2010-04-24

『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』を見て

『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』という映画をTSUTAYAでレンタルして見た。あまりに内容がドラマティックだったので、これはどこまで脚色されているのだろうかと思って、もとのスレッドがまとめられているwikiサイトで記述をざっと読んでみた。驚いた。ほとんどスレッドに書かれていることが忠実に再現されているように見える。

考えさせられたのが、ここに描かれているのは組込みとITの違いがあるにせよ、同じソフトウェアを作るエンジニアの日々の風景だということだ。

この話しは本やコミック、映画になっているが、知らない人もタイトルを見れば、だいたい中身の予想は付くだろう。映画の中では R25 にブラック会社の条件が6つ書いてあり、主人公のマ男君が入社初日で全部当てはまることに絶句する。

【ブラック会社の条件】
  1. 就業規則があるにも関わらず残業が当たり前
  2. 何日も徹夜が続くことがある
  3. 社内に情緒不安定な社員がいる
  4. 必要経費が一切認められない
  5. 同僚のスキルが異常に低い
  6. 従業員の出入りが激しい
そして、確かにそういう会社がスクリーンに登場する。ちなみに、それはそれとして自分は主人公のマ男君や他のプロジェクトメンバーがやっている仕事の内容、流れについて見ていた。

【仕事の流れ】
  1. 営業がクライアントから仕事を取ってくる。
  2. 同行した技術担当は要求された仕事に対して開発期間が足らないと感じる。
  3. 技術担当がクライアントにその日程ではムリと言おうとするとクライアントからダメなら他に回すよといわれ営業が受けてしまう。
  4. 開発委託を受けた時点からすでにデスマーチが始まる
  5. 納期に対してプロジェクト全体が責務を負い、遅れは分散するか特定のエンジニアへ集中させることでカバーする
  6. 要求定義→設計→実装→テスト という工程はキチンと踏んでおり、プロジェクトの終了はシステムテストの成績書がすべてパスしたときになっている。
  7. 死ぬほど残業してなんとか納期に間に合わせる。
そこでふと思ったのは、仕事の厳しさの違いはあるにせよ、この流れはどんなソフトウェアエンジニアも多かれ少なかれ経験しているようなことにように見えるということだ。

ブラック企業になるかならないか、もしくは、エンジニアが潰されてしまうかいなかの違いは、3のムリな日程を受けてしまうという部分と、5 の遅れの分散と特定のエンジニアへの仕事の集中のところだと思う。

【ムリな日程を受けてしまう営業】

クライアントとサプライヤという関係の場合、一般的にお金を払うクライアントの方が立場が強い。「イヤなら他に回すよ」と言われたら条件を飲まざる終えない。その条件を跳ね返すためには、ムリな日程を飲む以外の付加価値が必要になる。その付加価値が他の会社にはない価値でなければ競争に負けてしまう。

メーカーの場合、お金を払ってくれるのはエンドユーザーであり、リリースして商品が売れるか売れないかが分かるにはそれなりのディレイがあるから、請負開発の場合はよりプレッシャーが大きいと思う。

この問題は会社の経営者の考え方と経営方針で決まるのだろう。エンジニアを薄給でこき使って使い捨て目の前の売り上げを確保するという考えを持っているか、顧客満足を実現するのはエンジニアであり、顧客満足とエンジニアの満足・成長の両立を考えるのかで 180度環境は変わる。

後者よりも前者の会社に仕事を出すクライアントが多いとエンジニアにとって状況は改善しない。二次、三次といった下請け構造があると、下の階層になるほど環境は悪くなる。

『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』の主人公は、実力はあり、唯一近くにいたよき先輩に鍛えられてブラック会社の中で成長するのだが、ブラック会社にしか入れなかったのは学歴で能力を判断されてしまったからだった。

もしこの話しが本当であったのならば、マ男君は死ぬほど苦労したが、3年間でプロジェクトリーダーを一回経験しプロジェクトも成功させたのだから、その実績を使ってもう少し環境のよい会社や、クライアント企業への転職などもできるのではないかと思った。ようするに、学歴以外の実績は実際の仕事を成功させることで積み重ねることができると思うのだ。

【遅れの分散と特定のエンジニアへの仕事の集中】

これは「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という日本人の特性のよい面と悪い面が両方でていると思う。プロジェクトの中で職制がはっきりしておらず、遅れを全体でバックアップするというやり方は連帯感を生むメリット、達成感を共有できるメリットがある一方で、個の確立を疎外する側面もあると思う。

技術者個人の成果や負荷が見えにくくなると思うのだ。責任と権限が明確な世界では他人の領域には指示がなければ踏み込まないから最終的な責務と成果が個人別にはっきりする。

それが曖昧だとブラック会社では優秀なエンジニアに負荷が集中し、その成果はプロジェクト全体に分散されてしまう。ブラック会社でなくても日本の企業ではそういう傾向があるように思う。

そうすると優秀な技術者が潰される可能性が高くなり、かつ、その様子を見ている他の技術者は積極的に仕事の効率化を目指さなくなる。


【『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界もしれない』スレッドより引用】
スレタイの意味・・・
それは、木村くんの下克上でも、父ちゃんの病気でもない。
藤田さんが、会社を去る・・・。まさにこれこそが限界だったのだ。

何のためにスレッドを立てたのか。
確かに俺は限界だった。
このスレッドを立て、全てを書き終えた時、俺は退職しようと心に決めていた。
伸びても、伸びなくても、それは変わらない。
結果的にスレは物凄い勢いで伸び、パー速に移住するほどになってしまった。

そして、その中で俺への励まし、心配、叱咤。
色々なレスが俺に向けられて書き込まれた。
ブログのコメントは、続きを書いてくれ、という内容ばかりだった。
俺は今まで、誰からも必要とされない、居なくなっても誰も悲しまない
くだらない人間だと思ってたんだ。

だけど、このスレを立てた事で
俺はみんなから励まされて、心配されて、叱咤されて・・・
たった一人の力は確かに小さいかもしれない。
だけど、それが何十、何百となったら?
その小さな力が集まって、大きな一つの力となったら?

俺は奇跡を信じる気になったよ。
だって、スレッドタイトルが変わるんだもの。
『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』が
『ブラック会社に勤めてるんだが、まだ俺は頑張れるかもしれない』に。
【引用終わり】

スレッドの最終章を見ると、マ男君を支えたのは先輩の藤田さんと、ブログで応援してくれた人たちというだということが分かる。

ソフトウェアエンジニアは知識労働者だ。人間が人間の頭で勝負している世界だ。そう考えるとやっぱり人間を人間として扱ってもらえる環境と人間の頭を成長させてくれる環境と、自分自身の知識労働者としての意欲が大事であるということが『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』を見て再認識した。

ポイントは実績がないときには、今の仕事を成功させてその中で達成した他から認められうる点を積み重ねてそれを武器にすることだと思う。そのためには今の仕事をやっつけでいい加減にこなしてはいけない。この一つ一つの仕事をまわりに自慢できるくらいきっちりこなして積み重ねることができれば、よりよい環境に進むことができるとはずだ。

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