2008-01-09

プロフェッショナルの条件2

NHKプロフェッショナルの条件 第74回(2008年1月8日放送)の「修行は、一生終わらない」鮨職人 小野二郎を見た。

小野二郎氏の店は2007年の暮れにミシュランガイド東京で三つ星を獲得した。でも、ミシュランで評価されたかどうかは関係なく、小野二郎氏の地味ではあるがプロとしての人生はすさまじいものがあった。

静岡県に生まれた小野二郎氏は、家庭の事情から7歳で奉公に出される。奉公先は地元の料亭、掃除、出前、皿洗いと毎晩遅くまで働いた。学校では居眠りばかりして過ごしたという。生来不器用だった二郎は、何をやっても時間がかかり、どなられてばかりいた。そんな小野二郎氏を支えていたのは、自分には「帰る場所はない」という思いだった。

そして、80歳を越えて「フレンチの帝王」と言われる三つ星シェフ、ジョエル・ロブションをうならせるまでに至った。

小野二郎氏が常に考えているは「どうすれば、店を訪れた客にうまい鮨を食べさせることができるか」だ。客にうまい鮨を食べさせるためには、仕込んだネタも満足できない状態なら客には出さない。鯖は生の状態ではネタがいいかどうかがわかりにくい。だから、よい鯖を2本選んだ後で酢でしめて一晩おき、客に出す直前にチェックすると違いが分かるという。客に出せないと判断された鯖は手間をかけても客には出さない。

ネタの仕込みだけでではない。客の気持ちになって、暖かいネタ、冷たいネタ、人肌のネタを出す順番も計算する。80歳を越えても、「まだ、もっとうまい鮨を作れるのではないか」と考え続けている。50年以上一つのことを追求し続ければ、不器用であっても名人になれるのだ。

ところで、みなさんは日経エレクトロニクス 2007年12月31日号のカバーストーリー『かっこいいソフトウェア、人海戦術より「あこがれ」のづくりを』を読んだだろうか? 日経エレで組込みソフトの取材をしている 進藤智則記者の記事であり、組込みソフトエンジニアなら必ず読んで欲しい内容だ。

進藤記者は記事の中でアーキテクトの重要性をていねいに説明しており、組込みソフトエンジニアを誰でもいいから10万人揃えればいいのではなく、優秀な人材を選抜し、育てるためにはまず母数として10万人が必要であると考えるべきと書いている。

小野二郎氏のような名人になれる鮨職人はそんなに多くないというのと同じだ。

記事の中身は実物を読んでいただくとして、アーキテクトを養成するには困難な状況がある中で、ほっとするトピックスがあった。

ソフト技術者の意識調査で「どんなときにソフトウェア技術者として最もやりがいを感じますか」に対する答えの上位4つが以下のような内容だったのだ。
  1. 開発にかかわった製品が実際にユーザーに使われていることを実感したとき(68.6%)
  2. 新しい技術・手法を実践できたとき(59.6%)
  3. 自分の技術・スキルをプロジェクトに生かせたとき(56.5%)
  4. 満足できる品質を実現できたとき(47.8%)
これらは、鮨職人の小野二郎氏が目指して実践していることと基本的に同じだ。特に1と4はエンドユーザーの満足を技術者のやりがいとしてとらえている。だから、何十年もかかるかもしれないけれど、この気持ちを持ち続け地道に精進していけば、必ずやプロフェッショナルの組込みアーキテクトになれるはずだ。

進藤記者は記事の中で組込みソフトウェアの分野に人材が集まらないのはソフトウェア開発に関して「構造が見えにくい」「顔が見えにくい」「設計思想が見えにくい」の3Mが原因だと分析し、三つの「見えにくい」を解消することが必要であると書いている。

その点はまったく同意する。でも、組込みソフトのプロフェッショナルエンジニアとしては、ソフトウェアが見えにくいことが「製品開発うまくいかない原因だ」「自分が評価されない原因だ」と考えモチベーションを下げて欲しくない。どうせどうせ子ちゃんや、評論家くんにはなって欲しくない。(「問題解決能力(Problem Solving Skill):自ら考え行動する力」参照のこと)

組込みの世界で生きている技術者は、最終的には作り上げたものがユーザーや市場に満足され、価値を認められ、また次のシリーズを買いたいと言ってもらえるかどうかで勝負すべきだ。鮨職人、小野二郎も同じだ。だから、ミシュランで三つ星取ることが目的ではないと言っていた。

50年以上も愚直に一つの道を修練し続ける気概があれば、絶対にその道の達人になれる。それだけ長いスパンで考えれば技術者を評価するのは上司でも組織でもない、プロダクトに対するエンドユーザーの目がエンジニアの仕事を評価してくれると考える必要がある。

ちなみに自分はユーザーとして商品を作ったエンジニアをそのプロダクトのメーカーに重ね合わせる。日頃重宝している商品には愛着を感じ、次のシリーズも買いたいと思うし、近頃ハングアップを起こす情報家電や気持ちよく使っていても商品開発を打ち切られたりすると次は絶対にそのメーカー、その商品のシリーズは買わない。ユーザーが信頼を裏切る商品は次には選択しないことこそが、商品開発に関わるエンジニアを成長させると信じているからだ。だから、高価でも品質がいいと感じた商品は次回も同じシリーズを買うし、そうすればその商品の価値とその商品を作ったエンジニアの成果を認めたことになると考えている。

組込みソフトを見えるようにすることは必要だ。可視化されたアーキテクチャの美しさを競うのもよい。でもそれで自己満足してはダメだ。そのアーキテクチャが顧客満足に貢献している、商品の価値を生み出していることを実感し、組織に示せなければいけない。

自分は、プロフェッショナルエンジニアは作り上げたプロダクトが顧客や市場に受け入れられて満足されたかどうかで評価されるべきだと思う。

そう考えれば、電気屋も機械屋もソフト屋も関係ない。みんながそれぞれ力を出し合って、価値の高い商品を作り上げることを目指すことになる。

そのために、ソフトウェアの可視化が必要ならそうするし、日本の若者が愚直に技術を磨くことがきらいで苦労することを敬遠するのなら、アジアの若者で見込みのあるヤツを育てた方がいいんじゃないかと思う。

P.S.
昔書いた「プロフェッショナルの条件」の記事も是非お読みください。
 

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