起こったこと、ステークホルダからの要請、自分の過去の体験に基づく判断で発言や行動をしてしまう。リーダーがこれをしてはいけない理由は、一度した発言や行動が後で撤回されることが続くと、大きな無駄が発生し、部下の信頼がなくなり、プロジェクトのモチベーションが下がるからだ。

だからリーダーが発言や行動をする前には、トヨタ式ならその発言や行動に対して3回から5回、「なぜ、それを指示するのか」を繰り返してみるとよい。なぜを繰り返すことで、発言や行動の本質、目的が明確になり、遠くにあるゴールが何かはっきりしてくる。

それ以外にも、マーケティングの世界では「ファイブフォース分析」とか「SWOT分析」とか「バランスコアカード」とかの分析手法があるが、日本の組織内のリーダー達の多くはそういった理論(先人の知恵を体系化したもの)を使ったり、それらを知っている部下に分析を指示したりせずに、直近に起こったこと、ステークホルダからの要請、自分の過去の体験に基づく判断で発言や行動をしてしまう。

クリティカルシンキングを使わなかったとしても、日本のお家芸的にはカイゼンのアプローチで事態をを打開することができる。

P(Plan)→D(Do)→C(Check)→A(Actoin)のサイクルを回すというのが、カイゼンのプロセスの代表例だが、実際にはそれが身についている人は非常に少ない。

計画を立てて実行したとき、その行動が成功したのか失敗したのかを判断するためには何かしらの評価指標が必要だ。ところが、行動をする前にあらかじめ評価指標を考えている人は以外にも少ない。P(Plan)→D(Do)→C(Check)→A(Actoin)が大事だと教壇に立って教えている人でさえ、講義が受講生に対して効果を及ぼしたのかどうかをチェックしていないこともある。

定額給付金について、「定額給付金は低所得者への支援である」と「定額給付金は消費刺激のためである」の2点について、評価指標を考えてみよう。

「低所得者への支援」が成功したかどうかの評価指標の例としては、今となっては失業率を目標にするのがリーズナブルなように思う。失業率の悪化をゼロにすることはできないから、例えば他国の状況を見て目標失業率を設定し、それをクリアできたかどうかを一定期間後に計測する。

12,000円の定額給付金が失業してしまった人が定職に就くためにどの程度有効かと考えると焼け石に水のような感じがするので、見直した方がよいという判断に傾く。

次に、「消費刺激」に関しては、GDPを0.2%引き上げる効果があるという試算があるようだから、これが計れるのなら半年後など期間を決めて計測すればよい。簡単に計れないのなら企業の倒産件数などを指標にしてもよいと思う。

評価指標を考えると成功したときの自分と失敗したときの自分が見えてきて、本当にこれをやっていいのだろうかと考えるようになる。施策を実行する前に評価指標を考えることで、そもそもその施策自体が目的に合っているのかどうかの見直しができる。これはソフトウェア開発における早期テスト設計、テストファーストと同じだ。

プログラムを作る前に単体テストのテストケースを作っておくと、プログラムの仕様自体が浮き彫りになり、このテストケースを通すためにこの関数を作らなければいけないという視点が生まれる。

日本の企業内で評価指標の設定ができていない(=クリティカルシンキングができていない)例は例えば次のようなことだ。

ある製品の売り上げが落ちた。その原因を問われたリーダーが販売サイドから「他社にはある○○の機能がこの製品にはついていないからだ」という意見が上がっていたことを思い出し、プロジェクトに対して「○○の機能を早速付け足すべし」という指示を出すといったケース。

ここで考えるべき評価指標は、○○の機能を付けたことでどれだけの売り上げアップに貢献するのかという点と、エンドユーザーの満足度はどれくらい向上するのかという視点である。そして、それらを判断するための数値的な指標を考える必要がある。でも、多くの組織ではそんな観点なく、場当たり的な指示が飛ぶことが多く、リーダーの信頼が失われてしまう。

リーダーは行動を起こす前にプロジェクトメンバーに評価指標を提示すれば、評価指標を計測したときに行動が成功だったのか失敗だったのかが判断できる。失敗が明らかになってしまうことに対する恐れを抱くリーダーもいるかと思うが、これまで述べてきたように評価指標を考える段階でクリティカルシンキングが働くため失敗する確率は低くなる。

また、評価指標をあらかじめ掲げて失敗したとしても、カイゼンのプロセスを回す意志はプロジェクトメンバーに伝わるため、次回連続して失敗する確率が減ることが想像され、リーダーへの信頼は逆に高まる可能性もある。発言や行動の評価指標を設定しておけば成功しても失敗しても得るものがある。それができないリーダーは失敗したときに周りからの非難されるが怖いからか、クリティカルシンキングを一度もやったことがないからだ。

ただ、発言や行動をする前に評価指標を考えておくというのは、言うのは簡単だけれども実際にやってみるには、小さいPDCAを回す経験を積み重ねていないとなかなかうまくできない。

例えばお昼ご飯を何にしようかといった非常に小さいことでも、今日の気分と予算を設定して、昼食後に満足度と予算がクリアできたかどうかをチェックして翌日の昼食選びに活かすといったPDCAを回す経験を繰り返しておかないと、もっと大事な行動をしなければいけないときにサッとクリティカルシンキングはできない。

クリティカルシンキングをしながら発言や行動をしないと「いい仕事をしたね」と言われるような実績につながらない。いい仕事を積み重ねることができるとリーダーとしての信頼を得ることができる。いい仕事を積み重ねるためには、今やっていること、やろうとしていることの本質的な目的を常に考えていなければならない。

クリティカルシンキングについては『通勤大学MBA〈3〉クリティカルシンキング (通勤大学文庫)』で819円で学べるので参考にしていただきたい。
 

2008-11-22

人生は実験

広い心で聞く』の続きで、米国シリコンバレーを中心に経営コンサルタントとして活躍するKimberly Wiefing 氏のインタビュー記事の最終回である。
Life is an Experiment

Wiefling: Some people tell me, “Kimberly, this kind of listening, this kind takes a long time. I’m very busy person.” Here’s the problem, though. Do you ever have a conversation with somebody, and you have the same conversation over and over and over again? This takes a lot of time. When somebody says something, if they think you didn’t hear them, you know what they do? They say it again. And if they don’t like the conversation, they come back and have another conversation with you. So what we find is spending this time on these kind of critical conversations actually is a lot faster than trying to rush through the conversation with non-generous listening skills.
Listening seems very passive, and sometimes it’s hard for people to understand how powerful it can be. When we’re listening, we’re sitting quietly. This is very difficult for some people to understand. How can listening be great leadership? It’s something you just have to try.
When you start really listening to people, they feel valued. When they feel valued, they start contributing more. When they start contributing more, more ideas come, they have good feedback about their performance, and everything improves in that working relationship and in the team. I and listen to somebody that you haven’t listened before.

ウィーフリング:「キンバリー、こういった聞き方は時間がかかる。私はすごく忙しいんだ」と言う人たちもいます。でも、そこに問題があるのです。あなたは、誰かと話をして、同じ会話を何度も繰り返したことがありませんか? これは大変時間がかかる行為です。何か言って、相手が聞いていないと思ったら、その人がどうするか、おわかりですか? また同じことを言うんです。また同じことを言うんです。会話に満足しなかったら、戻ってきて、もう一度話しをします。ここでわかるのは、実際、こうした決定的な会話にはそれなりの時間を割いた方が、ジェネラス・リスニングのスキルを用いないで会話を急いで切り上げようとするより、ずっと早く済む、ということです。

 聞くという行為は、大変受け身なことに思われますし、それがどれほどの威力を持ち得るのか、理解しにくいこともあります。人の話を聞いているとき、私たちは黙って座っています。そのことがなかなか理解できない人々もいるのです。話を聞くことが、優れたリーダーシップであるものか、とね。それは、あなたがとにかく試してみるべきことなんです。
 あなたが人の話を心から耳を傾け始めたら、相手は自分が重んじられていると感じます。重んじられていると感じると、人は今まで以上に貢献し始めます。貢献度が増せば、より多くのアイデアが浮かび、自分の業績についていいフィードバックがもらえる。そうすれば、そうした職場の人間関係やチームにおいては、あらゆることが向上していきます。私は皆さんに「やってみてください」とアドバイスするんです。人生は実験です。時間をかけて、試してください。これまで耳を傾けたことのなかった人の話に耳を傾けてください。
キンバリー・ウィーフリング氏の話を聞いてみて感じるのは自分の主張がはっきりしており、説得力があることだ。もちろん、主張の裏付けもある。

振り返って、日々の仕事の中で感じるのはエンジニアやマネージャの自信のなさだ。うまく回っていないプロジェクトほどサンドバッグのように右から叩かれると左に振れ、左から叩かれると右に触れてしまう。もちろん、広い心も持てないのでプロジェクトリーダーはジェネラス・リスニングもできない。

問題を解決しようと思っても誰も決断できない、誰かが話を切り出すのを待っている、誰かがダメだししてくれるのを待っている。日々の発言や行動に明確な根拠を持っていないからそうなる。

そういう状況でもキンバリー・ウィーフリング氏のような優秀なコンサルタントはネガティブな言い方はしない。必ずポジティブに自信を持って攻める。

結局、ダメだしして受動的に動いているようではダメだしする人がいなくなった瞬間にプロジェクトは立ちすくんでしまう。自立できるようにしなければ意味がないのだ。

エンジニアが自立するためには自分の発言や自分の行動に自信を持てるようにならなければいけない。ジェネラス・リスニングは技術者に自信を付けるのに役立つと感じる。時間をかけてジェネラス・リスニングを行うのは、相手に自信を付けてもらい、自立させて自分でどんどん問題を解決でききるようになってもらうためでもあると思う。

問題解決能力(Problem Solving Skill):自ら考え行動する力』も参照されたし。
 

2008-11-15

広い心で聞く

もっとも重要なリーダーシップ・スキル』の続きで、米国シリコンバレーを中心に経営コンサルタントとして活躍するKimberly Wiefing 氏のインタビュー記事の4/5回である。
Listening Generously

Interviewer: So, can you tell us about the actual skills involved in generous listening? How do we do it?

Wiefling: Yes. Generous is very challenging. Most of the time, we are not trained in how to listen. So, in generous listening, you have to give people some motivation. “Why should I listen? It’s hard work to listen generously. Why bother?” So, when we do the workshops, first we must convince people that it’s a good use of their time. It takes time. It takes energy.
So, the first thing we do is we shoe people an exercise where we ask them to do a simple task, and we ask each person, “What is your answer? What is your answer?” And everyone answers a different way for the same task. And then they realize, “Oh my gosh! I cannot do this simple task. This other person was successful. Why couldn’t I be successful?
We do another little game, another little trick, each time showing them each person makes mistakes, but somebody in the group has the answer. So, now, they’re starting to get very curious. “What do other people see, that I am blind to? What are other people hearing that I can’t hear? What do other people know, that I am missing?”
Now we have them. Now they’re ready to listen, because they’re curious. It’s very interesting when you work with people who are so smart, and you give them a simple task, and show them individually you cannot do this task, but as a group you can succeed. Suddenly they become much more interested in listening to each other.
Then I show them generous listening. Generous listening is for problems that you can’t solve by yourself. It’s for creating new opportunities that you can’t create by yourself.
If someone is listening to me, and says, “Interesting! Kimberly, tell me more,” – four magic words: interesting, tell me more – then I can hear myself think more clearly.
If I am speaking, and no one’s listening, I quickly close down my ideas. That’s why generous listening is so powerful. It allows me to overcome my own self-limiting behavior.

インタビュアー:ジェネラス・リスニングに必要な具体的なスキルについて、お話いただけますか?どうしたら、ジェネラス・リスニングができるでしょうか?

ウィーフリング:ええ、ジェネラス・リスニングは非常に難しいスキルです。ほとんどの場合、私たちは聞き方の訓練を受けていません。ですから、ジェネラス・リスニングを行う場合、(聞き手の)皆さんに何らかの動機付けをしてあげる必要があります。「なぜ私が話しを聞かなきゃいけないんだ? 広い心で話を聞くなんて大変なことじゃないか。なんで、わざわざ?」(と人は言うでしょうからね)。ですから、ワークショップを行う際は、最初に、ジェネラス・リスニングが時間の有効な使い方なのだということを、受講生に納得させなくてはなりません。ジェネラス・リスニングには時間もかかりますし、エネルギーだって費やしますから。
 そこで、私たちが最初にやるには、受講生の皆さんに課題を示し、単純な作業をさせて、一人一人に「あなたの答えは何? あなたの答えは何?」と尋ねることです。同じ作業に対して、みんな違う答え方をします。そこで、受講生は、「ええっ! この単純な作業が私にはできない。あの人はうまくできたのに。なんで私はうまくいかなかったんだろう?」と思います。
 もう一つ、ちょっとしたゲーム、というか、お遊びをします。今回、一人一人は間違いを犯すけれども、グループの誰かは答えをわかっているということを教えるのです。すると、皆さん、すごく興味津々になります。「ほかの人たちに見えていて、自分には見えていないものって何だろう? ほかの人たちには聞こえていて、自分には聞こえないことは何だろう? ほかの人たちにはわかっていて、自分が見落としていることは何だろう?」とね。
 こうして、受講生の皆さんの心をとらえます。こうなると、皆さん興味津々ですから、話を聞く心構えができています。頭の切れる人たちと一緒に取り組むのは、本当に楽しいものですよ。単純な仕事を与えて、一人一人ではできないけれども、グループとしては成功する、ということを示してあげるんです。すると、皆さん、お互いの話を聞くことに急に熱心になります。

 そこで、ジェネラス・リスニングについてお教えするんです。ジェネラス・リスニングは、一人では解決できない問題を解くためのスキルです。自分一人では生み出せないチャンスを生み出すためのスキルなのです。
 誰かが私の話を聞いていて、「面白い! キンバリー、もっと詳しく話してよ」と言ったら-面白い、私に、もっと詳しく、話して、というのは魔法の4ワードなんです-私は、さらにその物事に注意を傾けることができるようになります。
 自分が話していても、誰も聞いていなければ、私は考えるのをさっさと打ち切ってしまうでしょう。そういうわけで、ジェネラス・リスニングというのは非常に効果的なのです。相手にジェネラス・リスニングをしてもらうことで、こちらは、自分を狭めてしまうような振る舞いを克服できるのです。
確かに我々は聞き方の訓練を受けていないかもしれない。そして、聞き方がうまい、話を引き出すことがうまい人の周りには優秀な人が集まっているような気がする。優秀な人が集まっているのではなく、それぞれの人が持っている能力を最大限に引き出すことができるからそう見えるのかもしれない。

自分は何でもいいから自分が持っていないものを相手が持っているときは、ジェネラス・リスニングができていると思う。自分自身がその知識や技術を吸収したいから、素直に「おもしろい、もっと詳しく話して」と言える。

では、実際には自分がすでに知っていること修得していることについて相手がしゃべり出したときはどうかと振り返ってみると、おそらく口には出していなくてもつまらなそうな顔をしていると思う。

ウィーフリング氏が言っている聞き方の訓練が必要というのがこういう事なのだと思う。自分のためではなく、相手の能力を引き出したり、チームの成功のために聞くための技術を使うということがリーダーには求められるのだ。

最近、NHKのクローズアップ現代という番組で、神奈川トヨタが心の悩みを抱える従業員をフォローアップするための部門を作り取り組んでいる様子を流していた。ある販売店の所長が終業後の事務所で若い営業員の話を延々と聞いているシーンがあった。営業員は自分が考える販売店の在り方などを所長に話しており、話が終わったのは23時を過ぎていた。この営業所では所長が部下の話をじっくり聞く取り組みを始めてから販売成績が上がったという。

これはまさに、ジェネラス・リスニングを実践しているということに違いない。
 

2008-11-08

最も重要なリーダーシップ・スキル

さまざまなリーダーのタイプ』の続きで、米国シリコンバレーを中心に経営コンサルタントとして活躍するKimberly Wiefing 氏のインタビュー記事の3/5回である。
The Last Leadership Skill

Interviewer: You say there are two reasons that teams fail to achieve their goals. What are they?

Wiefling: The top two reasons, on average, typical teams fail to achieve their goals – the number one reason is: they don’t have goals, or goals are unclear, or people don’t understand the goals the same way. It’s a very preventable cause of failure, and every leader is responsible for making sure this is never a cause of failure for their teams.
The number two most common reason for teams to fail, especially in this world, this global economy, is communication. Communication is the only way we have to lead other people, to influence other people. And yet, we are given very little guidance on the most important part of communication, and that is listening. Listening is the lost leadership skill. Everybody’s good at talking.

Interviewer: And so that’s why you teach what you call “generous listening”?

Wiefling: Generous listening. Most listening is listening for what’s wrong with what the other person is saying. This kind of listening filters out many ideas. When we’re working in a organization where we need every idea, generous listening helps expand possibilities. In generous listening, it’s not the responsibility of the speaker to be interesting or to have something valuable to say. The generous listening puts the responsibility on the listener to find, “What’s valuable here? What am I listening to that is important? And I am responsible for increasing the quality of the conversation by the quality of my listening.” It’s a unusual approach to conversation, I find.

最も重要なリーダーシップ・スキル

インタビュアー:組織が目標を達成できないのには、2つ理由があると、おっしゃっていますね。その理由とは何ですか?

ウィーフリング:典型的な組織が目標を達成できない理由の、平均して上位2つに入るものは-第1位は、目標を持っていないか、目標があいまいであるか、みんなが目標を同じように理解していない、ということです。これは、失敗の原因としては防ぐのが容易なもので、どのリーダーも、これが原因で組織が失敗することがないようにする責任があります。
2番目によく見られる、組織の失敗の理由は、特にこの世界、グローバル経済の世界にあっては、コミュニケーションです。コミュニケーションは、ほかの人々を導き、ほかの人々に働き掛けるための唯一の手段です。ところが、コミュニケーションの最も重要な部分に関して、私たちはまったくといっていいほど指導を受けていません。それは、聞くということです。聞くことは、人々に忘れられてしまった、リーダーシップ・スキルなのです。誰でも話すことは達者です。

インタビュアー:だから、あなたはいわゆる「ジェネラス・リスニング(広い心で話を聞くこと)」を教えていらっしゃるわけですね?
ウィーフリング:ジェネラス・リスニングですね。(人が話を)聞くときはたいてい、相手の話の間違いを耳にそば立てるような感じです。こうした聞き方は多くの優れたアイデアを排除してしまいます。あらゆるアイデアを必要とする組織で働いている場合、ジェネラス・リスニングが可能性を広げることに一役買います。ジェネラス・リスニングの場合、話し手が興味深い人物だったり、有益な意見を持っていたりする責任はありません。ジェネラス・リスニングは、聞き手の側に、「ここで有益なことは何か? 自分が聞いている中で重要な部分はどこか? 私には、自分の聞き方の質によって、この会話の質を高める責任があるのだ」ということを理解する義務を課します。これは会話に対するアプローチとしては珍しいものだと思いますね。
ウィーフリング氏が挙げている組織が目標を達成できない理由のひとつ、「目標を持っていないか、目標があいまいであるか、みんなが目標を同じように理解していない」というのはよく分かる。ただし、リーダーがこれが原因で組織が失敗することのないようにする責任があるというのは、改めて確かにそうだよなと思った。

上の人たちの会議で、それは売り上げのためなのか、ステークホルダにいい顔したいからなのか、誰かにした約束のためなのか、目標が不明確な泥沼のやりとりを聞くことがある。顧客満足を達成するという目標が忘れられると、プレッシャーに負けて中途半端な品質のまま商品をリリースしてしまうことがあるように思う。これは必ずしも確信犯ということではない。ウィーフリング氏がいう「ジェネラス・リスニング(広い心で話を聞くこと)」をしないために、下の者達が本当のことを積極的にさらけだすことをしなくなり、結果的にリスクが見えていないという状況を自ら作ってしまっているのだ。

ようするに「見なかったことにする」が寄せ集まってリスクとなり、そのリスクがフィールドで発現してユーザーに迷惑がかかるという構図だ。リーダーがそれに怒って「ジェネラス・リスニング(広い心で話を聞くこと)」と反対のことをし出すと、ますます、下は正直なことを言わなくなりリスクは拡大する。

確かに、「ジェネラス・リスニング(広い心で話を聞くこと)」は最も大事なリーダーシップ・スキルかもしれない。
 

2008-11-01

さまざまなリーダーのタイプ

『リーダーになるための扉を開く』の続きで、今回が2/5回である。

ちなみに、このインタビューに答えているキンバリー・ウィーフリング氏は、女性でアメリカ、ペンシルバニア州生まれ、ゼロックス・バーク社の子会社であるアウトサイド社の元プログラムマネジメント副社長で、現在は、リーダーシップ、コミュニケーションの分野を中心に、企業の人材育成のトレーナーとして活躍中とのこと。ヒューレット・パッカード社での10年間にわたる技術管理および製品開発の経験を生かし、さまざまなハイテク企業の立ち上げにも貢献しているとのこと。
Leaders to Look for

Interviewer: Can you, maybe, describe some different types of leadership for us?

インタビュアー:さまざまなリーダーシップのタイプについて、少しご説明いただけますか?

Wiefling: Some leaders are loud and bold and crazy like me – make a lot of noise and tell people, “Come on, everybody! Let’s go and do this!” That’s a very charismatic leader. Sometimes, this is called the “rock-star leader.” Everybody knows them; they have a huge personality. Steve Jobs, head of Apple; he’s a rock-star leader; I say it like this; these kinds of leaders take up all the oxygen in the room.
Then there’s something called a “level-five leader.” Level-five leader is somebody who comes in day after day, weak after weak, year after year, constantly working for the good of the team, the organization. When something good happens, all the credit goes to their team. When something bad happens, they look in the mirror and say, “How did I contribute to this bad happening? And they are constantly focused, give, ten, fifteen, twenty years, leading companies to greatness.
This is the king of leader that Jim Collins writes about in a book called Good to Great. It’s very easy to be a good company, but in order to be a great company, you need a level-five leader.
Then there is a very quiet kind of leader called the “servant leader.” This person is behind the scenes, serving their people, leading from behind, removing obstacles, providing resources, encouraging and supporting them, not getting the credit, and not even appearing to lead sometimes. This is the kind of leader that Loa-tzu says, “That kind of leader, when the people accomplish their goals, they say, “We did it ourselves!”

ウィーフリング:私みたいに、うるさくと、大胆で、無茶なリーダーがいますね-いろいろ騒ぎ立てて、人に「さあ、みんな! これをやってみようよ!」と言うようなタイプです。これは実にカリスマ的なリーダーですね。「ロックスター型リーダー」と呼ばれることもあります。誰もが知っている、強烈な個性を持っている人物です。アップル社の最高経営責任者であるスティーブ・ジョブス、彼がロックスター型リーダーです。私はこんなふうに言うんです。こういうタイプのリーダーは部屋中の酸素をみんな吸い取ってしまう、と。
 それから、「レベル5型リーダー」と呼ばれるタイプがあります。レベル5型のリーダーは、来る日も、来る週も、来る年も、たゆまずチームや組織のために働き続ける人です。何かいいことが起これば、手柄はすべてチームのものとなります。悪いことが起きると、この手のリーダーは、鏡をのぞき込んで「今のこのまずい事態に、私はどう加担してしまったのだろう?」と問い掛けます。そして、5年、10年、15年、20年と、優れた企業にしていくことに、たゆまず力を注ぎます。
 これは、ジム・コリンズが『ビジョナリーカンパニー2-飛躍の法則』という本の中で書いたリーダーの種類です。良い企業をつくることは実にたやすいことですが、偉大な企業を作るためには「レベル5型のリーダー」が必要です。
それから、「奉仕型リーダー」と呼ばれる、非常に物静かなタイプのリーダーもいます。このタイプの人物は舞台裏にいて、部下に奉仕し、背後から導き、障害を取り除き、あらゆる資源を供給し、部下を励まし、支え、手柄を自分のものにせず、ときには指揮していないように見えることさえあります。こうしたリーダーは、老子が言うところの「目的が達成されると、部下の者たちが『私たちが自らの手で成し遂げたんだ!』と言うようなタイプのリーダー」です。
ちなみに、自分は偉大な企業を作ったり、組織を優れた企業にすることを目的としているわけではない。組込みソフトエンジニア、特に優秀な組込みアーキテクトが高い能力を持っているのに評価されない、クリエイティブな仕事ができない、能力が高ければ高いほどこき使われ仕事が増えるという状況を改善し、優秀な組込みアーキテクトを育てたいだけである。

しかし、組織の上位層やプロジェクトリーダー、技術リーダークラスを動かさなければどうにもこうにも、その目的を達成することはできないということが分かってきた。

組織内のリーダーと呼ばれる人たちがキンバリー・ウィーフリング氏が言うような素養を身につけていかなければ、我々エンジニアの明日はないのではないかと思う。または、自分自身がそのような素養を身につけてリーダーにならないと、自分やその下の者達が浮かばれないように感じている。だから、このようなリーダー論はソフトウェアエンジニアにとっても無縁なことではないと思っている。
 

2008-10-28

リーダーになるための扉を開く

ある雑誌に、米国シリコンバレーを中心に経営コンサルタントとして活躍するグローバル・マネジメント・プログラム(Global Management Programs=GMP) の講師である、Kimberly Wiefing 氏のインタビュー記事が載っていた。Kimberly Wiefing 氏のリーダーシップに対する考え方の一部を見ていただきたい。
Opening the Door

Interviewer: A lot of people will say that you’re either born to be a leader, or you’re not – that if you don’t already have the aptitude for it, you’ll never gain great leadership skills. What do you think about that?

インタビュアー:人がリーダーになるかならないかは、生まれつき決まっている、と言う人は多いと思います-もともと、リーダーとしての適性を持っていなければ、その後もリーダーとしての優れた能力を身につけることはないだろう、と。そうした意見についてどう思いますか?

Kimberly Wiefling: I totally disagree. I think anyone can be a leader if they care about something more than their comfort, if they care about something more than the approval of other people. You may see somebody who’s very quiet, who does not seem to be a great leader. But if you find something they’re passionate about, something that are willing to do something about to make a difference, they will suddenly become a much better leader.
Leadership is not about confidence. Many leaders are afraid. Many leaders are nervous or anxious or worried because they may fail. Leadership is about continuing in the face of fear of fear and being committed to your goals, even if you’re afraid, even if you are worried that you may not succeed or other people won’t like it, because you care more than about the goals than the approval of other people and your own comfort.
I have seen leadership in many faces – every different size, shape, culture, age, many different kinds of people in the right circumstances demonstrate leadership. My job is to open a door and say, “Would you like to step through the door of becoming a great leader?” Each person must make that choice. Everybody is capable of making choice in the right circumstances.

キンバリー・ウィーフリング:まったく賛成できませんね。自らの快適さや、他人からの賛同以上に大事だと思えることがあれば、誰でもリーダーになれると私は思います。とてもおとなしくて、優れたリーダーになりそうには見えないような人もいるでしょう。けれども、そうした人が情熱を注げること、変化をもたらすためにしてみようと思えることを何か見つけてあげれば、突如として格段に優れたリーダーになるはずです。

リーダーシップというのは、自信があるかないかではありません。多くのリーダーは恐れを抱いています。失敗を恐れて緊張したり、不安になったり、心配したりするリーダーは恐れを抱いています。失敗を怖れて緊張したり、不安になったり、心配したりするリーダーは大勢います。リーダーシップとは、たとえ恐くても、うまくいかないかもしれない、ほかの人が気に入らないかもしれないと心配でも、恐怖心に負けずに進み続け、目標達成のために力を尽くすことなのです。それは、他人の賛同や自らの快適さ以上に、目標を気に掛けているからです。

私は、さまざまな人の顔にリーダーの資質をみてきました-体格も体型も文化も年齢も異なる、実にさまざまな人々が、しかるべき状況でリーダーシップを発揮しているのです。私の仕事は、扉を開けて、「優れたリーダーになる扉の向こうに足を踏み入れてみませんか?」と言うことなのです。一人一人がその選択をしなくてはなりません。誰でも、しかるべき状況でその選択をすることができるのです。
キンバリー・ウィーフリング氏の発言で考えさせられるのは、リーダーシップとは自信があるかないかではなく、「たとえ恐くても、うまくいかないかもしれない、ほかの人が気に入らないかもしれないと心配でも、恐怖心に負けずに進み続け、目標達成のために力を尽くすことなのです。」と言っている点だ。「他人の賛同や自らの快適さ以上に、目標を気に掛けているからです。」というところにハッと気づかせてくれるものがある。

人間、どうしたって他人の賛同や自らの快適さに流されてしまいがちだ。目標に対して障壁があると、無意識に回避したいと考えてしまう。しかし、「優れたリーダーは失敗を怖れて緊張したり、不安になったり、心配したりしながらも、目標達成のために力を尽くす」とキンバリー・ウィーフリング氏は言っている。

「たとえ恐くても、うまくいかないかもしれない、ほかの人が気に入らないかもしれないと心配でも、恐怖心に負けずに進み続けることがリーダーシップだ」と言っている。

これを日本人できっぱりと言えるひとは少ないと思うし、まして、リーダーを育成するためのトレーニングをすることができる人もほとんどいないと思う。

創造性と個性にあふれた強い個人」を育む環境を持ったアメリカ人だからこそ言えることかもしれない。

でも、たとえ恐くても、「うまくいかないかもしれない」、「ほかの人が気に入らないかもしれない」と心配でも、恐怖心に負けずに進み続けなければいけないシチュエーションは、社会生活をしている上では少なからず発生する。そこを目標を見据えて乗り切ることがく必要なんだと思う。

その前提条件として、仮に壁を乗り越えられなかったとしても、進むべき道の先にある目標だけは常に認識していなければいけないのだと思う。目標を見定めることもできずに、自らの快適さや、他人からの賛同に流されているようではいけない。