2009-12-27

サムライエンジニア再び

年末が近くなるとラジオでは今年一年放送した内容で面白かった話しを流すことが多い。そこで、このブログでもこれまで書いた記事の中で、もう一度思い返したいものを再掲しようと思う。

これまで組織の内外で活動を重ねてきて特に考えさせられるのは、ソフトウェアに関する改善を進めるには人間系の問題を乗り越える、解決する必要があるということだ。技術的な問題よりも人間的な問題の方がハードルが高いことが多い。

そこで思い返したのが、どのようなスタンスで日々を過ごすべきかについて書いた『サムライエンジニア』の記事だ。

人間は弱いものだから、何かしらのよりどころがないと気持ちが折れることがある。折れて肩の力を抜いた方がいいときもあるが、ここは折れてはいけなというときもある。そういうときは自分に負けて流されてはいけないのだ。そういうときが訪れたときはこの『サムライエンジニア』の姿勢を思い出して欲しい。



----- 2008.08.01 『サムライエンジニア』より -----

三冊屋というのが話題だそうだ。一冊ではなく関連のある三冊を束ねて本屋は売って、我々はそれを買って読む。

いろいろなジャンルがある中で、一番人気が次の三冊だという。この三冊の共通する特徴は、「日本を紹介するために書かれた初版が外国語の本」である。三冊合わせて Amazon で買うとちょうど 1533円となり送料が無料になる。

武士道(新渡戸稲造著)
茶の本(岡倉覚三著)
代表的日本人(内村鑑三著)
今は武士道の本を読んでいるが、なんせ新渡戸稲造が生きていたときの時代の本なので言葉が難しい。

まあ、それはそれとして「武士道」を読んでいるうちに、サムライエンジニアという言葉が頭に浮かんできた。サムライエンジニアとは武士道の精神を持ち合わせたエンジニアという意味だ。

自分が考えるサムライエンジニアとは次のような技術者のことだ。(字下げされている部分は『武士道』からの引用)

【義】 サムライエンジニアは義理堅く恩義は忘れない
義理の本来の意味は義務に他ならない。しかして義理という語のできた理由は次の事実からであると、私は思う。すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、そに欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。彼らが義理の権威を形成したことは極めて正当である。何ともなればもし愛が徳行を刺激するほどに強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めねばならない。すなわち人の理性を動かして、正しく行為する必要を知らしめなければならない。
サムライエンジニアは金や権威では動かない。受けた恩義を返すために動く。

【勇】 サムライエンジニアは正しいことを行うときこそ勇気を使う 
勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。孔子は『論語』において、その常用の論法に従い消極的に勇の定義を下して、「義を見てならざるは勇なきなり」と説いた。この格言を積極的に言い直せば、「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」である。
サムライエンジニアは組織や上司の命令あっても、コンプライアンスや顧客に不利益となることは行わない。顧客に不利益となることを指示された場合は勇気をもって義のために反論する。

【仁】 サムライエンジニアは仁愛を持って他者に接する 
仁は柔和なる徳であって、母のごとくである。真直なる道義と厳格なる正義とが特に男性的であるとすれば、慈愛は女性的なる柔和さと説得性を持つ。我々は無差別的な愛に溺れることなく、正義と道義をもってこれに塩つくべきことを戒められた。伊達政宗が「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」と道破せる格言は、人のしばしば引用するところである。
幸いにも慈愛は美であり、しかも希有ではない。「最も剛毅なる者は柔和なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」とは普遍的に真理である。「武士の情け」という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた。武士の仁愛が他の人間の仁愛と種別的に異なるわけではない。しかし武士の場合にありては愛は盲目的な衝動ではなく、正義に対して適当なる顧慮を払える愛であり、また単に或る心の状態としてのみではなく、殺生与奪の権力を背後に有する愛だからである。
サムライエンジニアは誠実な隣人に対して仁愛を持って接する。クライアントとサプライヤの関係や上司と部下の関係を利用することはせず、誠実な技術者には立場を越えて協業する。

【礼】 サムライエンジニアは正当なる物事に対して尊敬の念を抱き礼を尽くす
作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は日本人の著しき特性として、外人観光者を惹くところである。もし単に良き趣味を損なうことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である。真の礼はこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである。それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。何となれば社会的地位に対する尊敬を意味する。
サムライエンジニアは高き技術に素直に感動し、その技術を吸収したいと考えるとともに、その技術、その技術を持つ者を尊敬し礼を尽くす。

【誠】 サムライエンジニアは誠実に徹し、嘘をつかない 
真実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。伊達政宗曰く、「礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる」と。「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」と戒めし昔の歌人は、ポロニウスを凌駕する。孔子は『中庸』において誠を尊び、これに超自然力を賦与してほとんど神と同視した。曰く、「誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし」と。
サムライエンジニアは失敗やリスク、日程の遅れの可能性について嘘をつかない。真実を報告し、問題解決を誠実に遂行する。
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