『ピープルウエア―働きやすい職場をつくる人間関係の極意』(日経BP社)の著者で構造化分析手法を生み出し、プロジェクトマネジメントの“人間系”にいち早く注目したソフトウエア分野の有名人であるトム・デマルコ氏は2004年のソフトウェアテストシンポジウム JaSST'04 に招かれ、基調講演でISO9000やCMMIといったプロセスアプローチをボロかすに言った。(このときのインタビュー記事)
JaSST'04 のパネルディスカッションでは、広島市立大学の大場充先生(最近の著書:ソフトウェアプロセス改善と組織学習―CMMを毒にするか?薬にするか?)を相手にソフトウェア工場的な考え方についてもかなり否定的だった。あまりにも、きっぱりと否定するので「そこまで言うことはないんじゃないか」という気にさえなった。(大場先生も上記の著書で、きちんとCMMのとらえ方について解説している。)
今、組込みソフトの世界では ISO9000やCMMIといった国際標準となった没個性的な規格・基準に取り組もうをしている組織も多いと思うが、一方でIT系ではeXtrem Programming やアジャイルといった、プログラマ個人にスポットを当てたソフトウェアの開発アプローチが注目されている。端から見ていると没個性に反発したソフトウェアエンジニアがプログラマの復権を目指して一揆を起こしているようにも見える。
どちらが正しいとか間違っているとかいうことではなく、今日のテーマは、日本の組込みエンジニアにとって ISO9000やCMMI は「何か違う」という違和感を感じませんか という問いかけである。
違和感の一番の原因は、多くの日本の組込みソフトウェア開発では開発の最初から最後まで、特定のエンジニアがずっと関わっているため、開発の工程をブチブチ切って、工程の切れ目でいちいち成果物を審査するのがまどろっこしく、開発効率を落とすことにしかつながらないように感じるからではないかと思う。しかし、それとは別に欧米人が作った(正確には欧米人の声が大きいので彼らの主導になりやすい)規格・基準に違和感を感じるのは、欧米人と日本人の考え方の違いの差に何か原因があると常々考えている。
そこで、欧米人(特にアメリカ人)と日本人の考え方の違いについて理解するのに役立つ本を紹介したい。
アメリカ人と日本人―教科書が語る「強い個人」と「やさしい一員」
比較文化論の本は星の数ほどあると思うが、この本は絶対におすすめだ。もし、グローバルマーケットで商売をしており、海外からの監査で「何であいつらはこんな要求をするのだろう」と悩んでいるソフトウェアQA担当がいたら、この本を読むといい。
なぜ、この本がいいのか。それは理由がある。なぜなら、アメリカ人と日本人―教科書が語る「強い個人」と「やさしい一員」は、今井康夫さんという通産省(旧名称)の役人が著者であり、自分の子供達が小学校で受けたアメリカで教育と日本の教育の違いに驚き、アメリカの小学生の教科書と日本の小学生の教科書を客観的に比較して分析しているからである。
教科書が元ネタなので、主観が入りにくいし、日本人から見てどんなに違和感があっても、アメリカの小学校の教科書に書いていることだから、アメリカ人にとってはすんなり受け入れられているという確証がある。
この本はたまたま、リアル書店の池袋ジュンク堂で見つけた掘り出し物だ。
この本を書いた今井康夫さんは通産省の役人でアメリカワシントンDCに勤務していた3年間で自分の子供が接したアメリカの教科書と日本の教科書の内容を分析した。
対象としたのは国語の教科書であり、特に思想を教育するための教科書ではないため、そこに取り上げられた題材はすべて一般的なアメリカ人や日本人が当然と思って感じているという点が客観性を高めている。
この本には数々のおもしろい話しが載っているのだが、ここではひとつだけアメリカと日本の象徴的な違いの例を引用しようと思う。
まず、本の中で今井氏は「創造性と個性にあふれた強い個人」のアメリカと「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の日本というように書いている。この認識は一般論として我々もある程度わかっていたと思う。
しかし、以下の例を見ると具体的にその違いがわかる。
【アメリカ人と日本人―教科書が語る「強い個人」と「やさしい一員」から引用】
以下のクイズは アメリカの教科書を題材にしたものである。
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クイズ2 『絵は苦手だ』(アメリカの1年生の教科書)
図画の時間、将来、何になりたいかを描くことになり、クラスメートは、医師や弁護士、科学者、ダンサー、サーカスの団員といろいろな絵を描きました。しかし、ジムは絵が苦手だし、何になりたいかもわからないといって、何も描きません。
問1 そんなジムに教科書の中の先生はどんな指示をしたか?
問2 この後のストーリー展開は?
答1 先生は、それなら何を描いてもいいよと指示する。
答2 ジムは、抽象的な絵を描いた。すると、その絵がとてもすばらしかったので、ジムは友達に、大きくなったらきっと画家になるよとほめられ、先生にも、画家になれるよといわれる。やがて、ジムはみんなのことばを信じ始める。それは美しい絵だったし、ジムがそれを描いたのだ。
それぞれの人間の【個性を尊重すべし】という話しである。日本的なしつけの観点からは、少々抵抗感がある。先生のいうことが聞けない子供を、教科書の中で先生までがほめてしまうのは、日本人には容認できない内容であろう。
この話しの最後のシーンは、クイズ1で紹介した「ニックの仲間入り」にとても似ている。絵が苦手だったジムが足が不自由で車いすを使っているニックが、他の子供達よりもすばらしいことを成し遂げた時の誇らしく、高揚した気持ちが伝わってくる。アメリカの子供はこうして自信を付けていくのだ。
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クイズ5 『二人はともだち』(二年)
リスが森に引っ越してきた。アヒルはすぐにリスと友達になり、リスのためにウェルカムパーティを開いた。熊はいちご摘みや雑草取りが忙しく、リスに関心がなかったので、パーティに贈り物を持って行かなかった。
問 さて、この後、クマはリスと友達になるのだが、その契機は何か?
A) リスが黙って、クマの畑の雑草取りを行い、クマに喜ばれ、二人は仲良くなる
B) ホストとしての責任を果たせなかったアヒルが、二人だけをもう一度自宅に招待し、仲を取り持つ
C) ひとりだけ贈り物を持って行かなかったクマが、非礼に気づき、恥ずかしく思い翌日リスを自宅に招待する。
答 A)
【強い個人】を核としてできているアメリカ社会においては、人間みな兄弟、みんな仲良しと唱えるだけで友人ができるものではない。「友人をつくるにも努力が必要」なのである。
教科書には、クラスで一緒に考えてみましょうという設問コーナーがあり、そのひとつに「結局、何がクマにリスと友達になろうと決心させたのか?」というものがある。これに対する教師用の解説書での模範解答は「リスがクマの畑の雑草取りをして、自分がよい友達であることをクマに示したから」とある。これが日本の教科書なら、相手の気持ちを考えなかったクマが何かをきっかけに、それに気づき、反省するという話しになったであろう。
日本では友達は自然にできるものであり、米国では友達は努力してつくるものである。
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【引用終わり】
「創造性と個性にあふれた強い個人」の分析として
・強い個人
自分が自分であることを明確に意識し、
たとえ、つらいことがあっても、きちんと自己の置かれた状況を認識でき
恥ずかしがらずに、自分の主張を堂々と行い
人に頼らず、自立心、独立心が旺盛で、
自ら責任を負い、他人や社会に転嫁することなく
強い意志を持ってパニックに陥らず、難局に立ち向かう
・創造性と個人に富んだ個人
ひとりひとりの創意工夫を重んじ
なにごとにも興味と関心、好奇心を持ち
新しいことに果敢にチャレンジする精神を持ち
画一化を止めず、それぞれの個性を尊重し
人それぞれに長所があることを信じ、長所を発見、尊重する
・親子、兄弟であっても基本的には別々の個人
・友達をつくるのにも努力が必要
・「フェア」「アンウェア」という言葉の広さと深さ
・人種や祖先への細かい配慮
・機械や技術を素直に評価する態度
・「fun」を好み、ユーモアを楽しむアメリカ人の陽気な性格
「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の分析として
・暖かい人間関係の一員
・やさしさを持つこと、相手の気持ちになることが大切
・自己犠牲の精神に与えられる高い価値
・高い評価を受ける求道精神、名人
・社会問題や戦争など社会派的な読み物
・公徳心やしつけに関するもの
・自然、科学、歴史、伝記など価値中立的で解説的な読み物
・「深刻な話」に取り組む日本人の生真面目な性格
といったことがまとめられている。
この本で紹介されているアメリカの小学校の教科書の内容はとてもおもしろいので飲み会の席では上記のクイズを出して話を盛り上げるのに使わせてもらっている。
国家の品格を読むのもいいが、こちらの本の方がより客観性があって説得力がある。「強い個人」と「やさしい一員」これって、当を得ていると思う。
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