2009-02-23

人と人をつなぎまくると物事はスムーズに流れる

今日の話題は、『人と人をつなぎまくると物事はスムーズに流れる』というテーマで、「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という特性を持った日本人が形だけ「創造性と個性にあふれた強い個人」のシステムを使おうとするとどうなるかという一例を紹介したい。

さて、今日「TBSラジオの久米宏 ラジオなんですけど」を聞いていたら、大分トリニータの社長 溝畑宏さんがゲストに来ていて、大分トリニータがナビスコカップで優勝を遂げ、地元に定着して地域振興に貢献するようになるまでの苦労と、サッカーチームをベースにして地域振興にかける溝畑さんの熱い想いを語っていた。

溝畑さんは、東京大学法学部卒、1985年自治省(現総務省)入省、1990年大分県に出向して、役人らしからぬ強い思いで大分をサッカーで盛り上げようと考える人だ。2006年に総務省を退職して、大分トリニータの社長として身を粉にしてチームと地域のために働いている。

お父様は溝畑茂 京都大学名誉教授、お母様は放送局のアナウンサーだったそうだ。父からは「厳しい道と楽な道があったら、厳しい道を選べ」と言われ、母からは「下を向かずに上を見て目立ちなさい」と言われて育った。

若干30代中盤の溝畑さんが大分で大分トリニータの設立等を進めているときに、県のお偉いさんたちに「溝畑さん、田舎では身の丈以上のことをしようと思ったらダメなんですよ」と言われカチンときて「あんた達の身の丈はこれくらい(20センチくらい)かも知れないが、自分の身の丈はこれくらい(2メートルくらい)なんだ。そんな考えだから、地方が活性化しないんだ。」と叫んだそうだ。

その後の溝畑さんの活躍を見れば分かるように、溝畑さんは「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という特性を持った日本人の環境の中で、親から教えられた「創造性と個性にあふれた強い個人」のとしてのリーダーシップを発揮することで、閉塞した環境をブレークスルーしたと考えられる。

今、まさに不況のまっただ中でプロサッカーチームを運営するのは非常に苦しいらしい。しかし、溝畑さんは「逆境よ、ようこそ」という気持ちで、人の3倍働くことで乗り越えるつもりだと語っていた。これまでも7回ほど、もうダメだという逆境があったが、それを乗り越えることで成長してきたと言う。逆境がなければこれほど成長もしなかったと。

今回の話しは、溝畑さんの話に比べるととてもスケールの小さいちっぽけな話しだが、本質は近いところがあるように思う。組織内で問題解決のためのシステムがうまく機能せず、人と人をつなぎまくって問題を解決したという話しである。「創造性と個性にあふれた強い個人」の世界で構築されたシステムを「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」が導入しただけでは物事は流れていかないという例だ。

さて、例えば、ある組織で組織内のインフラをサポートするための部署を作ったとする。ITが発達した今日、対外的なITサポートも増加する一方、組織内のITサポートも個々の担当者レベルでは対応しきれなくなってきた。

そこで、ITサポート部隊は会社対会社で行われているようにサポート窓口(電子的な窓口)を作って、そこからいろいろなリクエストを受け付け対応するようにした。昔なら依頼書で動くところを、電子的な申し込みに対して、電子的に回答をするというシステムだ。やりとりの履歴がすべて残るので後々データを整理したりする際には便利である。

そこで、ITインフラを担当する部門に動いてもらわないと解決しない問題が発生した。いろいろな問題が絡み合っているのは分かっているが、残念ながら担当部門の中で誰が何の役割を担っているのか分からない。普段なら問題の解決についての情報を知っている人にあたりを付けて、そこにアクセスしながら情報を探り全体像を明らかにしていくのだが、今回に限って言えば誰にアクセスすればいいのか今ひとつ見えてこない。そこで、電子的なサポート窓口を使って調査依頼を出した。

後で分かったのだが、担当部門には複数のチーム(例えばAチーム、Bチーム、Cチーム)があり、今回の問題はBチームとCチームが動かないと解決できない問題だった。ところが問い合わせを受けたAチームは解決すべき問題の全容を理解していないため、BチームとCチームに相談することをせず、部門内でも電子システムをメッセンジャーとして使い、解決したい目的を理解せずに現象だけをBチームやCチーム別々に伝え、埒があかないという現象が発生した。

相手がブラックボックスの組織ならどうしようもないが、同一組織内の他部門ならもっとなんとか打つ手はあるはずだ。結局、いろいろなことを聞きまくることで、BチームとCチームが問題解決に関係していることがわかり、彼らに直面している障害を伝え協力してもらうことで問題は解決するめどが立った。

実は、この件は自分自身の直接的な業務の問題ではなかった。ある開発現場の効率を高めるために取り除く必要がある障害だった。当事者ができないことを解決する方法が分からなくてあきらめているのをみて、コーディネートしたのだ。「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の技術者は自分達の不便は自分達が我慢することで何とかなると考える人たちが大勢いる。「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」のマイナス面だ。顧客満足向上という遠くの目標達成のために、取り除くべき障害があっても、そのままにして効率の悪い状態を放置してしまうのだ。こういう状況は放置しておくと巡り巡って技術者自身の残業の増加や顧客に対するコストアップなどの不利益となって降りかかってくる。結果的に不利益が生じることをはっきり認識している訳ではないので未必の故意(※)とは言えないかもしれないが、決してほめられたことではない。
※未必の故意 - 実害の発生を積極的に希望ないしは意図するものではないが、自分の行為により結果として実害が発生してもかまわないという行為者の心理状態。
このような各部門の各技術者が抱えているちょっとしたあきらめを見つけて、誰がどこまでを認識していて何を認識していないのか、誰と誰を結びつけると解決しそうかを調査して、関係者が断片的に持っている情報を総合的に分析して人と人をつないであげると物事がスムーズに流れ改善が進む。

誰と誰をつなぎ合わせると問題を解決できるのか分かってくると、逆にどうしてこんな簡単なことで多くのことが滞っているのか、改善の機会を止めてしまっているのかが見えてきて、そんなくだらないことで立ち止まっているのかとだんだんバカバカしくなってくる。

同じ部門内の中でちょっとだけ話しをすれば解決できる問題も、システムを通すとつなぎがうまくいかなくなることがある。これはシステムを都合良く利用しながら、システムを隠れ蓑にして問題解決の勇気や義務を放棄して「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の特長を殺している人間がいるからなのだ。

システムが組織内でうまく機能しない場合は、うまく言っていない点を報告し是正を要求する。これを繰り返すことで、システムは生き続けることができる。改善のプロセスが重要視されているのはそのためだ。逆に言えば、改善のプロセスを回すことができない組織がシステムを導入するとシステムは必ず形骸化する。システムの裏で技術者は「あれは役に立たない」とささやきながら、自分達のやり方で物事を進めようとする。

「創造性と個性にあふれた強い個人」の世界では責務を果たしていない個人や部門があることが分かったら、状況を発見した個人や部門には是正を要求する義務がある。是正を要求しなければ改善は進まないというシステムなのだ。それを理解していない組織はシステムを形骸化させる。

何からしらの「システム」を導入して、なぜうまくいかないのだろうと悩んでいる方がいたら、「あいつらが自分達の責務を果たしていないから」と愚痴を言っているのではなく、是正を要求しないとシステムの本来の効果が活きてこないし、放っておくとシステムが腐ってくる。

システムを改善していくのもいいが、日本人の「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という特長を活かすのなら、まずは人と人とをつなぐことで問題を解決することを推奨したい。単に人と人をつなぐだけでなく、AさんとBさんがいがみ合っている場合は双方に「あちらは、こちらがこんな事をしてくれるととても助かる、いつも感謝しているといっていましたよ」などと言うと流れがよくなることがある。「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の世界では是正を要求するよりも、問題解決に必要な人と人をつなぐ方が改善が進むスピードが速いことが多い。

「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の特性を活かして、物事を滞らせている原因を探偵になったつもりでヒアリングにより調査し、人と人とつなぎまくることで情報の流れをよくし問題を解決する。これがうまくいくと、うまく行かなかった原因がいかにバカバカしい小さなことであるかがわかり、「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の世界で必要なリーダーシップとは何かが見えてくる。コーチングとかティーチングといったテクニックではなく、当事者達とコーディネータとなる自分という関係性の中で、どの情報を誰にどうやって伝えれば問題解決するのか、ケースバイケースで最善策を考える。

「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の世界の中で人と人とつなぎまくることで、問題が解決されると、つなぎまくって問題を解決した人はそれまで困っていた人たちに感謝される筈だ。セクショナリズムが蔓延し、たこつぼ状態になっている組織では、コーディネータの役割を担おうと立ち上がった者が「これは自分の仕事ではない」とか「自分が動くとバカを見る」と思ってしまうと組織の硬直化はますます進んでしまう。

そうなると、コーディネータのエネルギー源は、困っている人の問題が解決したときの当事者からの感謝の言葉や、顧客満足を高めることができたときの満足感でしかないのだ。コーディネイトすることで問題解決を請け負っている人はコーディネイト成功の感謝の気持ちを対価に置き換えることができるが、組織内の場合はお金は動かないから感謝の気持ちを糧にするしかない。

「人と人をつなぎまくると物事はスムーズに流れる」、これは「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の世界だからこそ有効なアプローチだと感じる。逆に「人と人をつなぎまくると物事はスムーズに流れる」が通りにくい組織は黄色信号が点っていると考えた方がいいだろう。日本では人と人をつなぐ心やその役目を担う人がいないとせっかく導入したシステムもいずれは死んでしまう。死んでしまったシステムの利用者達にヒアリングして調査すればセクショナリズムやたこつぼ化が組織に蔓延しているのがわかるはずだ。

PS.
「創造性と個性にあふれた強い個人」と「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の元ネタを知りたい方はこちらの記事をお読みください。
 

2009-02-22

西洋の真似をするだけというのはそろそろやめよう

今週のテレビ朝日サンデープロジェクトは次の4方と司会の田原総一朗氏が、「日本の拠って立つものとは?」というテーマで討論をしていた。

西部 邁  (評論家) 
中谷 巌  (三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長)
櫻井 よしこ(ジャーナリスト)
姜 尚中  (東京大学大学院教授)

中谷 巌氏は、過去に自分が行っていた言動(アメリカ流の新自由主義や市場原理主義、グローバル資本主義に対する礼賛言動、構造改革推進発言など)を自己批判し、180度転向したことを宣言した上で、小泉純一郎の行った構造改革を批判、ベーシック・インカムの導入等の提言を行っている。中谷氏の懺悔本という位置づけの『資本主義はなぜ自壊したのか~「日本」再生への提言』が話題を呼んでいる。簡単に言えば、西洋の真似をしようとしたのは間違い(真似するだけではダメ)と言い始めた人だ。

サンデープロジェクトはこの放送でちょうど1000回目を迎え、その節目に日本という国と、その社会の進むべき道として「日本が拠って立つものとは?」というテーマを取り上げた。

戦後、世界第二位の経済大国にまで昇り詰めた日本は、現在、未曾有の不況に直面し、その政治・社会の様相も、大きな転換期に立っている。一体、私達の国と社会は、何を拠りどころとしてここまで歩んできたのか?これから、何をよりどころとして歩んでいくのか?

これを討論した。この討論の中で、櫻井 よしこさんは、「日本が拠って立つものとは?」の問いに、それは「武士道の精神である」と答え、『武士道(新渡戸稲造著)』を引用し、日本人が単一の宗教による影響力なしに一定の規範を持ちながら政治、経済、文化を維持できているのは日本人の中に武士道の精神があるからだと語った。

この話しには思わず「ガッテン」ボタンを3回押した。2008年8月に書いた『サムライエンジニア』の記事を是非読んでいただきたい。この記事から一部引用する。

自分が考えるサムライエンジニアとは次のような技術者のことだ。(字下げされている部分は『武士道』からの引用)

【義】 サムライエンジニアは義理堅く恩義は忘れない 
義理の本来の意味は義務に他ならない。しかして義理という語のできた理由は次の事実からであると、私は思う。すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、そに欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。彼らが義理の権威を形成したことは極めて正当である。何ともなればもし愛が徳行を刺激するほどに強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めねばならない。すなわち人の理性を動かして、正しく行為する必要を知らしめなければならない。
サムライエンジニアは金や権威では動かない。受けた恩義を返すために動く。

【勇】 サムライエンジニアは正しいことを行うときこそ勇気を使う  
勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。孔子は『論語』において、その常用の論法に従い消極的に勇の定義を下して、「義を見てならざるは勇なきなり」と説いた。この格言を積極的に言い直せば、「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」である。
サムライエンジニアは組織や上司の命令あっても、コンプライアンスや顧客に不利益となることは行わない。顧客に不利益となることを指示された場合は勇気をもって義のために反論する。

【仁】 サムライエンジニアは仁愛を持って他者に接する  
仁は柔和なる徳であって、母のごとくである。真直なる道義と厳格なる正義とが特に男性的であるとすれば、慈愛は女性的なる柔和さと説得性を持つ。我々は無差別的な愛に溺れることなく、正義と道義をもってこれに塩つくべきことを戒められた。伊達政宗が「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」と道破せる格言は、人のしばしば引用するところである。
 幸いにも慈愛は美であり、しかも希有ではない。「最も剛毅なる者は柔和なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」とは普遍的に真理である。「武士の情け」という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた。武士の仁愛が他の人間の仁愛と種別的に異なるわけではない。しかし武士の場合にありては愛は盲目的な衝動ではなく、正義に対して適当なる顧慮を払える愛であり、また単に或る心の状態としてのみではなく、殺生与奪の権力を背後に有する愛だからである。
サムライエンジニアは誠実な隣人に対して仁愛を持って接する。クライアントとサプライヤの関係や上司と部下の関係を利用することはせず、誠実な技術者には立場を越えて協業する。

【礼】 サムライエンジニアは正当なる物事に対して尊敬の念を抱き礼を尽くす 
作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は日本人の著しき特性として、外人観光者を惹くところである。もし単に良き趣味を損なうことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である。真の礼はこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである。それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。何となれば社会的地位に対する尊敬を意味する。
サムライエンジニアは高き技術に素直に感動し、その技術を吸収したいと考えるとともに、その技術、その技術を持つ者を尊敬し礼を尽くす。

【誠】 サムライエンジニアは誠実に徹し、嘘をつかない  
真実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。伊達政宗曰く、「礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる」と。「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」と戒めし昔の歌人は、ポロニウスを凌駕する。孔子は『中庸』において誠を尊び、これに超自然力を賦与してほとんど神と同視した。曰く、「誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし」と。
サムライエンジニアは失敗やリスク、日程の遅れの可能性について嘘をつかない。真実を報告し、問題解決を誠実に遂行する。

【記事からの引用終わり】

みなさんの中にもこのような考え方に「うん、確かにそう思う」という気持ちが奥底の方にあれば、それこそ日本人の中に脈々と流れている武士道の精神なのだ。

さて、「日本が拠って立つものとは?」の話しに戻ろう。司会者の田原氏含め5人がいろいろな意見を述べたが、本質的な方向は同じ向きを向いており、最終的な意見は次のようなものであると自分は理解した。
  • 戦後、日本は政治も経済も文化も西洋(特にアメリカ)のやり方を受け入れ、真似をしてここまでやってきた。
  • 今になって、いろいろなことが立ちゆかなくなってきて改めて日本の良さとは何かを考えてみると、「日本が拠って立つものとは?」もともと日本が本来持っていたものが重要であることが分かる。
  • ただし、古き良き時代を回顧するだけでは、グローバル社会で生き残っていけない。
  • したがって、今一度日本人が守ってきた価値観が何であったのかを認識した上で、世界の多用な価値観を拒絶せずに理解し、場合によっては受け入れることが、これからは求められる。
この議論は、日本という国と、その社会の進むべき道についてであり、日本の組込みソフトウェア開発がどうあるべきかというテーマではない。しかし、自分はこの議論を方向性と、「日本の組込みソフトウェア開発がどうあるべきか」の方向性は同じであると確信している。

ソフトウェアは毎日のソフトウェアエンジニアの成果の積み重ねで作られており、再利用性が高まったとはいうものの、未だに毎日毎日おびただしい量のソフトウェアが作られ、かつ、まだまだ日本人が作ったソフトウェアが組込み製品の品質の高さを維持することに貢献していると考えている。

日本のソフトウェアの品質の高さは、日本のソフトウェアエンジニアの特性によるものが大きいというのが自分の持論で、その日本のソフトウェアエンジニアの特性をベースに、西洋のよいところをうまく取り入れていくことがこれからの日本のソフトウェア開発に求められているというのが自分の考えだ。

問題は、もともとの日本の良いところは何なのかを十分に理解しないで、西洋でうまくいった方法論をそのまんま適用しようとする人たちが多すぎるということだ。

先日、日本でMBAの資格を取った同僚と話しをしていて「なぜ」を5回繰り返してことの本質を追求する方法について話しをしていたら、「それって、5 Why 法だろう?」と言われた。「なぜ、なぜ問答」はトヨタで実践されているやり方であり、それが西洋に渡って 5 Why 法と呼ばれるようになったのだというのが自分の認識だ。日本人がやってきた「なぜ、なぜ問答」は「トヨタがやっている」という形容詞が付かないと大して見向きもされないのに、5 Whys Method と英語にするだけで、有効性の高い方法論と捕らえる人がたくさんいるのは、自分はどうしても納得できない。日本人は自分達のプロジェクトでやっている有効性の高い活動の方法をそれがどれだけすごいことなのかまったく意識せずに自慢もせずにコツコツと積み重ねている人たちがたくさんいる。日本人の奥ゆかしい性質が、有効な方法論であっても「こんなにすごいんです」とは言わせないし、「自慢するためにやっているんじゃない」と思って黙々と働く。

スーパーに有効性の高い方法論ではなくても、「なかなかいいね」くらいの努力をほとんどすべてのプロジェクトが漏れなく、かつ一歩一歩確実に実施していて、これを積み重ねれば大きな力、高い品質につながる。日本の組込みソフトウェアの品質が高いのはこれが原因じゃないのだろうか。

「なぜ、なぜ問答」=5 Whys Method と同じような例として、品質機能展開=QFD 、日本的品質管理=QCコントロールなどもある。日本で体系化されたときはあまり盛り上がらず、西洋で認められ逆輸入されると注目される方法論はたくさんある。

日本や日本人の良さをベースに品質管理やソフトウェア品質を語る人はいる。ただし、自分の感覚ではその方達はみな高齢になりつつあり、日本発のソリューションもしくは、西洋で体系化された方法論を日本人向けにテーラリングした成果を発表する若い研究者、エンジニアをあまり見かけないように思う。

確信を持ってその原因が何とは言えないが、思うに自分自身で考えて考えて考え抜いて絞り出した独自の価値観を持つ人が少なくなったことが原因になっているのではないだろうか。テレビなどのマスコミや他人が語る価値観に簡単になびいてしまう、他人の成功体験で自分が成功したような気になってしまう人が多くなっていないだろうか。

西洋発のアプローチは何もかも悪いということではない。自分が言いたいのは、どんなやり方でもいいから最後までやり遂げて、目的を果たして、オリジナルのやり方に対して結果的にどんなテーラリングをしたのか、日本人向けにどんな変更が必要だったのかを見届けてその内容を外に発表して欲しいのだ。

最後の最後に品質を維持しているのは、西洋発のアプローチの力よりも、日本人エンジニアの特性や粘り、頑張りの力の方が大きいということではないよね? ということである。崇高な方法論で指揮されたプロジェクトも実際には、仕事がどんどん下請けに送られ最後は日本人エンジニアの粘りと残業がプロジェクトを支えていることはないかということである。

サンデープロジェクトで「日本が拠って立つものとは?」で語られた話は、実は「日本の組込みソフトウェア開発でも同じなんです」と声を大にして言いたい。

日本の組織では、権限を持っていなくても顧客のことを考えて「こうしよう」と熱く語りかけ、自分を省みずに黙々と働く姿を見せることで、成果を成し遂げる人がいるのを知っている。これは直感だけれども日本的なリーダーシップとは何か、日本的なリーダーシップを鍛える方法論は日本人が確立しなけれいけないのだと思う。

1. 日本人の特性をベースにして、2. 西洋の方法論を上手に取り入れることが大事だと自分は考えている。この順番を崩さない少数派の組込みアーキテクトとしてこれからもいろいろなテーマについて考えていきたい。
 

2009-02-14

「すばらしい仕事ですね」と言われるようになりたい

BS12チャンネル TwellV の『グローバル・ビジョン』の番組で vol.15  「世界の働く女性」 “Working Woman” と vol.17  「世界のターミナル」 “Terminal” という番組をみてそう思った。

この番組は、無料インターネット動画放送  GyaO でトレンド→カルチャー→TwellV見逃し視聴サービス と辿っていくと見られる。

「グローバル・ビジョン」はを人々の暮らしと密接に関わるテーマを毎回ひとつずつ取り上げ、このテーマに沿って複数の国や地域に住む人々の生活の流れを追いかけるドキュメンタリーで、それぞれの文化や考え方、環境の違いなどを、同時進行で比較していく番組だ。

今回見た番組はラオス、フィンランド、韓国の3人の女性と、ラオス、チェコ、韓国のターミナルで働く人たちの一日を追ったドキュメンタリーだ。

vol.15  「世界の働く女性」 “Working Woman”で印象深かったのはラオスのナッタナーさん27歳だ。彼女は16歳のとき両親を交通事故で亡くし、お母さんが開いた文房具店を経営しながら、会社員としても仕事をしている。文房具店も小さいながら品揃えも多く従業員も2人いる。営業時間は朝7時から夜9時まで、周りのどの店よりも長い。また、ナッタナーはラオスで一つしかないフォードの自動車販売会社に勤めており、出勤前に文房具店の従業員にいくつかの指示を出し出かけていく。

自動車販売会社は休日は休むが、文房具店を閉めるのは正月の2日間だけ。「休みたくないか」というインタビュアーの質問に「休みたいけれど、一度休んでしまうと余計に疲れてしまうので働いている方が幸せです」と答える。

フォードの営業所ではセールスアシスタントとして営業管理や見積もりの作成などの仕事を行っている。営業員の急な見積もり作成依頼にもてきぱきと対応しており、みんなから頼りにされているようだった。アメリカの大学で経営管理を学んでおり、英語も堪能で、営業所の所長らしきアメリカ人と英語で会話をしていた。

ナッタナーは大学生の23歳の弟がいて、弟は大学でITビジネスを学んでいる。夕食も自分で作り、弟と家族団らんの食事を共にする。ナッタナーが母が開いた文房具店を守ることは、家族を守ることに等しい。彼女は、

「16歳で両親を失ったとき、私は強くならなければならないと思いました。」
「私が強くなって自分自身や家族を守り、人生と闘っていかなければと思ったのです。」
「実際、両親に代わって生活を支える必要がありましたから、そういう強さは身についたと思います。」

と笑顔で語った。「今、自分に足らない物は何か?」と聞かれ、「家族と一緒に過ごす時間が足りない」とも言っていた。ナッタナーはまだ若干27歳で若いけれども、家族を守るという意志の強さがあり、仕事をしている姿が輝いて見える。

フィンランドのマリカ 27歳は、地方の新聞社に2年半働いていて今は若きチーフ編集者となっている。結婚が間近に迫っており妊娠中で、子供ができたら5年間は子育てに専念してから仕事に復帰したいと語っていた。経営学の資格を取る勉強をしており、将来新しい仕事に役立つはずだと言っていた。

韓国のキム・ダウン 28歳は、フリーになって2年目のカメラマン。アシスタントやスタイリストやヘアメイクなどを使わずに一人ですべてをこなし、小さい仕事を多くこなす忙しい毎日を過ごしていた。写真の専門学校を卒業後、スタジオに勤務し独立した。ダウンは自分が女性であることを活かし、現場の雰囲気を柔らかくして、モデルの女性の良さを引き出すまで時間をかけて話し合いながら写真を撮る。仕事が忙しくても、友達を自宅に招いてパーティをするなど遊びにも一生懸命だ。ダウンは、世界に出て韓国の名前を轟かせたいという夢がある。

vol.17  「世界のターミナル」 “Terminal” で印象的だったのは韓国の一日30万人の客が利用するソウルの巨大高速バスターミナルで警備員をするチョン・ウジクだった。気のいいおにいちゃんで気さくに行き先が分からない乗客に声を掛けて道案内もする。ウジクは切符売り場で働いていた奥さんと出会い結婚した。奥さんは病気のために二ヶ月前に退職し、今は療養中だという。「将来の夢は?」と聞かれ、かなり長い時間考えて、「妻が病気だから、早く良くなって欲しい」「病気が治った頃、ここから出る韓国を一周するバスに乗って、そのころは子供もいるだろうから家族で旅行したい。」と語った。

この2つのドキュメンタリーを見て、ふと仕事を一日密着取材させて欲しいと言われて、客観的に自分の仕事を見られたとき、その仕事、その生き方、夢が視聴者に「いい」と思われるようになりたいと感じた。

彼らの行動が魅力的で生き生きと感じるのは、もちろん金銭的に裕福だからではない。逆に彼らは裕福ではないからこそ、家族や自分自身の夢という根源的な目標に集中できるのではないだろうか。

人間は弱いから、一瞬、一時の心地よさに溺れてしまうことがある。このブログで、さまざまな場面で価値を比較するために人類共通の評価指標であるお金を使うべきだと書いた。(『ソフトウェア資産の価値を可視化すべし』)しかし、ここで言っているのは、価値あるものの評価指標としてお金を使った方がいいと言ったのであって、お金に価値を求めろとは決して言っていないし、思ってもいない。

お金をたくさん稼ぐことに価値観を見てしまうと、人間は金がもたらすひとときの心地よさに溺れてしまう。そんな人の一日はドキュメンタリーにしてもきっと視聴者に感銘を与えることはできないだろう。

そこで、根源的な目標をどうやったら見据えることができるだろうかと考えてみた。

【仕事や人生の根源的な目標を探る方法】
  • 世界の中の自分という存在を考えたとき、自分は世の中に何を貢献しているのだろうかと考える。
  • 自分は家族に何を貢献しているだろうかと考える。
  • 直近ではない10年後、20年後の夢やあるべき姿、追いつきたい人について考える。
  • これまでやってきた自分の仕事を振り返り、「いい仕事をしたね」と言われる成果となっているかを考える。
これらを考えて何か目標となるものが見つかったら、一瞬、一時の心地よさに溺れてしまわないことに気をつけて目標に邁進すればいい。ラオスのナッタナーや、韓国のチョン・ウジクはそのような目標を持っていると思うし、一瞬、一時の心地よさに溺れる誘惑に触れる暇もないように見えるし、誘惑に負けない強い意志も持っているように思う。

日本のソフトウェアエンジニアは2つの面で彼らよりも不利だと感じる。ひとつは、一瞬、一時の心地よさを誘う誘惑が周りに溢れている点と、もう一つは、目標を見据えて誘惑に負けない、困難にくじけない強い意志を鍛える機会が少ないという点だ。

誘惑が溢れたのは、TVの影響やインターネットによる情報の氾濫と、日本という国が全体として裕福になったおかげだ。目標を見据えて誘惑に負けない、困難にくじけない強い意志を鍛える機会が少なくなったのは、生活が便利になることで小さな困難がどんどん排除されてしまったからではないだろうか。

ただ、ピーター・F・ドラッカーが20世紀になって労働人口のほとんどが肉体労働者ではなく知識労働者になっていると言っているように(『プロフェッショナルの条件』参照)、肉体的な苦労、肉体的な困難の克服は多くの労働者にとって鍛錬ではなくなってしまった。

知識労働者が最も長い時間過ごす知識労働において鍛錬とは、精神的な誘惑に負けないこと、精神的な困難を克服することになっている。特に、ソフトウェアエンジニアの仕事は知識労働そのものだから、ソフトウェアエンジニアにとっては、精神的な鍛錬をしないと、目標を見据える強い意志が育たないということになる。

精神的な鍛錬というのは難しいと思うかもしれないがやり方はある。ラオスのナッタナーは「16歳で両親を失ったとき、私は強くならなければならないと思い、私が強くなって自分自身や家族を守り、人生と闘っていかなければと思った。」と言い、母が残した店を守る決心をした。ナッタナーの気持ちに近づくためには、ソフトウェアエンジニアは自分が個人商店だと思えばいい。組織の中にいても、自分は個人経営の店主と考える。自分に依頼された仕事は、個人商店に発注された仕事だ。その仕事に満足してもらうことができれば、仕事に対する対価を得ることができる。高い満足を獲得するためには自分自身のスキルは日々高めておかなければならない。自分の頭の中に商売道具があるからだ。

個人商店なら辛いことがあっても、耐えるのは自分の夢を達成するため、家族を守るためだと考えることができる。ただ、本当の個人商店と違うのは、仕事の依頼者は商品のエンドユーザーではないことが多い点だろう。仕事の依頼者=クライアントの要求が、自分が作っている商品のエンドユーザーの要求に反していることもあるかもしれない。組織が大きくなればなるほど、エンドユーザーと自分との間に中間層が入るので、伝言ゲームが起こり、結果的に偽装事件のようなことが起こることもある。

エンドユーザーの求めていることと組織目標が一致し、そこにぶれのない組織にいるエンジニアは幸せだ。

しかし、どんなエンジニアもそんな境遇にあるとは限らない。コンプライアンス違反とは言わないまでも顧客満足とは正反対のことを要求する上司もいるかもしれない。でも、そういうときにこそ、知識労働者はそれまで鍛錬してきた意志の力を使えばいいのだ。自分の根源的な目標と組織の要求に食い違いが感じられたら迷うことはない。ただし、家族を守ることと自分の夢や目標の達成が微妙に背反すると思ったら、その2つのトレードオフバランスはよく考えないといけないだろう。

ところで、世界の中の自分はどれくらいの力を発揮できるのか考えてみたり、試してみたりすることはそう難しくない世の中になった。インターネットはさまざまな誘惑の情報を溢れさせたが、ちっぽけな個人が世界に情報を発信するための環境も提供してくれた。組織の中にいても、精神的な個人商店を作ることは表現の自由が保障されている国ならすぐできる。

「あなたの仕事はすばらしい仕事ですね」と言われるようになりたい。そう思ってもらえるということは、何かしらの貢献を与えることができている、何かしらの価値を作り上げている、感動を与えることができていることだと思う。

そんなエンジニアに自分はなりたい。そうなっているかどうかは、これからもずっと自問自答し続けるしかない。
 

2009-02-05

技術伝承の鎖が切れてしまった組込みソフト開発の現場

製造業における技術伝承は、ベテランが初級者にくっついて実際に作業をやらせ、失敗を繰り返しながら技術が習得できるまで指導を続けるというものだ。

一方でマニュアルを使って一律に技術習得させるという方法もある。マクドナルドがよい例だ。マクドナルドはマニュアルによる指導、トレーニングを徹底させるために世界のどこのマクドナルドに行っても同じレベルのサービスを受けることができる。これはまさに欧米的な技術の習得方法だと感じる。

日本でも工場では手順書による作業指示があるので、マクドナルドのマネージメントと似ているように見えるが、QC活動などでマニュアルを逸脱した独自のくふうも許しているところがちょっと違う。逆に言えば、一応手順書やマニュアルはあるものの、実際には冒頭で紹介したベテランが初心者に対して技術を習得できるまで指導し、その指導の方が手順書よりも優先されることが多い。

トレーニングの方法として学校でスキルを身につけるというやり方もある。料理学校などは、料理を作る行為自体は学校でやることも、実際に就職した先の店でやることも基本的には同じだから、料理学校で受けたトレーニングは即現場で役立つ。

さて、それでは、ソフトウェアの開発技術はどうだろうか。日本の多くの学校ではソフトウェア工学を現場で使いこなせるまで指導できるところは非常に少ない。先生の中には実際の現場でソフトウェアを作った経験がある人が少ないこともあるし、昔ソフトウェアを搭載した製品を作ったことがある人でも、現役を離れてから10年もたつとソフトウェア開発の方法論自体が変わってしまうこともある。

そこで、先人が成功と失敗から体系化したソフトウェア工学を日本のソフトウェアエンジニアが修得する5つの方法について考えてみる。

【日本のソフトウェアエンジニアがソフトウェア工学を修得する方法】
  1. 雑誌、書籍、学会、シンポジウム等の情報から学ぶ(独学)
  2. 学校やセミナーで学ぶ
  3. 組織内で上司や先輩から学ぶ
  4. コミュニティの知り合った友人から学ぶ
  5. コンサルタントから学ぶ
この5つの方法をいずれか、単独、もしくは組み合わせでスキル修得して現場に適用できる技術者は実際にはほんの少ししかいない。今回の記事は「それは何故か?」の分析である。

【「雑誌、書籍、学会、シンポジウム等の情報から学ぶ(独学)」と「学校や、セミナーで学ぶ」が難しい理由】

日本のソフトウェア開発の現場は方法論を自分達の案件でやって見せてあげないとできるようにならない。自分達だけで、抽象化された方法論を自分達の問題にテーラリングして取り込むことができるプロジェクトはほんのひとにぎりしかない。なぜなら、製造業における技術伝承は、ベテランが初級者にくっついて実際に作業をやらせ、失敗を繰り返しながら技術が習得できるまで指導を続ける方法であり、自分一人ではそれができないからだ。

別な言い方をすると、日本のソフトウェア技術者は抽象化された方法論を自分自身の具体的な問題に展開する能力が低い。なぜ、低いのかというとそういうトレーニングを受けてこなかったからだ。『問題解決能力(Problem Solving Skill):自ら考え行動する力』の記事参照のこと。もう少し、正確に言えば公式に具体的な数値を代入することはできるが、公式よりももっと抽象度の高い方法論になってしまうと、目の前に具体的な問題がころがっていても、何をどう当てはめていいのかわからないし、何となくわかったとしても、失敗するのが恐く、試してみる勇気がないので、問題解決の経験値が上がらない。現場の技術者が失敗に対して恐れを感じているというのを最近特に強く感じる。おそらくプロジェクトに余裕がなくなって失敗を許さない雰囲気があるのだろう。

だから、問題解決の経験値が上がらない技術者は本や雑誌を読んでも、セミナーに行っても、学会に行っても、シンポジウムに参加しても、そこで示されている抽象化された方法論を現場に展開することができない。まれに、それがうまくいくケースは二つあって、よっぽど分かりやすい手順が示されている場合と、よっぽどその人の気持ちを揺り動かすことができて試してみる勇気がわいたときだけだ。ただ、前者の分かりやすい手順というのは、逆に言えば少しでも問題の対象にマッチしないところがあると先に進めないというデメリットがある。2つのめの気持ちを揺り動かすという方法は、「時間がない」とか「周りが賛同しない」とか「予算が付かない」などさまざまなハードルが現場にはあるので、気持ちを揺り動かすことができても時間がたつと急速にやる気が萎えてしまう場合もある。

このような理由から残念ながら独学で問題を解決できるところまで持って行ける技術者は非常に少ない。逆に言うとそういう人は希少価値であるため、いずれ自分自身の存在が希少であることに気づき、その価値を最大限活かすために独立したりコンサルタントになったりする。

※宗教的な熱狂に周りを巻き込むことで問題を成功に導く方法もあるが、本来ならば行動の目的や自分達のあるべき姿を見据えた上で、熱狂的ではなく静かな闘志を燃して事にあたるようにしたいものだ。

【「組織内で上司や先輩から学ぶ」方法が難しい理由】

これは簡単で、上司や先輩が現場の問題を解決するために必要な技術を知らない、もしくは、技術伝承する能力がないからだ。もしも、上司や先輩が現場の問題を解決する技術を身につけていて実際に解決できるだけの実力があるのなら、この状態が最も問題解決の成功確率が高い。なぜなら、「ベテランが初級者にくっついて実際に作業をやらせ、失敗を繰り返しながら技術が習得できるまで指導を続ける」という昔からあるアプローチが使えるからだ。この方法は日本の製造業の世界ではスタンダードな技術伝承の方法だから、そのやり方を否定する人はいないし、ハードウェア出身のマネージャもその有効性や効果を十分に理解できる。まわりに反対する人は現れない。

だから、一度組織やプロジェクトが問題を解決する技術を身につけてしまえば、後は新しく入ってきた後輩達にせっせとその技術を伝承していけばよい。ところが、いつの日か、現場の技術者達が新しい問題を解決するための技術を習得することを怠ってしまったために、技術伝承の流れ(鎖)は切れてしまったのだ。ソフトウェア系の外部協力会社に仕事を任せるようになったころから、技術伝承の鎖の途切れが始まったのかもしれない。当時から、役割分担が明確であればよかったものの、徐々に丸投げの度合いは進み始め、メーカーサイドはドメインの知識とソフトウェア工学を結びつけることができなくなり、ソフトウェア受託開発会社は社員にソフトウェア工学を身につけさせるのではなく、より多くの時間働かせることが組織と社員の共通の利益であると考えるようになってしまった。

だから、特に組込みソフトウェア開発の世界では「組織内で上司や先輩から学ぶ」方法が難しくなってしまったのだ。

【「コミュニティの知り合った友人から学ぶ」方法が難しい理由】

実は、実際にやってみて一番有効なのはこの方法だ。自分自身、SESSAMEやEEBOFというコミュニティで知り合った友人から多くを学んだし、コミュニティに積極的に参加している人ほど、ソフトウェア工学を自組織に適応できているように思う。うまくいく理由は、「時間がない」とか「周りが賛同しない」とか「予算が付かない」などさまざまなハードルをコミュニティのメンバーがちょっとした励ましの言葉やヒントで支えてくれるから乗り越えられる確率が高くなるのだ。みんな、自分たちの境遇に憂いを感じていて、何とか問題を解決したいと考える技術者が集まるので、苦しいときは助け合おうという状況が作れる。

では、すべての多くの技術者がその方法で成功できていないのか。ダメな理由は簡単で、ひとつは組織の中で鎖国状態を作ってしまいコミュニティの存在自体を知らないのと、コミュニティに参加していてもROM状態から一歩も踏み出せない人が多いからだ。

組込みソフトエンジニアが自組織の中で鎖国状態に陥り、ゆでガエルになるのは、人が流動しないから、自組織の外にどんな世界が広がっているのか知らないからだろう。今はインターネットで何でも調べられるのに、「調べてみよう」という気が起こらないのがとても不思議だ。google でいろいろなキーワードを打ち込んでいくと、どのような世界が外に広がっているのかだんだんわかってくる。毎日自組織の狭い世界の情報だけにさらされていると、外の世界も同じだろうと思い込んでしまうのだろうか。

【「コンサルタントから学ぶ」のが難しい理由】

現場で起こっている問題を解決する方法を知っている技術者にコンサルテーションしてもらう方法は、技術伝承の鎖が切れてしまった組織においても問題解決に成功する確率が高い。なぜなら、ベテランが初級者にくっついて実際に作業をやらせ、失敗を繰り返しながら技術が習得できるまで指導を続けるというやり方でコンサルタントから技術を習得することができるからだ。抽象化された方法論を実際に現場で起こっている問題にどうやって適用すればいいのかを教えてくれて、かつ、問題を解決するまで、技術が伝承されるまで指導してくれる。

ではなぜ、みなコンサルテーションを頼まないのか。理由は簡単で、組込みソフトウェアの開発現場では技術伝承の鎖が切れてしまっている現在でも、組織内の先輩から後輩への技術伝承によって問題を解決することが正しいと考えられており、それができないのは技術者の怠慢であると考える経営者や上司が多いからである。だから、コンサルタントを頼む予算が付かない。

もちろん、現場の問題を解決し、いったん切れてしまった技術伝承の流れを復活させる力のあるコンサルタントは非常に少ないし、コンサルタントの力だけでなく現場の技術リーダー達の協力がなければ技術伝承の鎖を結び直すのは難しい。何はともあれ技術伝承の鎖を復活させることが必要だということが組織の上位層に理解されなければ、コンサルタントの助けを求めることはできない。

【おまけの考察】

JaSST'09 の基調講演で『実践ソフトウェアエンジニア』の著者であるロジャー・S・プレスマン氏は「自分達が作ったソフトウェア(方法論)以外は信用できないシンドローム」は未だになくなっていないと言っていた。それを聞いて「なんだ、それは日本だけじゃなかったのか」と思った。「自分達が作ったソフトウェア(方法論)以外は信用できないシンドローム」が蔓延している組織、プロジェクトで従来のやり方から脱却するためには、かなり強いリーダシップが必要になる。

昔、日本の職人の中には棟梁という存在がいた。今、日本の組込みソフトウェアプロジェクトで求められているのは、棟梁的なリーダーシップを発揮できる人材だ。棟梁的なリーダーシップとは、しがらみや制約条件の中で舵取りができる決断力を持ち、アーキテクチャの善し悪しを判断し悪い所を指摘し、良い例を提示できる実績と経験を持っているということだ。必ずしも、声が大きいとか、人を引きつける能力があるという訳ではない。

技術伝承の鎖が切れてしまった状況では、問題解決に必要な技術を身につけ、棟梁的なリーダーシップを発揮できる人材が組織やプロジェクトの中にいないと改革を進めることができない。

「そんな人いないや」と思った人は「自分がなるしかないんだ」と思ってもらうしかない。そうしないと明るい未来がくる可能性は残念ながらない。
 

2009-02-01

組込みソフトエンジニアのパーソナルキャリアパス

サンデープロジェクトで派遣労働についての過去と未来をディスカッションしていた。日本では戦後、GHQが労働者の賃金をピンハネしていた元締めの存在を解体させるために、労働基準法で派遣労働を禁じ健全な雇用を目指したのだそうだ。しかし、その後、1960年代後半に欧米で一般的になっていた労働者派遣型の人材派遣企業が日本に進出してきて(最初に進出したのはマンパワー)、「派遣」ということばを使わずに、「請負」という形でテンポラリな労働が社会にグレーな形で浸透していった。これが元祖、偽装請負ということなのだろう。

その後、1970年から1980年代にかけて、労働者の派遣を禁止している労働者基準法と現実がかけ離れてきたために、労働者派遣法の制定が進められる。当時の議論として、専門家の間でも労働者の権利を重視するのか、仕事の選択性を重視するのかで微妙に意見が違っていたという。

また、労働組合サイドの強い反対もあり、まとまりそうのなかった状況で、情報処理技術者がメーカーの中で育てることが難しく、実際多くのソフトウェアエンジニアを外部に頼っている状況を適法にしたいという電気業界の強い要望をきっかけにして1985年に労働者派遣法が制定された。労働者派遣法が制定されるきっかけが組込みソフトエンジニアの派遣労働だったというのは驚きだ。このときはコンピュータ(IT=情報技術)関係職種のように、専門性が強く、かつ一時的に人材が必要となる13の業種に派遣が限定されていたが、その後、1999年の改正により禁止業種以外は派遣が可能になってしまい、派遣労働が専門職だけのものではなくなった。

ただし、使用者サイドの企業が派遣を終了すると、派遣会社との契約も切れるという現在社会問題になっている登録型の派遣は1985年の時点で常用雇用型とともに法制化されていた。番組では、この登録型派遣のルールは法制化の直前に滑り込ませたものだと語られていた。

1985年当時は、常用雇用型も登録型もどっちにしろ派遣できるのは13業種に限られていたから問題は広がらなかったが、1999年の労働者派遣法の改定で一般労働にも派遣が可能になったため、登録型でかつ仕事がなくなると即職を失うという労働者が増えてしまった。

さて、番組の中で常用雇用型の派遣で成功している会社の例としてメイテックが紹介されていた。メイテックといえばバブル時代にディスコで入社式を行ったりしていたが、当時の関口社長は1996年に電撃解雇され、その後はいたってまじめな技術系の会社になった。2004年の SESSAMEのワークショップでメイテックのキャリアサポートセンターの方の講演をレポートにまとめたからよく覚えている。

メイテックは常用雇用型のソフトウェア技術者の派遣を積極的に行っており、技術者の教育にもかなり力を入れている。また、技術者のスキルの評価もシステマティックにやっているので技術力の高い人ほど単価も高い。別な見方をすると頑張って技術を磨かないと給料は上がらないような仕組みになっているのだろう。

組込みソフトウェアの外部委託の市場は1980年代からあったわけだから、今ではかなり大きいと推測される。仕事の外部委託の仕方は二種類あって、一つは派遣労働者として受け入れる方法、もう一つは請負契約で仕事を発注する方法だ。組込みソフトの仕事の場合は派遣でも常用雇用型の方が多いと思う。メーカーのソフトウェアエンジニアもそうだが、それに輪を掛けて派遣や請負開発のソフトウェアエンジニアの技術力が評価されることは少ない。評価されないどころか、技術を磨いて開発効率や品質向上を達成すると、できた余裕に新たな仕事が突っ込まれる。派遣でも請負でも結局は働いた時間に対してしかサラリーが支払われない。これでは技術力が上がれば上がるほど、余裕が生まれる、クリエイティブな仕事ができるという状況が生まれない。そんなことでは、誰もソフトウェアエンジニアになりたいと思わなくなる。

情報処理系の派遣労働者や受託開発会社に所属する技術者はもともとソフトウェアという専門技術を持った人ということだから、今マスコミで話題になっている人たちようにいきなり職を失うようなことは少ないと思うが、景気の影響を受けて仕事が少なくなるリスクは常に抱えていると思われる。

そうなると、そのリスクを少しでも減らすには自分の技術力を高めるしかない。適性に評価されるかどうかは別にして、厳しい状況の中で生き残っていくためには自分の能力が組織に貢献する根拠としてソフトウェア技術を身につけ、その技術がどのようにソフトウェア開発に役立つのかを説明できるようにしておく必要がある。組織に評価されようとされまいと、自分の身を守るため、新しい道を探すために、自分の能力をアピールしなければいけないときは必ず来る。競争相手は日本の中だけとは限らない。

自分の技術を高めるため、パーソナルなキャリアパスを考えるには、目標の設定と目標を達成するための自己投資が必要になる。これらを所属組織のシステムにゆだねるという方法もあるが、必ずしもエンジニアのキャリアパスを計画し、必要な技術を教育してくれる会社は多くないので、基本的には自分のキャリアパスは自分で設計しなければいけないと考えた方がよいだろう。

そのときに大事なのは、自分という個人商店に対してどれくらい自己投資するのか、したのか、投資した結果はどうだったのかを振り返ることだと思う。

自己投資の方法は一つは金額で考える方法がある。例えば、税込み年収の1%を自己投資に使う場合、年収が700万円だとしたら、7万円ぶん自己投資しようということだ。例えば、自分の勉強のために買った本や雑誌の領収書を集めて、テレビで確定申告しようというCMが流れてきたら、確定申告するつもりで、昨年のぶんの自己投資額の合計を計算して、修得した技術や知識の棚卸しをしてみる。

自己投資は必ずしもお金だけではない。勉強に使った時間も投資だ。面倒くさいかもしれないが、勉強に使った時間を記録しておき、1年間の総計に時給(例えば、一時間千円)をかけると投資額に換算できる。

資料だって、IPA SEC(情報処理機構 ソフトウェアエンジニアリングセンター)などのWEBサイトをくまなく眺めてみれば、タダで勉強のネタは手に入る。もちろん、SESSAMEのWEBサイトを活用するのもよい。

自己投資する先はどんなキャリアを目指すかにもよるが、ETSS(組込みスキル標準)のスキルカテゴリから見れば「技術要素」「開発技術」「管理技術」に分けられる。「技術要素」と言っているのはものづくりする際のその業界、その製品群に特化した技術のことで、これは何を作るのかによって異なるからどんな技術が必要なのかは自分、もしくは自組織で考えるしかない。「開発技術」や「管理技術」はETSSにも定義があるが、あまり毒されることなく身の丈にあった役に立つと思われる技術を自分は今後どのようなキャリアを積んでいくだろうかと考えながら選択する。

勉強の方法としてお勧めしたいのが、ブログにやったことを書き残すという方法である。学校での勉強を思い出してもらえばわかると思うが、学んだことはノートに書く、できれば自分の理解に合わせて書き直してみるとよく覚えることができる。これは人間の脳の記憶方式と関係している。ところが、大人になってから書き写して記憶を深めるという機会は極端に減ってしまう。だから、ブログに勉強したことを書くのは学習効果を高めるのに役立つのだ。記録に残すということは、後でその記録からデータを拾い出して、学習の実績として示すこともできるということだ。自分の名前や組織名を伏せて、キャリアパスを宣言し、身につけた技術や、自己投資の記録をブログに付けてみるのもよいだろう。もしかしたら、共感した人が応援のメッセージを送ってくれるかもしれない。