2008-01-10

組込みソフトエンジニアの心理

組込みソフトプロジェクトにおける未熟な組織では、試行錯誤でシステムを作り上げてしまう。ここで、未熟といっているのは、先人の成功や失敗の経験を体系化したソフトウェア工学を使わず、かといって自分たちの成功や失敗の経験も体系化せず、ただその組織、その製品開発に長く携わっているだけで組織的な取り組みが十分にできていない状態のことを言っている。

20年、30年前の組込みソフトウェア開発では、ハードウェア、ソフトウェアの区別もなく、ソフトウェアはハードウェアを動かすためのシーケンス処理の記述でしかなかった。このころプログラムの規模は1000行にもなっておらず、試行錯誤でソフトウェアを作ってもランダムテストでバグを潰し切れた。開発の時間的な余裕もあったし、どちらかといえばソフトウェア開発は技術者の個人的な取り組みだった。

このようなソフトウェア開発のアプローチで成長した技術者が20年たってマネージャクラスになるとどうなるか。

<失敗や成功の体験を取り込んだり、体系化したことのないマネージャの特徴と思考>
  • ソフトウェア規模が小さい頃の成功体験、失敗体験でしかマネージメントできない
  • 分析してから設計しない
  • 直せと言われてたら、開発の後工程でもすぐに直してしまう
  • 要するに工程(プロセス)の概念がない
  • ソフトウェアの検証は作り込んだ後のランダムテストでやるものだ
  • 設計ドキュメント作りは余計な作業だ(設計ドキュメントを再利用したことがない)
  • ソフトウェアの再利用は過去のソースコードの適当な部分をコピー&ペーストすることだ
  • 金を払っているのだからどんな問題でも協力会社の技術者が解決すべきだ
こんなマネージャ、リーダーが全部ではないと思うが、ソフトウェア開発に対して組織的な取り組みを行っていない未熟な組織であればあるほどその比率は高いと思う。こんなマネージャ、リーダーを生み出さないようにするにはどうすればよいのか。悪いマネージャを作らない教育は上記の項目を逆に書けばできあがる。

<組込みソフトプロジェクトでダメダメマネージャを生み出さない教育>
  • 先人の成功体験、失敗体験が体系されたもの(ソフトウェア工学、自組織の体験)を教える
  • 分析してから設計することを教える
  • 開発の後工程での修正はコストがかかることを教える
  • ソフトウェア開発の工程(プロセス)の概念とその必要性を教える
  • ソフトウェアの検証に対する考え方と種別と効果について教える
  • 設計ドキュメントはどの場面でどのように使うものか教える
  • ソフトウェアの再利用戦略について教える
  • ソフトウェア品質マネージメントにおける発注と検収について教える
学校でも企業内でもこのような教育が十分に行われないで時間だけがただ過ぎていくとどんな組込みソフトウェアプロジェクトになるか考えるというのが今回のテーマである。

こんな状態で組込みソフトウェアに対する要求が複雑化し、ソフトウェアの規模が大きくなってくると、末端のエンジニアの作業工数がかさんでくる。その工数増加の分布は開発が終盤になればなるほど大きくなる。ただ、製品をリリースしたあとも後始末の工数があるため、次期製品の開発が始まった時期でも前の製品の保守に時間を割いていたりする。その結果、余裕を持って分析設計が行う時間がとれない。だからまた次の開発の終盤で苦労する。ようするに悪循環の構図だ。(『組込みソフト開発悪循環の構図』参照のこと)

そんな悪循環の中で、技術者個人が一番痛い目に遭っていて何とかしたいと考えるのが、よかれと思って修正したところが、別の問題を起こしたり今まで動いていたところが動かなくなったりするケースだ。この問題は個人に閉じている問題であり、また、プロジェクト全体に迷惑をかける問題でもある。バグの修正でデグレードしてしまうのはエンジニア個人にとって痛いし、プロジェクトにも迷惑をかけるので精神的にも負担が増える。簡単に言えばこれをやると個人的に痛みを感じる。

一度やるとイヤな記憶に残るので次は同じ目に遭いたくないと考える。そうなると最初に考えるのが何かしでかしてしまったときは、うまくいった状態に確実に戻せるようにしておきたいという心理だ。ようするに、ソフトウェアの構成管理をきちんとやろうということだ。

だから、組織にソフトウェア構成管理の取り組みを導入しようとするとき、現場に反発されることはほとんどない。すでに自分たちが行っている構成管理の方法やツールを変えるのはいやがることがあるが、ソフトウェア構成管理を行うこと自体に反対することはない。

なぜなら、バグの修正でデグレードしてしまう痛い経験をエンジニア個人が必ず一回はやっているから、その痛みを解消できるのなら多少の不自由があっても我慢できるのだ。

そして、次に考えるのがなぜ変更したのか、どんな変更を加えたのかを管理・記録することだ。バグ票を記入したり、データベースに登録したりして変更を管理する。

開発の規模が大きくなると日々バグが発生するので、次々と発生するバグや対応状況を記憶しきれなくなる。何かに記録しておかなければ分からなくなってしまう。構成管理の次は変更管理に取り組む。

テスト技術は個人でも修得できる部分が多い。だから、組織的に取り組まなくても技術者個人で技術を習得せよという命令を出せるから、プロジェクトをマネージできていないプロジェクトマネージャ、リーダでも部下に指示できる。

マネージメントされているとは言えないプロジェクトが、構成管理や変更管理をまがりなりにもできるようになるとプロジェクトのマネージメント=毎週進捗会議を行うことだと考えていたプロジェクトマネージャはプロジェクトがマネージメントされるようになったと思うかもしれない。

でも、構成管理と変更管理ができるようになっただけでは試行錯誤のアプローチから脱却できたとは言えない。分析してから設計しているわけではない。どんどん作り始めてしまって、問題があったら直していくアプローチは変わっていない。後戻りする頻度が減っただけであって、ソフトウェアシステム自体は開発の工程が進むにつれて複雑性を増していることが多い。

実は、ここからプロジェクトや技術者が一皮むけて一つ上のステージに上がれるようになるのがとてつもなく難しい。

ソフトウェア構成管理と変更管理はソフトウェア工学を取り込んでこなかったプロジェクトにも受け入れられやすい。それはなぜか。それは個人の痛みを軽減し、個人的な利益につながるからだ。組織やプロジェクトをマネージメントするという発想からきた取り組みではないんじゃないか。

プロジェクトみずからソフトウェア構成管理や変更管理をやるべきだと考え行動したのなら、それはプロジェクトマネージメントと言えるが、誰かから言われてルールだからという理由で構成管理や変更管理をやっているのなら、まだ、プロジェクトの利益のため、顧客満足を高めるためだと考えるまでには至っていないんじゃないかということだ。

失敗や成功の体験を取り込んだり、体系化したことのないマネージャのもとで、プロジェクトマネージメントを教科書どおりにやってもらうのはとても難しい。10年以上染みついてしまったスタイルをシフトするのは大変だ。

行き当たりばったりの修正に対して技術者個人やマネージャは特に問題だとは感じていないケースもある。だから、これまで実施していなかった構成管理や変更管理をやるようになっただけでも進歩していると考える。

10万行クラスのソフトウェアに対して開発の終盤で行き当たりばったりの修正を行ってしまうので,それらの修正によりサブシステム間の結合がどんどん強くなってしまう。

その結果,担当技術者でしか分からないという状況が発生するが,技術者個人にとってはその状況(自分にしかわからないことがあるという事実)は保身の材料になるため,積極的にその状況を解消したいとは思わない。そして,状況をよく知っている技術者が協力会社にいたりして,なにも考えずに新しい開発で協力会社を切ったりすると,この複雑になってしまっているソフトウェアシステムの状況が分からず同じ問題を繰り返す。

切られた協力会社にしてみれば「それ見たことか」といった感じになるので,ますます切れのよいサブシステムを構築することが困難になる。

<試行錯誤のアプローチから脱却できない個人、マネージャ、組織の心理>

技術者個人:構成管理,変更管理さえやっていれば,個人の損害は防げる。ソフトウェア資産を再利用することに技術者個人としてメリットは感じない。
マネージャ:構成管理,変更管理もまともにできていなかった。ソフトウェア資産の再利用までマネージメントするする余裕はない。
組織:なぜ,毎回毎回日程に間に合わない,予算をオーバーする,品質確保に苦労するのか理解できない。資産の再利用をなぜしないのか。

したがって,上記の3つのグループに対しては,提案の効果についてそれぞれ別々のメリットを示す必要があると思う。

<試行錯誤のアプローチから脱却できない個人、マネージャ、組織への提案の例>

技術者個人:アーキテクチャが明確になり,サブシステムの分離が進むと,設計の前段階での完成度が高まり,後工程でのバグが減る。
マネージャ:ソフトウェア資産を再利用できるようになると,最終工程でのバグが減り,ソフトウェアシステムの品質が高まる。
組織:ソフトウェア資産を再利用できるようになると,開発期間の終了が見えるようになり,ソフトウェア開発工数,デバッグ工数が減る。

成熟していない組織の最大の問題は直近の、また、直接的な利益のことしか考えられないということのように思う。長いレンジのスコープを持てないので、今日の問題の解決のことで頭がいっぱいになってしまい、明日につながるカイゼンのことに気が回らない。

自分はエンジニア個人の取り組みで組込みソフトウェアが作られてきた歴史や、責任と権限を明確にしなくても仕事ができてしまう日本人の特徴がこの状況を助長していると考えている。
 

2008-01-09

プロフェッショナルの条件2

NHKプロフェッショナルの条件 第74回(2008年1月8日放送)の「修行は、一生終わらない」鮨職人 小野二郎を見た。

小野二郎氏の店は2007年の暮れにミシュランガイド東京で三つ星を獲得した。でも、ミシュランで評価されたかどうかは関係なく、小野二郎氏の地味ではあるがプロとしての人生はすさまじいものがあった。

静岡県に生まれた小野二郎氏は、家庭の事情から7歳で奉公に出される。奉公先は地元の料亭、掃除、出前、皿洗いと毎晩遅くまで働いた。学校では居眠りばかりして過ごしたという。生来不器用だった二郎は、何をやっても時間がかかり、どなられてばかりいた。そんな小野二郎氏を支えていたのは、自分には「帰る場所はない」という思いだった。

そして、80歳を越えて「フレンチの帝王」と言われる三つ星シェフ、ジョエル・ロブションをうならせるまでに至った。

小野二郎氏が常に考えているは「どうすれば、店を訪れた客にうまい鮨を食べさせることができるか」だ。客にうまい鮨を食べさせるためには、仕込んだネタも満足できない状態なら客には出さない。鯖は生の状態ではネタがいいかどうかがわかりにくい。だから、よい鯖を2本選んだ後で酢でしめて一晩おき、客に出す直前にチェックすると違いが分かるという。客に出せないと判断された鯖は手間をかけても客には出さない。

ネタの仕込みだけでではない。客の気持ちになって、暖かいネタ、冷たいネタ、人肌のネタを出す順番も計算する。80歳を越えても、「まだ、もっとうまい鮨を作れるのではないか」と考え続けている。50年以上一つのことを追求し続ければ、不器用であっても名人になれるのだ。

ところで、みなさんは日経エレクトロニクス 2007年12月31日号のカバーストーリー『かっこいいソフトウェア、人海戦術より「あこがれ」のづくりを』を読んだだろうか? 日経エレで組込みソフトの取材をしている 進藤智則記者の記事であり、組込みソフトエンジニアなら必ず読んで欲しい内容だ。

進藤記者は記事の中でアーキテクトの重要性をていねいに説明しており、組込みソフトエンジニアを誰でもいいから10万人揃えればいいのではなく、優秀な人材を選抜し、育てるためにはまず母数として10万人が必要であると考えるべきと書いている。

小野二郎氏のような名人になれる鮨職人はそんなに多くないというのと同じだ。

記事の中身は実物を読んでいただくとして、アーキテクトを養成するには困難な状況がある中で、ほっとするトピックスがあった。

ソフト技術者の意識調査で「どんなときにソフトウェア技術者として最もやりがいを感じますか」に対する答えの上位4つが以下のような内容だったのだ。
  1. 開発にかかわった製品が実際にユーザーに使われていることを実感したとき(68.6%)
  2. 新しい技術・手法を実践できたとき(59.6%)
  3. 自分の技術・スキルをプロジェクトに生かせたとき(56.5%)
  4. 満足できる品質を実現できたとき(47.8%)
これらは、鮨職人の小野二郎氏が目指して実践していることと基本的に同じだ。特に1と4はエンドユーザーの満足を技術者のやりがいとしてとらえている。だから、何十年もかかるかもしれないけれど、この気持ちを持ち続け地道に精進していけば、必ずやプロフェッショナルの組込みアーキテクトになれるはずだ。

進藤記者は記事の中で組込みソフトウェアの分野に人材が集まらないのはソフトウェア開発に関して「構造が見えにくい」「顔が見えにくい」「設計思想が見えにくい」の3Mが原因だと分析し、三つの「見えにくい」を解消することが必要であると書いている。

その点はまったく同意する。でも、組込みソフトのプロフェッショナルエンジニアとしては、ソフトウェアが見えにくいことが「製品開発うまくいかない原因だ」「自分が評価されない原因だ」と考えモチベーションを下げて欲しくない。どうせどうせ子ちゃんや、評論家くんにはなって欲しくない。(「問題解決能力(Problem Solving Skill):自ら考え行動する力」参照のこと)

組込みの世界で生きている技術者は、最終的には作り上げたものがユーザーや市場に満足され、価値を認められ、また次のシリーズを買いたいと言ってもらえるかどうかで勝負すべきだ。鮨職人、小野二郎も同じだ。だから、ミシュランで三つ星取ることが目的ではないと言っていた。

50年以上も愚直に一つの道を修練し続ける気概があれば、絶対にその道の達人になれる。それだけ長いスパンで考えれば技術者を評価するのは上司でも組織でもない、プロダクトに対するエンドユーザーの目がエンジニアの仕事を評価してくれると考える必要がある。

ちなみに自分はユーザーとして商品を作ったエンジニアをそのプロダクトのメーカーに重ね合わせる。日頃重宝している商品には愛着を感じ、次のシリーズも買いたいと思うし、近頃ハングアップを起こす情報家電や気持ちよく使っていても商品開発を打ち切られたりすると次は絶対にそのメーカー、その商品のシリーズは買わない。ユーザーが信頼を裏切る商品は次には選択しないことこそが、商品開発に関わるエンジニアを成長させると信じているからだ。だから、高価でも品質がいいと感じた商品は次回も同じシリーズを買うし、そうすればその商品の価値とその商品を作ったエンジニアの成果を認めたことになると考えている。

組込みソフトを見えるようにすることは必要だ。可視化されたアーキテクチャの美しさを競うのもよい。でもそれで自己満足してはダメだ。そのアーキテクチャが顧客満足に貢献している、商品の価値を生み出していることを実感し、組織に示せなければいけない。

自分は、プロフェッショナルエンジニアは作り上げたプロダクトが顧客や市場に受け入れられて満足されたかどうかで評価されるべきだと思う。

そう考えれば、電気屋も機械屋もソフト屋も関係ない。みんながそれぞれ力を出し合って、価値の高い商品を作り上げることを目指すことになる。

そのために、ソフトウェアの可視化が必要ならそうするし、日本の若者が愚直に技術を磨くことがきらいで苦労することを敬遠するのなら、アジアの若者で見込みのあるヤツを育てた方がいいんじゃないかと思う。

P.S.
昔書いた「プロフェッショナルの条件」の記事も是非お読みください。
 

2008-01-05

問題解決能力(Problem Solving Skills):自ら考え行動する力

正月休みに『世界一やさしい問題解決の授業』(渡辺健介著)という本を読んだ。

いつものように、まえがきを紹介したいと思う。

世界一やさしい問題解決の授業のまえがきより】

 みなさんの将来の夢は何ですか? 今どのような悩みがありますか? 壁に直面したとき、自分の力で乗り越え、人生を切り開いていけるという自信はありますか? それとも、あきらめてしまいそうですか?
 この本で紹介する「考え抜く技術」、そして「考え抜き、行動する癖」を身につければ、たとえば苦手な教科を克服する、部活でよい成績を残す、文化祭を盛り上げるといった、日常生活で直面するさまざまな問題を解決できるようになります。そして、自分自身の才能と情熱が許すかぎり、夢を実現する可能性を最大限まで高めることができるようになります。
 つまり、自ら責任が持てる人生、後悔しない人生を生きることができるようになるのです。
 どんなに大きく複雑に見える問題でも、いくつかの小さな問題に分解すれば解けるのです。一度そのことに気がつけば自信がつくし、前向きになるし、精神的にも余裕ができます。そして、自ら考え、決断をし、行動することの楽しさを知り、人生を切り開くために必要な癖が身につくのです。
 この本を紹介する問題解決の手法は、ぼくがかつて働いていたマッキンゼーという経営コンサルティング会社で活用されているものを基にしています。マッキンゼーは企業の社長さんや政府・非営利団体のリーダーの方々にアドバイスする会社で、日本や世界を代表する企業の戦略を立てるときにも、この手法が使われています。それだけでなく、これは個人の問題を解決するためにも必ず役に立ちます。ぼくは22歳でこの思考法と出会い、そのとき、「これが『考える』ということなのか! なぜこれをもっと早く教えてくれなかったんだろう」と強く思いました。そして、なるべく多くの人にこの思考法を伝えられればと思い、この本を書くことにしたのです。
 この本では、最低限必要なものに絞って、シンプルに紹介してきます。
 1限目では、自分で問題を解決することのできる人を「問題解決キッズ」と名づけ、それはどのような人なのか、問題解決の流れはどのようなものなのかを、ひととおり説明します。
 2限目では、中学生バンド「キノコLovers」がより多くの人にコンサートに来てもらうためにはどうすればよいかを、問題解決の手法を使って解く例を紹介します。
 3限目では、CGアニメの映画監督になることを夢見るタローくんが、まずパソコンを手に入れるために具体的な目標を立て、達成する方法を考え出す例を紹介します。
 問題解決能力を身につけることは、けっして、人の感情がわからない「冷たい論理的な人」になるということでも、口が達者で自分のことしか考えない「個人主義で身勝手な人」になるわけでも、日本人的なよさを失い「欧米的な考えをする人」になることでもありません。
 自分の力で考え抜き、行動をする人になる、自分の力で人生を切り開く人になるということなのです。
 さあ、一緒に問題解決の思考法を楽しく学びましょう!
 みなさんも一歩踏み出す力がきっと身につくはずです!

【引用終わり】

この本、ダイヤモンド社から1200円(+税)で2007年6月に出版されているのだが、4ヶ月でなんと13刷りまで増刷されている。まえがきからも分かるように、子供もターゲットの中に含まれている点が幅広い層から支持されているのだと思う。

著者の渡辺健介氏は、デルタスタジオをいう会社を作って、この問題解決の授業を実際に子供達に教える活動も行っている。

さて、冒頭に掲げた絵はこの本の中での子供達の分類を表している。子供になぞらえているが実際には大人の世界で考えた方がよりリアリティがある。

【「図1-1 問題解決キッズは最短距離でゴールにたどり着く」より】

「どうせどうせ」子ちゃん
  • 考えないし行動もとらないので、ゴールにはたどり着かない。
  • やってみないから何も学ばないし、自信もつかない。
  • グチを言って日々過ごす。
「評論家」くん
  • 何が問題か、だれが悪いか、何をすべきかは言えるが、自分では行動しない。
  • リスクや結果に対する責任をとらない。
「気合いでゴー」くん
  • わき目もふらずに前進あるのみ! へこたれずにがんばるが、ムダが多く、ゴールに最短距離でたどり着けない。
  • 行動した結果から学ばないので、進化するスピードが遅い。
「問題解決キッズ」
  • 適度に考えて、行動して方向修正して・・・を繰り返し、最短距離でゴールにたどり着く。
  • 実行の結果から毎回何かを学び、進化していく。
【引用終わり】

みなさんの周りにも「どうせどうせ」子ちゃんや「評論家」くん、「気合いでゴー」くんがいるのではないだろうか。自分は「問題解決キッズ」だと自負している人でも、一時的に「どうせどうせ」子ちゃんや「評論家」くん、「気合いでゴー」くんになることはある。しかし、いかに「問題解決キッズ」が少ないことか。子供の世界でも、あらかじめ答えのある問題しか解かせていないせいか「問題解決キッズ」は少ない。

渡辺氏は、「問題解決キッズ」は他の3人と「進化するスピード」がまったく異なると主張している。スタート地点では、全員100の力があると仮定し、「考え抜き、行動する癖」がある人とない人の進化のスピードをシミュレーションしている。

Aさんの進化のスピードが毎月1%、Bさんは5%、Cさんは10%で進化するとすると、3年後にはAさんとCさんでは22倍、BさんとCさんでも5倍の差が付く計算になる。10年、20年と人生を積み重ねていけば、その差は果てしなく広がる。「考え抜き、行動する癖」を身につけているか否かがその差になる。

さて、この本では問題解決の流れを 次のような工程で説明している。

【問題解決の流れ】
  1. 現状の理解
  2. 原因の特定
  3. 打ち手の決定
  4. 実行
この順列はプロジェクトマネジメントで提唱される P(Plan)→D(Do)→C(Check)→A(Action)の流れにも似ているが、PDCAのP(Plan)の部分がより詳細に、「現状の理解」「原因の特定」「打ち手の決定」と分解されている点に注目すべきだと思う。

別な言い方をすれば、問題解決のためには分析の工程がポイントであり、十分に分析しないでPDCAのサイクルを回してしまうと問題解決に時間がかかる可能性がある。PDCA回しているのに「気合いでゴー」くんになってしまう危険性もあると思う。

世界一やさしい問題解決の授業』では、問題解決のためのツールとして
  • 分解の木
  • はい、いいえの木
  • 課題分析シート
  • 仮説の木
  • 意志決定ツール
などを紹介して分析工程の充実を図っている。日本にも品質管理の世界ではQC7つ道具とか新QC7つ道具といった分析ツールが使われており、課題解決の際に重宝している。でも、このような分析ツールは実際にどれだけ使われているだろうか。自分の実感としては、日本では特に「考え抜き、行動する癖」が欠落し、問題を分析する機会が減っているように思う。

さて、実際の問題解決の方法論については『世界一やさしい問題解決の授業』を読んでいただくとして、この本で紹介されている。中学生バンド「キノコLovers」がより多くの人にコンサートに来てもらうためにはどうすればよいかの問題解決の手法と、CGアニメの映画監督になることを夢見るタローくんが、まずパソコンを手に入れるために具体的な目標を立て、達成する方法を考え出す例を読んだ感想を書きたいと思う。

まずは正直にいってげっそりしてしまった。なぜかというと、題材は子供向けではあるが、実際にやっていることはプロのイベント屋さんがやっているマーケティングや、ファイナンシャルプランナーの理論であり行動なので、何しろ「重い」。

自分が中学生になったつもりで問題解決の手法を実行することを想像してしまうと「重い」し、途中でくじけそうな気がしてしまう。

そう考えると、問題解決のための手法はこの本を参考にして身につけたとして、一番大事なのは問題解決の意志、モチベーションを問題が解決するまで高く持ち続けることができるかどうかだと思った。

だからこそ、この本の問題解決の例題が「キノコLoversがより多くの人にコンサートに来てもらうため」であり「CGアニメの映画監督になることを夢見るタローくんがパソコンを手に入れる」なのだ。当事者にとって何としても達成したい目標があるからこそ、問題解決の手法を使って行動する活力が沸いてくる。

自分はイマイチ、キノコLoversやタローくんに感情移入しきれなかったため、げっそりしてしまったが、自分自身の達成したい目標が課題なら気分はまた違う。

組込みソフトエンジニアにとって、問題解決の実現する活力(モチベーション)をどこに持って行くのかが実は難しい。

例えば、サラリーアップのような目標は問題解決を実現するモチベーションにはなりにくい。問題を解決しなくても、上司にゴマをすることで目標を達成できてしまうかもしれない。

組込み製品開発における問題は品質、コスト、納期、制約条件のクリアなどさまざまだが、組織としての最終目標は製品を完成させて製品が市場に受け入れられること、もっとストレートに言えば商品が売れることだ。

でも、商品が売れることに個人のモチベーションを重ねるのはどうかと感じる。そこで、提案したいのが顧客満足を問題解決を実現する活力(モチベーション)とするという考え方だ。

提供した商品をお客さんに満足してもらうこと目標に掲げ、問題解決を実現する活力になれば、商品開発で発生するさまざまな課題を問題解決のツールを使いながら乗り越えることができるし、エンジニア自身がみるみる進化する。商品の品質は顧客満足であるという考え方があるように、顧客満足を高めることは組織の目的にも合致する。顧客満足を高めることを個人の目標にできれば、組織の目標にもなるので都合がよい。

実際、自分自身はこのことがETSSで定義されるような技術的なスキルよりも大事だと考えている。それがこの記事のタイトルにした問題解決能力(Problem Solving Skill)だ。問題解決を実現する活力(モチベーション)を保ちながら、問題解決能力(Problem Solving Skill)を高めることができれば、エンジニア個人も進化するし、商品開発も成功に近づく。極端に言えば、問題解決能力(Problem Solving Skill)が高ければ、技術的スキルは最初なくても、当然必要であることに気がつくためいずれ身につく。

もう一つ、エンジニアの考え方として大事なのは「貢献」だと思う。自分は何にどのような貢献ができるのかと考える。例えば、組織に対して、社会に対して、家族に対して、コミュニティに対して。

貢献という視点は、所属する範囲の中の自分を意識し、その役割を意識することにつながる。だから、自分がやりたいことをやるのではなく、何が貢献できるのかという視点で考え、行動すると、成果は必ず評価されるはずだ。

これを機会にみなさんにも、問題解決能力(Problem Solving Skill)と問題解決を実現する活力(モチベーション)、貢献の視点、この3つについて考えていただきたい。 

P.S.

世界一やさしい問題解決の授業』の著者、渡辺健介氏は、あとがきで、次のように述べている。

【あとがきより引用】

 問題解決能力に似たクリティカル・シンキングは、英米の一部の学校で、国語や歴史などの授業を通じて教えられています。次世代リーダーを育てるために、まず感情を揺さぶるような刺激を与えて問題意識を持たせたうえで、「問題の本質は何なのか」「自分だったらどうするのか」を問いかけることで、リーダーとしての責任感や意志決定能力をみにつけさせ、個人の価値観を結晶化させるのです。
 私自身、中学校二年生からアメリカで教育を受けたのですが、最も衝撃的だったのがグチニッチハイスクールでの米国史の授業でした。
 たとえば、公民権運動を取り上げる際には、黒人差別の映像-子供も女性も圧力ホースで吹き飛ばされ、警察犬にかみつかれる様子-を、あらゆる人種が混在するクラスメイト全員で見るのです。生々しい感情や体験を目の前につきつけられました。さらに、キング牧師の自伝はもちろん、弾圧する側だったKKK(クー・クラック・クラン)の資料や、関連する小説を読み、多様な視点で考えることを求められました。

【引用終わり】

日本の教育や生活の中で圧倒的に不足しているのが、このような感情を揺さぶるような刺激を受けて問題を考えることのように思う。テレビの中では議論は交わされているが、視聴者はそれをただ見ているだけ。ただ、米英の教育をまねすることがいいのか、そうすると日本人のアドバンテージが失われてしまうのかどうかはまだよく分からない。

ただ一つだけ言えるのは、問題解決能力の低い人間を寄せ集めても、物事はちっとも先に進まないということだ。