2011-06-25

「部下に任せないとダメだ」と考えさせられる一冊(その2)



小倉 広著『任せる技術』を読み進んだので前回に続き感想と思ったことを書こうと思う。

小倉氏は CHAPTER 3 任せる、と伝える の中で、「人生のビジョンがない部下には任せられない」と書いている。仕事を任せる時には部下に自分からジャンプさせ選ばせる。しかし、そうするためには絶対に必要な条件があり、それが、自分なりの「判断基準」を持っていることだという。そして、その「判断基準」が長期的な「人生のビジョン」であることが必要というのだ。

【CHAPTER 3 「任せる、と伝える」 より引用】
部下の立場に立って考えてみよう。上司から仕事を任せたい、と申し出があった。どうやら今よりも仕事が増えそうだ。しかし、すぐに給料が上がるわけではない。目先の損得だけを考えれば、これは間違いなく「損」だ。

「給料が上がるわけじゃないないし、だったら面倒だから断ろう」

このように考えるのがごく普通の判断というものだろう。しかし、もし、彼に将来の夢があったならどうだろう。例えば独立して社長になりたい。もしくは他社からスカウトが来るようなプロフェッショナルになりたい。そんな夢があったら、きっと判断は変わるに違いない。

「将来独立するためには、この経験はプラスになる。自己成長のために是非やらせてもらいたい。」そのように答えが変わってくるだろう。
【引用終わり】

小倉氏は組織人事のコンサルタントだったからこう書いているが、この話しはソフトウェアエンジニアにも全く同じように当てはまる。

ソフトウェアの開発効率や品質を高めるためには、高度なスキルを学んだり、自動化のシステムを構築したり、アーキテクチャを見直したり、プロセスを組み直したりするため一時的に仕事量が増える。日々忙しいのなら、さらに忙しくなるということだ。

ソフトウェアプロダクトライン(ソフトウェアの再利用戦略)もそうだが、最初に再利用資産を構築する際には通常の作業よりも1.5倍くらいは軽く工数も時間もかかる。それを乗り越えて「今やろう」と決断できなければ、その先開発が楽になることはない。エンドレスの悪循環が待ち構えている。

エンジニア個人やプロジェクトにスキルアップや新しい取り組みを進言するとき、必ず聞かれるのは「それをやるとどれくらい工数や時間がかかるのか」だ。目先の損得だけで判断されると大抵は辞退される。だからこそ、エンジニアとしての将来の夢を語りたいのだが、なかなか自分自身がエンジニアとしてどう成長したいのかを頭に描いている人はいない。

新人は夢があっていいのだけれど、職場に配置されて1年もたつと、夢を語らなくなる。上記の引用のように、夢のないエンジニアに仕事を任せても成長のスピードが遅い。

本サイトでよく読まれ低r記事「問題解決能力(Problem Solving Skill):自ら考え行動する力」の「どうせどうせ子ちゃん」や「評論家君」が多く、「問題解決キッズ」が少ないのだ。

小倉氏は、『任せる技術』のなかで「世の中には、明確な人生のビジョンを持ち仕事に取り組んでいる人は1割に満たないと思う。これまで3万人の管理職に研修や講演をしてきた僕の実感値では、1~2%がいいところだろう。」と言っている。よって、上司は部下が自分の人生のビジョンを描くお手伝いをする必要があり、そのためには定期的な面談が欠かせないと書いている。

【CHAPTER 3 「任せる、と伝える」 より引用】

■ビジョンなし、なら今に集中
実際に部下と人生のビジョンについて面談するとわかることがある。それは何度質問を繰り返してもビジョンが見つからない部下がたくさんいるということだ。これまで彼らは「ベキ論」に縛られて生きてきた。だから突然、「どうしたい?」「どうなりたい?」と聞かれるとうろたえてしまうのだ。「やりたいことが見つからない」。そういう若者が増えているのだという。では、僕たちは彼らに対してどう接すればよいのだろうか?

これまで言ってきたことと矛盾するようだが、僕はその場合は、ムリしてビジョンを描かなくてもいいと思う。今、目の前にある仕事に120%集中するよう導いてあげればいいのではないか。

キャリア・ドリフト理論という考え方がある。キャリアはデザインするものではない。偶然に出会うものだ、という考え方だ。ただし、そのためには条件がある。今、目の前にある仕事に120%集中することだ。「自分には向いていないかもしれない・・・」などと言わずに、その仕事に集中するのだ。そのときに初めて偶然が、幸運が訪れる。
【引用終わり】

「明確な人生のビジョンを持ち仕事に取り組んでいる人は1割に満たない」というのは悲しいことだ。そうなっているのは、人生のビジョンを描く訓練をしてこなかったからだと自分は信じたい。「ベキ論」に縛られることなく、やりたいことをやるにはどうしたらいいのかを考え、実行し、ダメだったらなぜそうなったのかを反省するそれを繰り返していけば、人生のビジョンを描けるようになると思う。

本当ならば、それを学生の時代に訓練しておいて欲しいのだが、その訓練をする機会もなく社会で出てしまった人達は大勢いる。だから、上司は部下に仕事を任せなければいけない。

【CHAPTER 3 「任せる、と伝える」 より引用】

■任せる、とういことは、自分の違うやり方に異を唱えないこと
任せた以上は、自分と違うやり方を許容しなくれはならない。
「オレだったらこうするのに・・・」
「そのやり方をすると後で必ず問題が起こるぞ。あ~。やっちゃった・・・」
そう思ったとしても、部下のやり方に異を唱えてはいけないのだ。失敗することも含めて部下に経験させなくてはならない。それが本当の意味での任せる、ということなのだ。
【引用終わり】

もう一つ、重要な教訓。

【CHAPTER 4 「ギリギリまで力を発揮させる」 より引用】

■相手に矢印を向ける人は成長しない
先にお伝えした通り、上司が持っていた仕事を部下に任せると、部下には大きなストレス負荷がかかる。能力以上の仕事にチャレンジする部下は思い通りにならない仕事にイライラを感じるのだ。これを心理学の言葉では認知的不協和と呼ぶ。

これは前にも説明したが、そのイライラを解消する時に常に選択肢は二つある。一つは自分に矢印を向ける方法。つまり、問題の原因を自分にあると考え、自分を変えることで問題を解決しようとするアプローチだ。これを選ぶ部下は成長していく。仕事を任せたかいがある、というものだ。

しかし、もう一つの選択肢を選んだ場合はそうはいかない。それが他人に矢印を向けるという方法だ。
「目標達成できないのは不景気のせい」
「期限内に提出物を出せないのは、仕事の量が多すぎるから」
「チームの目標達成率が低いのは、人員を補充してくれない人事部のせい」

そうやって問題をすべて他人のせいにすることで自己正当化する。自分は悪くない、悪いのは他人だ、と言って必死に自分を守るのだ。

当たり前にことではあるが、このタイプの人は成長しない。自分は変わる必要がない。すべては他人が悪いと思っているからだ。
【引用終わり】

相手に矢印を向けずに、「自分に矢印を向ける」ように指導する、これが難しい。どうすればいいかを考えるのも自分の仕事だ。

2011-06-12

「部下に任せないとダメだ」と考えさせられる一冊


いま『任せる技術』という本を読んでいる。プレイングマネージャを自負している方には是非読んでいただきたい一冊だ。まだ最初の方だけしか読んでいないが、とても心に響いている。

【CHAPTER1 ムリを承知で任せる より 引用】
そもそも部下の仕事とは「今日」の食いぶちを稼ぐことにある。一方で上司の仕事とは「今日とは違う明日」をつくることである。例えば、業務フローを標準化し改善する。営業戦略を立案し実行する。未来のビジョンを策定し部下を勇気づける。部下育成をする。これまでとは違うやり方を示し、より良い未来へ踏み出すのだ。

部下の仕事を奪っている上司は、これを怠っているということになる。目先の忙しさにかまけて本質的な上司の仕事を一切していないことになるのだ。先に掲げた「高い給与で部下の仕事を奪うこと」が目に見える損失だとすれば、「今日とは違う明日」づくりを放棄するということは目には見えない大いなる損失と言えるだろう。
【引用終わり】

耳が痛い。著者の小倉広氏は組織人事コンサルティング畑の方で、エンジニアではないが、技術者の上司と部下も同じことが言えるだろう。

小倉氏は上司が部下に仕事を任せない理由として次のようなことを挙げている。

  • 部下に任せて失敗することを恐れている。上司の責任になってしまうのが恐い。
  • 部下に任せることで仕事の質が下がり、部署全体の業績が下がることを恐れている。
  • 部下に任せるためには手取り足取り教えなければならない。自分がやった方が早い。
  • 部下に教えられるほどにノウハウが整理体系化されていない。
  • 口べたであり、うまく部下に教えることができない。
  • 部下が自分の仕事が増えることを嫌がり、場合によっては任せられることを拒絶する。
  • 仕事を部下に任せることにより職場にストレスがたまり雰囲気が悪くなる。
  • 部下に仕事を任せることで、上司が楽をしているのではないかと疑われるのが恐い。
  • 上司自身が忙しくなることに快感を覚え、仕事を部下に渡したくない。
  • 部下に任せることによるわずかな品質低下が許せないほどに上司が完璧主義者である。
  • 部下に仕事を任せたいと思っているが、何をどこまで任せていいのかわからない。
まさに図星だ。自分の場合「部下に任せることによる品質低下が最終的に顧客満足を低下させることにつながらないか?」という恐怖が強い。しかし、そのことは自分が戦列を離れたときの顧客満足度の低下については考慮していないということになる。

「自分がいなくなったら?」「そんなことは知ったこっちゃない」ということになり、きわめて自己中心的であり、組織力を弱体化させ、結果的には顧客満足も下げてしまうことになりかねない。

【CHAPTER2 ムリをしなければ脳の筋肉はつかない より引用】
「小倉さん、今の仕事にやりがいが感じられないのです。転職すべきかどうか迷っています。アドバイスを下さい」と言うのだ。なぜ、やりがいがないの? と聞くと返ってくる答えは2種類に大別される。

1つ目は「今の仕事が自分には向いていない」というものだ。例えば営業をやっている人は自分には営業は向いていない、と言う。本当にそうであるかは大いに疑問が残るのだが。

2つ目の理由は、「上司や会社に問題がある」というものだ。職場に問題があり、上司に直訴しても変わりそうにない。だからあきらめて転職する、と言うのだ。

僕はその2つを聞くたびにこう思う。

「その状態でどこへ転職しても、絶対にやりがいは見つかりませんよ」と。

「やりがい」とは、楽ちんな仕事を通じては手に入らない。「やりがい」は壁を乗り越えた向こう側にあるものだからだ。決して壁の手前にそれはない。様々な障害やつらさを乗り越えたときに初めて僕たちは「やりがい」に出会い、それを手にすることができる。しかし、先に相談してくる人達のほとんどは壁を乗り越える前に逃げ出そうとしている人ばかりだからだ。
【引用終わり】

部下のモチベーションは維持しなければいけないし、ムリもさせないと基礎体力がつかない。自分自身は若いことムリをした経験がある。今の若い人達には「ムリをさせろ」ということ自体がムリという人がいるが、小倉氏が書いていることはその通りだと思う。障害やつらさを取り越えないで「やりがい」に出会えることなどない。

【CHAPTER3 部下が失敗する「権利」を奪うな より引用】
失敗が喉の渇きを引き起こす

なぜ人は「任される」と育つのだろうか。

もちろん答えは一つではない。任されるから主体性が育つ。任されるからモチベーションが高まる。任されるから期待が伝わりそれに応えようとする。様々な要因があげられるだろう。

しかし、それらの中であえて一つを選ぶとするならば、僕は真っ先に「失敗の経験」をあげるだろう。つまり「任される」ことで初めて「失敗」を経験し、「失敗」により人は多くを学ぶのだ。「失敗」すれば痛みが伴う。そのとき初めて人は「失敗したくない」と心から思う。「うまくできるようになりたい」と切望する。つまりは、うまくやるための方法という「水」を求めて「喉が渇く」のだ。

そして様々な「試行錯誤」を行う。自分の頭で考えて「工夫」する。やがてうまくいくやり方を見つける。そこで見つけた方法をゴクリと飲み干すのだ。そうして全身にそれをしみ渡らせる。それを繰り返すことにより体で覚えていくのだ。
【引用終わり】

この話を、ソフトウェア開発の世界に投影してみると、何しろ今は「失敗させる機会」が少ない。「渇きを引き起こす」だけの「失敗の経験」を与える機会がない。また、ソフトウェアは失敗作でも一見動いてしまうこともあり、それが失敗であると気づかずに先に進んでしまうこともある。

さらに、大規模プロジェクトでは自分の作ったソフトウェアに失敗(=バグ)があることを自分ではなく、後工程のメンバーが見つける責務を担っていることもある。作りっぱなしで失敗を見つけるのも他人という環境では渇きが起こらない。

自分の場合は「渇き」は「今よりも美しいソフトウェアを作りたい」「より楽に、より高品質で、クリエイティブな仕事がしたい」という気持ちから生まれていたと思う。

「失敗の経験」により「渇きを引き起こす」ためには、この本のタイトルどおり任せる技術が必要そうだ。「渇きを引き起こす」どころかやる気がなくなってもまずい。

失敗しないように手取り足取り教えてしまうと任せたことにはならず、「渇き」にはつながらない。

コンピュータではなく相手が人間だとこれほどまでに物事をうまく進めるのが難しい。もっと、この本を読み進める必要がありそうだ。