2014-01-12

ヘルスソフトウェアの市場に新規参入しようとしている方達へ

電通大のにしさん(ハッシュダグ @YasuharuNishi) が Twitter で清水 吉男さんのブログの記事『国内回帰の動きの「陰」』に同調して、
つまり我々は、単価ではなくて技術力を理由とする国内ソフト産業の空洞化が始まっているという動きを無視してはいけないのだよ。要するに、スキル向上の施策も採らず組織改善にも取り組まず進化のかけらもない日本のソフトハウスは早晩倒産してしまうのだ。
とつぶやいていた。まったくその通りだと思う。

日本の経済環境変化の話題として、政府の旗振りの影響もあってか、医療や医療機器産業をを産業振興の柱のひとつにしたいという話がにわかに盛り上がってきている。

これまで医療機器ドメインを主力にしていなかった企業がヘルスケア事業に乗り出すことを発表したり、ヘルスユース目的のアプリケーションソフトを作る会社が増えてきた。

ヘルスユースのアプリケーションソフトウェア(ヘルスソフトウェア)はいろいろな用途に使え、ネットワーク接続できる汎用のプラットフォーム(iPhone, iPad, アンドロイド端末)が普及したことで、世界中で爆発的に増えている。中には iPhone の内蔵カメラで撮影した画像を解析し皮膚がんかどうかを診断できるとうたったものもあるらしい。

このような新しい分野への雪崩のような進出により、市場では大小様々な問題が発生していると聞く。そういうときに真っ先に動くのが米国 FDA(食品医薬品局)だ。

例えば、下記のようなアプリは 米国FDA は法規制が必要な医療機器だと認識はしているが、執行裁量権を使ってとりあえず規制を保留すると決めたアプリの例だ。ようするに、この手のアプリは雨後の竹の子のようにどんどん世の中に出てくるが、リスクが高いとは言い切れないので、とりあえずグレーゾーンに分類しておいて、市場で事故でも起こりようものなら、すぐに規制するぞというアプリだ。
  • 禁煙しようとしている喫煙者、中毒から回復中の患者、または妊婦に定期的に教育情報、リマインダー、意欲を起こさせるガイダンスなどを提供するモバイルアプリ。
  • 喘息患者に喘息症状を引き起こす恐れのある環境条件を警告する、または中毒患者(薬物乱用者)に予め特定された高リスクの場所に近づいたときに警告するために、GPSによる位置情報を使用するモバイルアプリ
  • 患者または介護者が最初の応答者に警報または通常の緊急事態通知を作成し送信できるようにするモバイルアプリ
  • 患者に自身の健康情報、例えば前回受診の際に把握された情報へのアクセスまたは過去のトレンド分析およびバイタルサイン(例、体温、心拍数、血圧、呼吸数など)の比較などへのポータルを提供するモバイルアプリ
出典 米国FDA 発行 『Mobile Medical Applications Guidance for Industry and Food and Drug Administration Staff』 Appendix B Examples of mobile apps for which FDA intends to exercise enforcement discretion

日本は FDA のような対応はそう簡単にはできない。そこで、あまり詳しいことは書けないが、今、ヘルスユースのソフトウェア開発に進出しようとしている方達に安心安全なソフトウェアを提供するにはどうすれば良いのかについて議論してガイドラインを作ろうとしている。

興味のある方は経済産業省から出ている「医療用ソフトウェアに関する研究会-中間報告書」を読んでみるとよい。

これに関連して自分達は、先を行っている経験者として、新規参入する方達にヘルスケアドメインの製品やソフトウェアを開発する際に、何が重要であり、どんなスキルを身につける必要があるのかをまとめている。

そして、新たに身につけるべき知識技術について議論していると、この分野の外にいた方達から「ハードルが高すぎる」「分かりにくい」「平易な表現でないと新規参入の妨げになる」という声が聞こえてきて、暗に「そんなもん、役に立つのか」と言っているように感じる。

欧米人が中心になって作った国際標準を神の啓示かのようにあがめ奉って、「そんなことも知らないのか」という態度を取る人達は嫌いだが、国際標準が求めることの意味や中身を理解しようともせずに、ただただ「面倒だ、役に立たない」と決めつけ、日本という島国のガラパゴス市場に引きこもる日本のソフトウェアエンジニアはもっと嫌いだ。

前者は手段が目的になっており、後者は目的がなく、ただ今という時間に流されている。オフショアをやめて国内回帰すると組織が決めたら「はいはい」と言って、指示に従う「どうせどうせ子ちゃん」のようだ。

日本のソフトウェアエンジニアはどうしちゃったんだ?と思っている。

よっぽど、自分達のソフトウェアの品質に自信があるのか分からないが、他のドメインでやられているが自分が知らないこと、新しいことはすべて余計なことで、自分達がやっているやり方だけが正しいというのか。

自分はヘルスソフトウェアの分野に新規参入してくる方達にまず、安全(セーフティ)とは何かを教えるためには何をすればいいか今、考えている。

そこで作ったのが冒頭のスライドだ。ヘルスソフトウェアの開発プロジェクトはヘルスソフトウェアを作って、ヘルスソフトウェアのユーザーとなる介護領域の方々や、持病を持った個人、医療機関などに使ってもらう。

そのソフトウェアが優良であれば、健康の増進、病気の予防などに貢献し、ユーザーに感謝してもらえる。「ありがとう」の声を聞くこともできる。

話がそれるが、自分は テレビ東京の和風総本家スペシャル「世界で見つけたMade in Japan」 が大好きで、いつも見ている。この番組でメイドインジャパンの逸品が世界のユーザーのところで役に立っているところをスタッフがビデオに撮って字幕を入れて、職人さんたちに見せるシーンがある。職人さんたちも工場のスタッフもみんなで食い入るようにモニタを見つめ、涙を浮かべる者もいる。自分達が苦労して作った製品が、海の向こうで役に立っていることを目の当たりにし、作り手側の感謝の気持ちと、さらなるやる気が満ちあふれてくる。

冒頭の図はこのことをヘルスソフトウェアの開発に新規参入する技術者達に伝えるために作った。

和風総本家 「世界のメイドインジャパンを紹介!イタリアの職人が愛用するモノとは?」 2013年12月19日 テレビ東京 より引用』
【出演者】萬田久子、東貴博、梅宮辰夫、八嶋智人、マギー 【進行】増田和也
▽イタリアのバイオリン職人が愛用する小さなノコギリ
昔ながらの手作りで作っているノコギリ職人の方が、 大手企業の「替刃式の大量生産型ノコギリ」の開発により苦境に陥りながらも 新商品の開発や販売方法の改善により、今でも伝統的なノコギリ職人を続けているという内容です。
現在はイタリアの伝統的なバイオリン「ストラディバリウス」の修復にもそのノコギリが使われているそうです。 手作りで作ったノコギリは刃が真っ直ぐで、精密な作業をするのには欠かせないそうです。 そういったように、大量生産商品に比べると価格的には負けてしまいますが、 質が良い商品は、ターゲットを選び販売方法を変えれば十分勝負ができるようになる可能性があるということが分かる番組でした。
『引用終わり』

自分は医療機器メーカーに勤めて28年、自分達が作った製品が社会に貢献していることをモチベーションにして仕事の励みにしてきた。エンジニアのモチベーションは決してサラリーだけではない。自分達の商品が社会の役に立っていると実感することが、日々を困難を乗りきる動機付けになっているのだ。

組織内ではこのことを技術系の新入社員に話すことにしているが、今はこの分野に新規参入しようとしている企業やエンジニアに話す立場になりつつある。

ただし、冒頭の図で重要なのは「社会貢献」や「ありがとう」の気持ちをもらえるのは、「優良な」ソフトウェアを提供した開発プロジェクトだということだ。

意図しない動きを平気でするようなソフトウェアではダメなのだ。このことがなかなか伝わらない。どんな分野だってプロフェッショナルとしての誇りがあるのなら、自分達の仕事に対して自信とその自信を裏付ける技術、お客さんに対する責任感を持っているはずだ。

社会貢献の裏には大きな責任がある。ヘルスユースで役に立ちたいのならば、背負うもの、身につけるべき技術があると言いたい。

でも、必要な技術を習得できればそのスキルが組織のコアコンピタンス(核となる能力)となるし、企業の体質を強化しユーザーとのつながりが強いビジネスができるようになり、不況に強く安定的な利益を生み出す基礎体力(底力)を得る。次のようなメリットがある。
  • 簡単には真似できない企業の強みとなる
  • 競争力が付けば差別化が図れる
  • 安全なヘルスソフトウェアを作れるという自信につながる
そういうレクチャーをしても心に響かない人や、新たに身につける必要のある技術を「面倒だ。役に立たない」と決めつける者がいる。

そういう人達は結局は世界一厳しい目を持つ日本のユーザーからそっぽを向かれることになる。「どうしちゃったのか日本のエンジニア」 と言いたくなるシーンが増えている。

日本の製品の多くは今だに世界一の品質を誇っているというのに、「自分達のソフトウェアの安全を自信を持って主張できないのかよ」と言いたい。

医療系のソフトウェアに新規参入しようと考えている技術者に言いたいのは、成熟した社会は安全への対価は惜しまない、しかし、信頼を裏切る製品やサービスは市場には残れないということだ。

利益の裏側には責任が伴うということなのだ。ソフトウェアだからリスクはないと思っているのは間違いだ。このことに早く気づいた方がよい。

「何でもいいから作りゃいいんでしょ」という考え方では感謝される商品も作れないし、エンジニアとしての成長もない。

P.S.

冒頭の図の右側の4つのイラストは無料のイラストサイトからダウンロードさせてもらった。左側のプロジェクトのイラストはいい物がなかったので、有料のサイトから1点、約400円で個人的に購入した。たかが図のためと思うかもしれないが、大事なことを伝えるのに必要だという判断だ。右側のようなイラストが無料であるということは、世の中でこのようなヘルス関係のイラストの需要は多いということだ。だから、個人ユースのヘルスソフトウェアの市場は大きい。ただ、単価は高くない。だからといって、いい加減なソフトウェアを作っていたのではこの市場で生き残れない。