2009-02-14

「すばらしい仕事ですね」と言われるようになりたい

BS12チャンネル TwellV の『グローバル・ビジョン』の番組で vol.15  「世界の働く女性」 “Working Woman” と vol.17  「世界のターミナル」 “Terminal” という番組をみてそう思った。

この番組は、無料インターネット動画放送  GyaO でトレンド→カルチャー→TwellV見逃し視聴サービス と辿っていくと見られる。

「グローバル・ビジョン」はを人々の暮らしと密接に関わるテーマを毎回ひとつずつ取り上げ、このテーマに沿って複数の国や地域に住む人々の生活の流れを追いかけるドキュメンタリーで、それぞれの文化や考え方、環境の違いなどを、同時進行で比較していく番組だ。

今回見た番組はラオス、フィンランド、韓国の3人の女性と、ラオス、チェコ、韓国のターミナルで働く人たちの一日を追ったドキュメンタリーだ。

vol.15  「世界の働く女性」 “Working Woman”で印象深かったのはラオスのナッタナーさん27歳だ。彼女は16歳のとき両親を交通事故で亡くし、お母さんが開いた文房具店を経営しながら、会社員としても仕事をしている。文房具店も小さいながら品揃えも多く従業員も2人いる。営業時間は朝7時から夜9時まで、周りのどの店よりも長い。また、ナッタナーはラオスで一つしかないフォードの自動車販売会社に勤めており、出勤前に文房具店の従業員にいくつかの指示を出し出かけていく。

自動車販売会社は休日は休むが、文房具店を閉めるのは正月の2日間だけ。「休みたくないか」というインタビュアーの質問に「休みたいけれど、一度休んでしまうと余計に疲れてしまうので働いている方が幸せです」と答える。

フォードの営業所ではセールスアシスタントとして営業管理や見積もりの作成などの仕事を行っている。営業員の急な見積もり作成依頼にもてきぱきと対応しており、みんなから頼りにされているようだった。アメリカの大学で経営管理を学んでおり、英語も堪能で、営業所の所長らしきアメリカ人と英語で会話をしていた。

ナッタナーは大学生の23歳の弟がいて、弟は大学でITビジネスを学んでいる。夕食も自分で作り、弟と家族団らんの食事を共にする。ナッタナーが母が開いた文房具店を守ることは、家族を守ることに等しい。彼女は、

「16歳で両親を失ったとき、私は強くならなければならないと思いました。」
「私が強くなって自分自身や家族を守り、人生と闘っていかなければと思ったのです。」
「実際、両親に代わって生活を支える必要がありましたから、そういう強さは身についたと思います。」

と笑顔で語った。「今、自分に足らない物は何か?」と聞かれ、「家族と一緒に過ごす時間が足りない」とも言っていた。ナッタナーはまだ若干27歳で若いけれども、家族を守るという意志の強さがあり、仕事をしている姿が輝いて見える。

フィンランドのマリカ 27歳は、地方の新聞社に2年半働いていて今は若きチーフ編集者となっている。結婚が間近に迫っており妊娠中で、子供ができたら5年間は子育てに専念してから仕事に復帰したいと語っていた。経営学の資格を取る勉強をしており、将来新しい仕事に役立つはずだと言っていた。

韓国のキム・ダウン 28歳は、フリーになって2年目のカメラマン。アシスタントやスタイリストやヘアメイクなどを使わずに一人ですべてをこなし、小さい仕事を多くこなす忙しい毎日を過ごしていた。写真の専門学校を卒業後、スタジオに勤務し独立した。ダウンは自分が女性であることを活かし、現場の雰囲気を柔らかくして、モデルの女性の良さを引き出すまで時間をかけて話し合いながら写真を撮る。仕事が忙しくても、友達を自宅に招いてパーティをするなど遊びにも一生懸命だ。ダウンは、世界に出て韓国の名前を轟かせたいという夢がある。

vol.17  「世界のターミナル」 “Terminal” で印象的だったのは韓国の一日30万人の客が利用するソウルの巨大高速バスターミナルで警備員をするチョン・ウジクだった。気のいいおにいちゃんで気さくに行き先が分からない乗客に声を掛けて道案内もする。ウジクは切符売り場で働いていた奥さんと出会い結婚した。奥さんは病気のために二ヶ月前に退職し、今は療養中だという。「将来の夢は?」と聞かれ、かなり長い時間考えて、「妻が病気だから、早く良くなって欲しい」「病気が治った頃、ここから出る韓国を一周するバスに乗って、そのころは子供もいるだろうから家族で旅行したい。」と語った。

この2つのドキュメンタリーを見て、ふと仕事を一日密着取材させて欲しいと言われて、客観的に自分の仕事を見られたとき、その仕事、その生き方、夢が視聴者に「いい」と思われるようになりたいと感じた。

彼らの行動が魅力的で生き生きと感じるのは、もちろん金銭的に裕福だからではない。逆に彼らは裕福ではないからこそ、家族や自分自身の夢という根源的な目標に集中できるのではないだろうか。

人間は弱いから、一瞬、一時の心地よさに溺れてしまうことがある。このブログで、さまざまな場面で価値を比較するために人類共通の評価指標であるお金を使うべきだと書いた。(『ソフトウェア資産の価値を可視化すべし』)しかし、ここで言っているのは、価値あるものの評価指標としてお金を使った方がいいと言ったのであって、お金に価値を求めろとは決して言っていないし、思ってもいない。

お金をたくさん稼ぐことに価値観を見てしまうと、人間は金がもたらすひとときの心地よさに溺れてしまう。そんな人の一日はドキュメンタリーにしてもきっと視聴者に感銘を与えることはできないだろう。

そこで、根源的な目標をどうやったら見据えることができるだろうかと考えてみた。

【仕事や人生の根源的な目標を探る方法】
  • 世界の中の自分という存在を考えたとき、自分は世の中に何を貢献しているのだろうかと考える。
  • 自分は家族に何を貢献しているだろうかと考える。
  • 直近ではない10年後、20年後の夢やあるべき姿、追いつきたい人について考える。
  • これまでやってきた自分の仕事を振り返り、「いい仕事をしたね」と言われる成果となっているかを考える。
これらを考えて何か目標となるものが見つかったら、一瞬、一時の心地よさに溺れてしまわないことに気をつけて目標に邁進すればいい。ラオスのナッタナーや、韓国のチョン・ウジクはそのような目標を持っていると思うし、一瞬、一時の心地よさに溺れる誘惑に触れる暇もないように見えるし、誘惑に負けない強い意志も持っているように思う。

日本のソフトウェアエンジニアは2つの面で彼らよりも不利だと感じる。ひとつは、一瞬、一時の心地よさを誘う誘惑が周りに溢れている点と、もう一つは、目標を見据えて誘惑に負けない、困難にくじけない強い意志を鍛える機会が少ないという点だ。

誘惑が溢れたのは、TVの影響やインターネットによる情報の氾濫と、日本という国が全体として裕福になったおかげだ。目標を見据えて誘惑に負けない、困難にくじけない強い意志を鍛える機会が少なくなったのは、生活が便利になることで小さな困難がどんどん排除されてしまったからではないだろうか。

ただ、ピーター・F・ドラッカーが20世紀になって労働人口のほとんどが肉体労働者ではなく知識労働者になっていると言っているように(『プロフェッショナルの条件』参照)、肉体的な苦労、肉体的な困難の克服は多くの労働者にとって鍛錬ではなくなってしまった。

知識労働者が最も長い時間過ごす知識労働において鍛錬とは、精神的な誘惑に負けないこと、精神的な困難を克服することになっている。特に、ソフトウェアエンジニアの仕事は知識労働そのものだから、ソフトウェアエンジニアにとっては、精神的な鍛錬をしないと、目標を見据える強い意志が育たないということになる。

精神的な鍛錬というのは難しいと思うかもしれないがやり方はある。ラオスのナッタナーは「16歳で両親を失ったとき、私は強くならなければならないと思い、私が強くなって自分自身や家族を守り、人生と闘っていかなければと思った。」と言い、母が残した店を守る決心をした。ナッタナーの気持ちに近づくためには、ソフトウェアエンジニアは自分が個人商店だと思えばいい。組織の中にいても、自分は個人経営の店主と考える。自分に依頼された仕事は、個人商店に発注された仕事だ。その仕事に満足してもらうことができれば、仕事に対する対価を得ることができる。高い満足を獲得するためには自分自身のスキルは日々高めておかなければならない。自分の頭の中に商売道具があるからだ。

個人商店なら辛いことがあっても、耐えるのは自分の夢を達成するため、家族を守るためだと考えることができる。ただ、本当の個人商店と違うのは、仕事の依頼者は商品のエンドユーザーではないことが多い点だろう。仕事の依頼者=クライアントの要求が、自分が作っている商品のエンドユーザーの要求に反していることもあるかもしれない。組織が大きくなればなるほど、エンドユーザーと自分との間に中間層が入るので、伝言ゲームが起こり、結果的に偽装事件のようなことが起こることもある。

エンドユーザーの求めていることと組織目標が一致し、そこにぶれのない組織にいるエンジニアは幸せだ。

しかし、どんなエンジニアもそんな境遇にあるとは限らない。コンプライアンス違反とは言わないまでも顧客満足とは正反対のことを要求する上司もいるかもしれない。でも、そういうときにこそ、知識労働者はそれまで鍛錬してきた意志の力を使えばいいのだ。自分の根源的な目標と組織の要求に食い違いが感じられたら迷うことはない。ただし、家族を守ることと自分の夢や目標の達成が微妙に背反すると思ったら、その2つのトレードオフバランスはよく考えないといけないだろう。

ところで、世界の中の自分はどれくらいの力を発揮できるのか考えてみたり、試してみたりすることはそう難しくない世の中になった。インターネットはさまざまな誘惑の情報を溢れさせたが、ちっぽけな個人が世界に情報を発信するための環境も提供してくれた。組織の中にいても、精神的な個人商店を作ることは表現の自由が保障されている国ならすぐできる。

「あなたの仕事はすばらしい仕事ですね」と言われるようになりたい。そう思ってもらえるということは、何かしらの貢献を与えることができている、何かしらの価値を作り上げている、感動を与えることができていることだと思う。

そんなエンジニアに自分はなりたい。そうなっているかどうかは、これからもずっと自問自答し続けるしかない。
 

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