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2010-02-19

アメリカ人に責められたらサムライになれ

20年以上前アメリカ人の監査官とソフトウェア品質についてやり合ったことがある。自分の作ったソフトウェアに対していろいろ質問され、こんな性格だから自信持ってキッチリ答えたつもりだった。

だけど、判定はクロだった。そのときはなぜダメなのかまったく理解できなかったが、後から彼らが求めていることについて調べていくうちにだんだん分かってきた。

【判定クロの理由】
  • エンジニア個人の成果はその個人に由来するものであって、組織的な安全性や信頼性を担保するものではない。検証結果があるだけではダメで、検証の範囲、合否判定基準を明確化し、漏れなく実施するという組織的ルールが存在し、それが実行されていることが求められる。
  • アメリカ人はあらかじめルールを公開している。そのルールを事前に読んでいない、知らなかったは許されない。フェアーに対してアンフェアーな対応は絶対に許されない。
  • 責任あるものの承認行為が必要である。責任あるものはその責務を全うするための資格を持ちトレーニングを受けている必要がある。
自分は20年前の若かりし頃、エンジニア個人としての自信を打ち砕かれる出来事があってから、猛然とアメリカ人が求めていることを学習し理解することに務めた。そして、学習すればするほどアメリカ人の考え方と日本人のエンジニアの考え方に大きなギャップがあることを痛感した。

だから、それ以後ずーっと、アメリカ人と日本人の違い、欧米で体系化された方法論が日本で形骸化する理由について考えてきた。

アメリカ人はフェアーとアンフェアーに非常にこだわる。特に瑕疵(欠陥)があることを知っていたのに隠していたりすることは絶対に許さない。そして、それを見つけたとき末端の作業者ではなく必ず責任者を非難し罰する。

だから、疑いをもたれたら自分達の正当性を責任者が自信を持って説明しなければいけない。日本人はなかなかこれをとっさにはできない。常日頃、責任と権限について考え、アンフェアーを許さないスタンス、言動と行動をとっている必要がある。

曖昧でどっちつかずの対応をしている日本のエンジニアはアメリカ人に責められると徹底的に守勢に回ってしまう。そしてびくびく、おどおどしだし、いろいろな質問に対してグレーなことを指摘されると YES / NO を答えずに言い訳をし始める。そんなシーンをこれまで何度見てきたことか。

品質問題に関してアメリカ人に対峙するときのポイントはつぎの5点だ。
  1. アメリカにおけるルールをおさらいし頭にたたき込んでおく。
  2. そのルールに逸脱しているのかしていないのかという視点だけで物事を考えるようにする。
  3. 質問の意味が曖昧だったり、個人の主観に見えたときは臆せずにどのルールに基づいた質問であるかを聞く。
  4. ルールに反していないのなら自信を持ってその正当性を主張する。
  5. グレーだと思ったら白の要素の根拠を説明し、言い訳はしない。
好き嫌いは別にして、こういう訓練をしているとだんだん日本人の問題点が見えてくるのと同時に、自分自身に武士の魂が宿ってくるような気がするから不思議だ。

豊田社長にはアメリカ議会の公聴会でサムライとして堂々と質問に答えてもらいたい。

※『サムライエンジニア再び』も参照されたし。

P.S.

現在、ソフトウェアの安全と信頼を実現する方法について書いた本を執筆していて、最終段階の校正をしている。3月の終わりの方には書店に並ぶようなスケジュールとなっている。それまでこのブログサイトで少しずつ本のコンセプトや内容の一端を紹介していこうと思う。

もちろん、このブログで主張していること、解説していることも随所に取り入れているので、ブログの読者の方々の期待を裏切らない内容となっていると思っている。

組込みソフトエンジニアを極める』第4章「品質の壁を越える」にも結構書いているんですけどね。

“品質の壁” は、組込みソフトに求められる安全性や信頼性をクリアするために越えなければならない目標です。組込み製品は人の生活に密着しており、組込みソフトは組込み製品をコントロールする頭脳となっているため、そこに不具合があるとユーザーに迷惑がかかるだけでなく、企業全体の信用も失墜してしまいます。企業にとっては製品回収の費用が利益を圧迫しているという現状もあります。組込みソフトエンジニアは、ソフトウェアの品質向上についての理論を理解し、プロジェクトや組織としてその理論を実践することで、製品の安全性や信頼性を確保します。組込みソフトを取り巻く世界は、グローバル化しつつあります。世界全体に広がった市場で、日本の組込み製品、日本の組込みソフトは品質が高いというブランドイメージを守り続けなければ、私たち組込みソフトエンジニアの足下も揺らいでいくでしょう。


組込みソフトエンジニアを極める外伝』より

2010-01-04

立場が変わっても胸張れるように行動しよう

NHKの大河ドラマ『龍馬伝』が始まった。福山雅治が最近、なんでカーリーヘアーにしているんだろうと思っていたら、龍馬を演じるためにそうしていたんだ。

龍馬伝を見ていたら、当時土佐藩には上士(上級武士)と下士(下級武士)の厳しい階級制度があり、下士は上士に逆らえないという理不尽な世界が広がっていた。

これを見ていたふと思ったのは、現代におけるクライアントとサプライヤの関係も同じようなものではないかということだ。クライアントは発注者でサプライヤや受注者という上下関係があるため、基本的にはサプライヤはクライアントに逆らえない。これは坂本龍馬の時代と同じではないかと思ったけれど、絶対に立場が逆転しないわけではない。

クライアントの組織からその人が離れれば、サプライヤの立場になることも大いにあり得る。自分の実力ではなく組織の後ろ盾で偉そうにしている者は立場が変わると本当に情けない。

妹尾河童の小説『少年H』で、戦時中の学校で偉そうにしていて少年Hをいじめていた教師が終戦後に態度が180度変わる場面があった。環境なんていつどんなふうに変わるのかわからない。だから環境や立場が変わったときに情けないことにだけはなりたくないと思う。

ツールベンダーの営業員と話しをするときにこのことを忘れないようにしている。自分が動かそうとしているのは自分のお金ではなく組織の金であり、そのツールに投資するのは、自組織の商品やサービスを向上するために役立てるのであって、それが達成できなかったら自分の責任だ。

だから、そのために自分とツールベンダー、ツールメーカーは協力しなければいけない。技術者教育ベンダーについても同じ事が言える。技術者教育にお金をかけるということは、その結果、技術者のスキルが上がり、結果的に価値の高い商品をリリースすることに貢献できなければならない。

すぐに結果が分かるようなことではないが、「役に立つ」という確信がなければ投資してはいけない。

そのためには、ツールベンダー、ツールメーカー、教育ベンダーにも努力してもらう部分があるし、自分もできる限りの情報を提供する必要がある。

ツールベンダー、ツールメーカー、教育ベンダーも何も言わずにお金だけ払ってくれるお客さんよりも、いろいろな注文を付けながらも長く付き合ってくれるお客さんの方がありがたいはずだ。

クライアントもサプライヤも顧客満足を高めることを第一の目的として行動をしていれば、よりよい互恵関係が築かれ、後から売り上げも付いてくるはずだ。

日頃からそういう行動を取っていれば、立場が逆転したときでも共通の価値感のもと、態度を変える情けない状況にはならないと思うのだがどうだろうか。

2009-12-27

サムライエンジニア再び

年末が近くなるとラジオでは今年一年放送した内容で面白かった話しを流すことが多い。そこで、このブログでもこれまで書いた記事の中で、もう一度思い返したいものを再掲しようと思う。

これまで組織の内外で活動を重ねてきて特に考えさせられるのは、ソフトウェアに関する改善を進めるには人間系の問題を乗り越える、解決する必要があるということだ。技術的な問題よりも人間的な問題の方がハードルが高いことが多い。

そこで思い返したのが、どのようなスタンスで日々を過ごすべきかについて書いた『サムライエンジニア』の記事だ。

人間は弱いものだから、何かしらのよりどころがないと気持ちが折れることがある。折れて肩の力を抜いた方がいいときもあるが、ここは折れてはいけなというときもある。そういうときは自分に負けて流されてはいけないのだ。そういうときが訪れたときはこの『サムライエンジニア』の姿勢を思い出して欲しい。



----- 2008.08.01 『サムライエンジニア』より -----

三冊屋というのが話題だそうだ。一冊ではなく関連のある三冊を束ねて本屋は売って、我々はそれを買って読む。

いろいろなジャンルがある中で、一番人気が次の三冊だという。この三冊の共通する特徴は、「日本を紹介するために書かれた初版が外国語の本」である。三冊合わせて Amazon で買うとちょうど 1533円となり送料が無料になる。

武士道(新渡戸稲造著)
茶の本(岡倉覚三著)
代表的日本人(内村鑑三著)
今は武士道の本を読んでいるが、なんせ新渡戸稲造が生きていたときの時代の本なので言葉が難しい。

まあ、それはそれとして「武士道」を読んでいるうちに、サムライエンジニアという言葉が頭に浮かんできた。サムライエンジニアとは武士道の精神を持ち合わせたエンジニアという意味だ。

自分が考えるサムライエンジニアとは次のような技術者のことだ。(字下げされている部分は『武士道』からの引用)

【義】 サムライエンジニアは義理堅く恩義は忘れない
義理の本来の意味は義務に他ならない。しかして義理という語のできた理由は次の事実からであると、私は思う。すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、そに欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。彼らが義理の権威を形成したことは極めて正当である。何ともなればもし愛が徳行を刺激するほどに強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めねばならない。すなわち人の理性を動かして、正しく行為する必要を知らしめなければならない。
サムライエンジニアは金や権威では動かない。受けた恩義を返すために動く。

【勇】 サムライエンジニアは正しいことを行うときこそ勇気を使う 
勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。孔子は『論語』において、その常用の論法に従い消極的に勇の定義を下して、「義を見てならざるは勇なきなり」と説いた。この格言を積極的に言い直せば、「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」である。
サムライエンジニアは組織や上司の命令あっても、コンプライアンスや顧客に不利益となることは行わない。顧客に不利益となることを指示された場合は勇気をもって義のために反論する。

【仁】 サムライエンジニアは仁愛を持って他者に接する 
仁は柔和なる徳であって、母のごとくである。真直なる道義と厳格なる正義とが特に男性的であるとすれば、慈愛は女性的なる柔和さと説得性を持つ。我々は無差別的な愛に溺れることなく、正義と道義をもってこれに塩つくべきことを戒められた。伊達政宗が「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」と道破せる格言は、人のしばしば引用するところである。
幸いにも慈愛は美であり、しかも希有ではない。「最も剛毅なる者は柔和なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」とは普遍的に真理である。「武士の情け」という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた。武士の仁愛が他の人間の仁愛と種別的に異なるわけではない。しかし武士の場合にありては愛は盲目的な衝動ではなく、正義に対して適当なる顧慮を払える愛であり、また単に或る心の状態としてのみではなく、殺生与奪の権力を背後に有する愛だからである。
サムライエンジニアは誠実な隣人に対して仁愛を持って接する。クライアントとサプライヤの関係や上司と部下の関係を利用することはせず、誠実な技術者には立場を越えて協業する。

【礼】 サムライエンジニアは正当なる物事に対して尊敬の念を抱き礼を尽くす
作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は日本人の著しき特性として、外人観光者を惹くところである。もし単に良き趣味を損なうことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である。真の礼はこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである。それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。何となれば社会的地位に対する尊敬を意味する。
サムライエンジニアは高き技術に素直に感動し、その技術を吸収したいと考えるとともに、その技術、その技術を持つ者を尊敬し礼を尽くす。

【誠】 サムライエンジニアは誠実に徹し、嘘をつかない 
真実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。伊達政宗曰く、「礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる」と。「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」と戒めし昔の歌人は、ポロニウスを凌駕する。孔子は『中庸』において誠を尊び、これに超自然力を賦与してほとんど神と同視した。曰く、「誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし」と。
サムライエンジニアは失敗やリスク、日程の遅れの可能性について嘘をつかない。真実を報告し、問題解決を誠実に遂行する。
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来年もこのブログサイトをチェックしてくださいね。

2009-03-25

侍ジャパンとサムライエンジニアを重ねてみる

WBC決勝でアジアの列強がレベルの高いいい試合をした。めずらしくスポーツ新聞を買って隅々読んでみたら、張本勲氏が次のようなことを書いていた。
 私にとって日本プロ野球は「育ての親」。逆に韓国プロ野球にとって私は「生みの親」になる。1982年、李容一初代事務総長、李虎憲同次長と3人で立ち上げた。当時の目標は、日本とアジアのチャンピオンを争えるレベルまで持っていくこと。そのために何十人もの選手やコーチを韓国に送り込んだ。その韓国が昨年の北京五輪金メダルに続いて大リーガーが参加するWBCで決勝に進出。ここまできただけで感慨無量、私としてはどちらが勝ってもよかった。
  :
 プロ野球75年の歴史を有する日本に対し、韓国は27年。野球部のある高校が4000以上ある日本に対し、約50しかない。そんな中でよくぞ・・・。「アッパレ!」である。
  :
 堅い守りを中心として、恵まれた体格とパワーだけに頼る野球を粉砕したアジアの野球。これを機に日本、韓国の野球がより発展することを願ってやまない。
この記事で感じたのは日本は4000もの高校の野球部が甲子園を目指して日々トレーニングを重ねていて、その下支えがあってWBC優勝という栄光を掴むことができたということだった。

野球選手は、なぜ厳しい練習を続けてそれほどまでにうまくなりたいのか、また、辛くてもがんばれるのか。一つは今回のWBCのようなスポーツの祭典で活躍する選手達を見て自分もいつかそうなりたいと思うからだろう。誰しもヒーローになってみんなから祝福をされたいと思う。

ただし、自分の欲望のためだけでなく、プロフェッショナルのアスリートとしては、自分のプレーを観客に見せ感動し満足してもらいその対価として年俸を受け取るという職業人としての側面も忘れてはいけない。

松坂はWBCの期間中もメジャーリーグのシーズンでも十分に力を発揮できるように自分のコンディションを気遣っていたという。松坂のコメント「代表でも(メジャーリーグの)チームでも両方で結果を残さなければプロではない」。レッドソックスのフランコナ監督は「通常の調整ではないし、急に球数を増やして98球を投げた。帰ってきたら彼にとってベストの(調整)方法を話し合う。」と不機嫌だったそうだ。どちらもプロのプレーヤーとして本業の顧客への満足度が下がらないように気を遣っている。

エンジニアはプロのアスリートのように表舞台に上がることは滅多にない。特に日本では組織を渡り歩くようなコンバートもほとんど発生しないため、技術者としての力を内外に示す機会がほとんどない。

WBCの戦いの中で岩隈は「松坂さんの登板間隔での準備の仕方、当日の試合前のブルペン、そしてマウンドへ・・・。その背中を見て勉強しました。」といい、ダルビッシュも藤川からクローザーとしての気持ちの持ち方や調整方法について教わったと語った。超一流のアスリートの話ではあるが、スポーツの世界ではここぞという場面で勝ったり負けたりしながら、いろいろなことを学び、自分を成長させる機会がある。

エンジニアにはなかなかそういう機会がない。エンジニアの能力を伸ばし、鍛えるためには、組織がチャレンジする機会、チャレンジしたことに対する評価を与える機会を用意する必要がある。アスリートもエンジニアも生身の人間だから、スキルを身につけるために練習する機会が必要という点は同じだ。もしも、組織がその必要性を認識することができないのなら、職場で上司や先輩がそういう場面を作るしかない。チャレンジした結果、評価がプラスであればなおよいが、マイナス面であってもエンジニアにとっては教訓になるから無駄ではない。

大事なのは遠くの目標を見据えて指導することだろう。スポーツ選手はうまくなるために必ずトレーニングをする。そうしないと生き残れないし、高いスキルを得ることができないからだ。ところがソフトウェアエンジニアはどうだろうか。知識労働者としてトレーニングを積んでいると答えられる者が周りに何人いるだろうか。

忙しいからトレーニング(勉強)する暇がないというのは簡単だ。仕事の中でもトレーニングはできる。ソフトウェア開発の方法論についてわかりやすく書いてある書籍を探し、通勤電車の中で読み、自分の仕事に試してみることはやろうと思えばできる。誰かから指示されていないからやらない、試してみていいといわれていないからやらないというのは自分の深層にプロのエンジニアとしての自覚が育っていないからだ。

WBCなどで世界中から優れた選手が集まって一緒にプレーすれば、自ずとプロ意識は高まる。勝負だからやらなければやられる。エンジニアの世界には勝負はないのか? そんなことはないだろう。日々ライバル会社と戦っているはずだし、自分との戦いに勝てば組織の中で発言力を高めることもできるし、高見を目指してコンバートも可能だ。出世することが戦いだとは思わないが、ライバル会社に勝る商品を開発してより顧客満足を得ることができれば、それはエンジニアにとっての勝利だと思う。

現在スポーツのトレーニングは根性だけではなく科学的な要素も取り入れられている。システマティックにやらなければ十分な効果がないし、実際にはよいトレーニングを受けるには費用もかかる。

ソフトウェアに関するトレーニングも同じで、根性だけではスキルは身につかない。費用を抑えたいのなら、よい書籍を複数購入して試してみることが効果的だが、トレーナーが横についてくれる訳ではないのでトレーニングを続けるためには精神力が必要になる。野球なら試合に勝ちたいとか、甲子園に出たいとか、WBCで活躍したいとかいった明確な目標を立てやすい。ソフトウェアエンジニアの場合は自分の中で気持ちがくじけてしまわないような目標を立てるのが難しい。

今仕事で困っていることを解決するためのトレーニングをしようというのは直接的でわかりやすいが、この考え方はあまりおすすめしない。身につけた方法論が目的になってしまう危険性があるからだ。目標を持つならWBCで優勝するみたいな大きな目標がいい。イチローのような尊敬できるプレーヤーに相当するエンジニアを超えるといった目標でもいいかもしれない。

ともあれ、ソフトウェアエンジニアもトレーニングをして自分を鍛えることを続けていかないと決して一流にはなれない。ソフトウェアの世界の変容のスピードは速いのでトレーニングを数年間休んでしまうとすぐにおいて行かれてしまう場合もある。(逆に普遍的なスキルを身につけると陳腐化しない)

WBCを見て思ったのは、みんなを満足させるプレーを見せる(=多くの人を満足させる商品を世に出す)ためには、日々のトレーニングといざ勝負しなければいけないとき※の精神力を磨き続けることが必要なんだということである。

※例えば、顧客満足に背反するような選択をプロジェクトや組織が取ろうとしたときに勇気を持って反対しなければいけないときなど。

P.S.

侍ジャパンを命名した原監督は新渡戸稲造の名著「武士道」を熟読したそうだ。「野球道は武士道に通じる」と語り、選手のあり方についても「誠実、素直、朗らか」をよしとした。エンジニアの方もサムライエンジニアを目指したいものだ。

2009-02-22

西洋の真似をするだけというのはそろそろやめよう

今週のテレビ朝日サンデープロジェクトは次の4方と司会の田原総一朗氏が、「日本の拠って立つものとは?」というテーマで討論をしていた。

西部 邁  (評論家) 
中谷 巌  (三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長)
櫻井 よしこ(ジャーナリスト)
姜 尚中  (東京大学大学院教授)

中谷 巌氏は、過去に自分が行っていた言動(アメリカ流の新自由主義や市場原理主義、グローバル資本主義に対する礼賛言動、構造改革推進発言など)を自己批判し、180度転向したことを宣言した上で、小泉純一郎の行った構造改革を批判、ベーシック・インカムの導入等の提言を行っている。中谷氏の懺悔本という位置づけの『資本主義はなぜ自壊したのか~「日本」再生への提言』が話題を呼んでいる。簡単に言えば、西洋の真似をしようとしたのは間違い(真似するだけではダメ)と言い始めた人だ。

サンデープロジェクトはこの放送でちょうど1000回目を迎え、その節目に日本という国と、その社会の進むべき道として「日本が拠って立つものとは?」というテーマを取り上げた。

戦後、世界第二位の経済大国にまで昇り詰めた日本は、現在、未曾有の不況に直面し、その政治・社会の様相も、大きな転換期に立っている。一体、私達の国と社会は、何を拠りどころとしてここまで歩んできたのか?これから、何をよりどころとして歩んでいくのか?

これを討論した。この討論の中で、櫻井 よしこさんは、「日本が拠って立つものとは?」の問いに、それは「武士道の精神である」と答え、『武士道(新渡戸稲造著)』を引用し、日本人が単一の宗教による影響力なしに一定の規範を持ちながら政治、経済、文化を維持できているのは日本人の中に武士道の精神があるからだと語った。

この話しには思わず「ガッテン」ボタンを3回押した。2008年8月に書いた『サムライエンジニア』の記事を是非読んでいただきたい。この記事から一部引用する。

自分が考えるサムライエンジニアとは次のような技術者のことだ。(字下げされている部分は『武士道』からの引用)

【義】 サムライエンジニアは義理堅く恩義は忘れない 
義理の本来の意味は義務に他ならない。しかして義理という語のできた理由は次の事実からであると、私は思う。すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、そに欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。彼らが義理の権威を形成したことは極めて正当である。何ともなればもし愛が徳行を刺激するほどに強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めねばならない。すなわち人の理性を動かして、正しく行為する必要を知らしめなければならない。
サムライエンジニアは金や権威では動かない。受けた恩義を返すために動く。

【勇】 サムライエンジニアは正しいことを行うときこそ勇気を使う  
勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。孔子は『論語』において、その常用の論法に従い消極的に勇の定義を下して、「義を見てならざるは勇なきなり」と説いた。この格言を積極的に言い直せば、「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」である。
サムライエンジニアは組織や上司の命令あっても、コンプライアンスや顧客に不利益となることは行わない。顧客に不利益となることを指示された場合は勇気をもって義のために反論する。

【仁】 サムライエンジニアは仁愛を持って他者に接する  
仁は柔和なる徳であって、母のごとくである。真直なる道義と厳格なる正義とが特に男性的であるとすれば、慈愛は女性的なる柔和さと説得性を持つ。我々は無差別的な愛に溺れることなく、正義と道義をもってこれに塩つくべきことを戒められた。伊達政宗が「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」と道破せる格言は、人のしばしば引用するところである。
 幸いにも慈愛は美であり、しかも希有ではない。「最も剛毅なる者は柔和なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」とは普遍的に真理である。「武士の情け」という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた。武士の仁愛が他の人間の仁愛と種別的に異なるわけではない。しかし武士の場合にありては愛は盲目的な衝動ではなく、正義に対して適当なる顧慮を払える愛であり、また単に或る心の状態としてのみではなく、殺生与奪の権力を背後に有する愛だからである。
サムライエンジニアは誠実な隣人に対して仁愛を持って接する。クライアントとサプライヤの関係や上司と部下の関係を利用することはせず、誠実な技術者には立場を越えて協業する。

【礼】 サムライエンジニアは正当なる物事に対して尊敬の念を抱き礼を尽くす 
作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は日本人の著しき特性として、外人観光者を惹くところである。もし単に良き趣味を損なうことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である。真の礼はこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである。それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。何となれば社会的地位に対する尊敬を意味する。
サムライエンジニアは高き技術に素直に感動し、その技術を吸収したいと考えるとともに、その技術、その技術を持つ者を尊敬し礼を尽くす。

【誠】 サムライエンジニアは誠実に徹し、嘘をつかない  
真実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。伊達政宗曰く、「礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる」と。「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」と戒めし昔の歌人は、ポロニウスを凌駕する。孔子は『中庸』において誠を尊び、これに超自然力を賦与してほとんど神と同視した。曰く、「誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし」と。
サムライエンジニアは失敗やリスク、日程の遅れの可能性について嘘をつかない。真実を報告し、問題解決を誠実に遂行する。

【記事からの引用終わり】

みなさんの中にもこのような考え方に「うん、確かにそう思う」という気持ちが奥底の方にあれば、それこそ日本人の中に脈々と流れている武士道の精神なのだ。

さて、「日本が拠って立つものとは?」の話しに戻ろう。司会者の田原氏含め5人がいろいろな意見を述べたが、本質的な方向は同じ向きを向いており、最終的な意見は次のようなものであると自分は理解した。
  • 戦後、日本は政治も経済も文化も西洋(特にアメリカ)のやり方を受け入れ、真似をしてここまでやってきた。
  • 今になって、いろいろなことが立ちゆかなくなってきて改めて日本の良さとは何かを考えてみると、「日本が拠って立つものとは?」もともと日本が本来持っていたものが重要であることが分かる。
  • ただし、古き良き時代を回顧するだけでは、グローバル社会で生き残っていけない。
  • したがって、今一度日本人が守ってきた価値観が何であったのかを認識した上で、世界の多用な価値観を拒絶せずに理解し、場合によっては受け入れることが、これからは求められる。
この議論は、日本という国と、その社会の進むべき道についてであり、日本の組込みソフトウェア開発がどうあるべきかというテーマではない。しかし、自分はこの議論を方向性と、「日本の組込みソフトウェア開発がどうあるべきか」の方向性は同じであると確信している。

ソフトウェアは毎日のソフトウェアエンジニアの成果の積み重ねで作られており、再利用性が高まったとはいうものの、未だに毎日毎日おびただしい量のソフトウェアが作られ、かつ、まだまだ日本人が作ったソフトウェアが組込み製品の品質の高さを維持することに貢献していると考えている。

日本のソフトウェアの品質の高さは、日本のソフトウェアエンジニアの特性によるものが大きいというのが自分の持論で、その日本のソフトウェアエンジニアの特性をベースに、西洋のよいところをうまく取り入れていくことがこれからの日本のソフトウェア開発に求められているというのが自分の考えだ。

問題は、もともとの日本の良いところは何なのかを十分に理解しないで、西洋でうまくいった方法論をそのまんま適用しようとする人たちが多すぎるということだ。

先日、日本でMBAの資格を取った同僚と話しをしていて「なぜ」を5回繰り返してことの本質を追求する方法について話しをしていたら、「それって、5 Why 法だろう?」と言われた。「なぜ、なぜ問答」はトヨタで実践されているやり方であり、それが西洋に渡って 5 Why 法と呼ばれるようになったのだというのが自分の認識だ。日本人がやってきた「なぜ、なぜ問答」は「トヨタがやっている」という形容詞が付かないと大して見向きもされないのに、5 Whys Method と英語にするだけで、有効性の高い方法論と捕らえる人がたくさんいるのは、自分はどうしても納得できない。日本人は自分達のプロジェクトでやっている有効性の高い活動の方法をそれがどれだけすごいことなのかまったく意識せずに自慢もせずにコツコツと積み重ねている人たちがたくさんいる。日本人の奥ゆかしい性質が、有効な方法論であっても「こんなにすごいんです」とは言わせないし、「自慢するためにやっているんじゃない」と思って黙々と働く。

スーパーに有効性の高い方法論ではなくても、「なかなかいいね」くらいの努力をほとんどすべてのプロジェクトが漏れなく、かつ一歩一歩確実に実施していて、これを積み重ねれば大きな力、高い品質につながる。日本の組込みソフトウェアの品質が高いのはこれが原因じゃないのだろうか。

「なぜ、なぜ問答」=5 Whys Method と同じような例として、品質機能展開=QFD 、日本的品質管理=QCコントロールなどもある。日本で体系化されたときはあまり盛り上がらず、西洋で認められ逆輸入されると注目される方法論はたくさんある。

日本や日本人の良さをベースに品質管理やソフトウェア品質を語る人はいる。ただし、自分の感覚ではその方達はみな高齢になりつつあり、日本発のソリューションもしくは、西洋で体系化された方法論を日本人向けにテーラリングした成果を発表する若い研究者、エンジニアをあまり見かけないように思う。

確信を持ってその原因が何とは言えないが、思うに自分自身で考えて考えて考え抜いて絞り出した独自の価値観を持つ人が少なくなったことが原因になっているのではないだろうか。テレビなどのマスコミや他人が語る価値観に簡単になびいてしまう、他人の成功体験で自分が成功したような気になってしまう人が多くなっていないだろうか。

西洋発のアプローチは何もかも悪いということではない。自分が言いたいのは、どんなやり方でもいいから最後までやり遂げて、目的を果たして、オリジナルのやり方に対して結果的にどんなテーラリングをしたのか、日本人向けにどんな変更が必要だったのかを見届けてその内容を外に発表して欲しいのだ。

最後の最後に品質を維持しているのは、西洋発のアプローチの力よりも、日本人エンジニアの特性や粘り、頑張りの力の方が大きいということではないよね? ということである。崇高な方法論で指揮されたプロジェクトも実際には、仕事がどんどん下請けに送られ最後は日本人エンジニアの粘りと残業がプロジェクトを支えていることはないかということである。

サンデープロジェクトで「日本が拠って立つものとは?」で語られた話は、実は「日本の組込みソフトウェア開発でも同じなんです」と声を大にして言いたい。

日本の組織では、権限を持っていなくても顧客のことを考えて「こうしよう」と熱く語りかけ、自分を省みずに黙々と働く姿を見せることで、成果を成し遂げる人がいるのを知っている。これは直感だけれども日本的なリーダーシップとは何か、日本的なリーダーシップを鍛える方法論は日本人が確立しなけれいけないのだと思う。

1. 日本人の特性をベースにして、2. 西洋の方法論を上手に取り入れることが大事だと自分は考えている。この順番を崩さない少数派の組込みアーキテクトとしてこれからもいろいろなテーマについて考えていきたい。
 

2008-08-01

サムライエンジニア

三冊屋というのが話題だそうだ。一冊ではなく関連のある三冊を束ねて本屋は売って、我々はそれを買って読む。

いろいろなジャンルがある中で、一番人気が次の三冊だという。この三冊の共通する特徴は、「日本を紹介するために書かれた初版が外国語の本」である。三冊合わせて Amazon で買うとちょうど 1533円となり送料が無料になる。
  1. 武士道(新渡戸稲造著)
  2. 茶の本(岡倉覚三著)
  3. 代表的日本人(内村鑑三著)
今は武士道の本を読んでいるが、なんせ新渡戸稲造が生きていたときの時代の本なので言葉が難しい。

まあ、それはそれとして「武士道」を読んでいるうちに、サムライエンジニアという言葉が頭に浮かんできた。サムライエンジニアとは武士道の精神を持ち合わせたエンジニアという意味だ。

自分が考えるサムライエンジニアとは次のような技術者のことだ。(字下げされている部分は『武士道』からの引用)

【義】 サムライエンジニアは義理堅く恩義は忘れない
 義理の本来の意味は義務に他ならない。しかして義理という語のできた理由は次の事実からであると、私は思う。すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、そに欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。彼らが義理の権威を形成したことは極めて正当である。何ともなればもし愛が徳行を刺激するほどに強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めねばならない。すなわち人の理性を動かして、正しく行為する必要を知らしめなければならない。
サムライエンジニアは金や権威では動かない。受けた恩義を返すために動く。

【勇】 サムライエンジニアは正しいことを行うときこそ勇気を使う 
 勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。孔子は『論語』において、その常用の論法に従い消極的に勇の定義を下して、「義を見てならざるは勇なきなり」と説いた。この格言を積極的に言い直せば、「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」である。
サムライエンジニアは組織や上司の命令あっても、コンプライアンスや顧客に不利益となることは行わない。顧客に不利益となることを指示された場合は勇気をもって義のために反論する。

【仁】 サムライエンジニアは仁愛を持って他者に接する 
 仁は柔和なる徳であって、母のごとくである。真直なる道義と厳格なる正義とが特に男性的であるとすれば、慈愛は女性的なる柔和さと説得性を持つ。我々は無差別的な愛に溺れることなく、正義と道義をもってこれに塩つくべきことを戒められた。伊達政宗が「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」と道破せる格言は、人のしばしば引用するところである。
 幸いにも慈愛は美であり、しかも希有ではない。「最も剛毅なる者は柔和なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」とは普遍的に真理である。「武士の情け」という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた。武士の仁愛が他の人間の仁愛と種別的に異なるわけではない。しかし武士の場合にありては愛は盲目的な衝動ではなく、正義に対して適当なる顧慮を払える愛であり、また単に或る心の状態としてのみではなく、殺生与奪の権力を背後に有する愛だからである。
サムライエンジニアは誠実な隣人に対して仁愛を持って接する。クライアントとサプライヤの関係や上司と部下の関係を利用することはせず、誠実な技術者には立場を越えて協業する。

【礼】 サムライエンジニアは正当なる物事に対して尊敬の念を抱き礼を尽くす
 作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は日本人の著しき特性として、外人観光者を惹くところである。もし単に良き趣味を損なうことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である。真の礼はこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである。それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。何となれば社会的地位に対する尊敬を意味する。
サムライエンジニアは高き技術に素直に感動し、その技術を吸収したいと考えるとともに、その技術、その技術を持つ者を尊敬し礼を尽くす。

【誠】 サムライエンジニアは誠実に徹し、嘘をつかない 
 真実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。伊達政宗曰く、「礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる」と。「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」と戒めし昔の歌人は、ポロニウスを凌駕する。孔子は『中庸』において誠を尊び、これに超自然力を賦与してほとんど神と同視した。曰く、「誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし」と。
サムライエンジニアは失敗やリスク、日程の遅れの可能性について嘘をつかない。真実を報告し、問題解決を誠実に遂行する。

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子供の頃、ウルトラマンや仮面ライダーが好きだった。あの頃の子供向けテレビ番組はみんな勧善懲悪だった。子供の頃のテレビ番組に強く影響を受けるなんて我ながら幼稚だなあと思っていた。でも、よくよく考えてみれば、ウルトラマンや仮面ライダーのベースにあったのは武士道の精神ではないか。21世紀になって、マッハGoGoGoの実写版「スピードレーサー」を見て胸が熱くなってもいいんじゃないかと思う。

サムライエンジニアは強きをくじいて弱きを助ける。ここでいう「強き」とは、例えば権威を笠に着て実力もないのに暴利をむさぼるような巨大組織のようなものだ。子供のテレビ番組では必ずこういう悪者は正義の味方にやっつけられるのだが、現実にはそう簡単にはいかない。

だからこそ、現代のサムライエンジニアは刀を研ぎ、剣術を修得しておかなければいけない。また、持っている刀や剣術の腕をひけらかすこともしてはいけない。そして、ここぞというときに刀を抜き悪を切るのだ。

そんなサムライエンジニアに自分はなりたい。