小倉 広著『任せる技術』を読み進んだので前回に続き感想と思ったことを書こうと思う。
小倉氏は CHAPTER 3 任せる、と伝える の中で、「人生のビジョンがない部下には任せられない」と書いている。仕事を任せる時には部下に自分からジャンプさせ選ばせる。しかし、そうするためには絶対に必要な条件があり、それが、自分なりの「判断基準」を持っていることだという。そして、その「判断基準」が長期的な「人生のビジョン」であることが必要というのだ。
【CHAPTER 3 「任せる、と伝える」 より引用】
部下の立場に立って考えてみよう。上司から仕事を任せたい、と申し出があった。どうやら今よりも仕事が増えそうだ。しかし、すぐに給料が上がるわけではない。目先の損得だけを考えれば、これは間違いなく「損」だ。【引用終わり】
「給料が上がるわけじゃないないし、だったら面倒だから断ろう」
このように考えるのがごく普通の判断というものだろう。しかし、もし、彼に将来の夢があったならどうだろう。例えば独立して社長になりたい。もしくは他社からスカウトが来るようなプロフェッショナルになりたい。そんな夢があったら、きっと判断は変わるに違いない。
「将来独立するためには、この経験はプラスになる。自己成長のために是非やらせてもらいたい。」そのように答えが変わってくるだろう。
小倉氏は組織人事のコンサルタントだったからこう書いているが、この話しはソフトウェアエンジニアにも全く同じように当てはまる。
ソフトウェアの開発効率や品質を高めるためには、高度なスキルを学んだり、自動化のシステムを構築したり、アーキテクチャを見直したり、プロセスを組み直したりするため一時的に仕事量が増える。日々忙しいのなら、さらに忙しくなるということだ。
ソフトウェアプロダクトライン(ソフトウェアの再利用戦略)もそうだが、最初に再利用資産を構築する際には通常の作業よりも1.5倍くらいは軽く工数も時間もかかる。それを乗り越えて「今やろう」と決断できなければ、その先開発が楽になることはない。エンドレスの悪循環が待ち構えている。
エンジニア個人やプロジェクトにスキルアップや新しい取り組みを進言するとき、必ず聞かれるのは「それをやるとどれくらい工数や時間がかかるのか」だ。目先の損得だけで判断されると大抵は辞退される。だからこそ、エンジニアとしての将来の夢を語りたいのだが、なかなか自分自身がエンジニアとしてどう成長したいのかを頭に描いている人はいない。
新人は夢があっていいのだけれど、職場に配置されて1年もたつと、夢を語らなくなる。上記の引用のように、夢のないエンジニアに仕事を任せても成長のスピードが遅い。
本サイトでよく読まれ低r記事「問題解決能力(Problem Solving Skill):自ら考え行動する力」の「どうせどうせ子ちゃん」や「評論家君」が多く、「問題解決キッズ」が少ないのだ。
小倉氏は、『任せる技術』のなかで「世の中には、明確な人生のビジョンを持ち仕事に取り組んでいる人は1割に満たないと思う。これまで3万人の管理職に研修や講演をしてきた僕の実感値では、1~2%がいいところだろう。」と言っている。よって、上司は部下が自分の人生のビジョンを描くお手伝いをする必要があり、そのためには定期的な面談が欠かせないと書いている。
【CHAPTER 3 「任せる、と伝える」 より引用】
■ビジョンなし、なら今に集中
実際に部下と人生のビジョンについて面談するとわかることがある。それは何度質問を繰り返してもビジョンが見つからない部下がたくさんいるということだ。これまで彼らは「ベキ論」に縛られて生きてきた。だから突然、「どうしたい?」「どうなりたい?」と聞かれるとうろたえてしまうのだ。「やりたいことが見つからない」。そういう若者が増えているのだという。では、僕たちは彼らに対してどう接すればよいのだろうか?【引用終わり】
これまで言ってきたことと矛盾するようだが、僕はその場合は、ムリしてビジョンを描かなくてもいいと思う。今、目の前にある仕事に120%集中するよう導いてあげればいいのではないか。
キャリア・ドリフト理論という考え方がある。キャリアはデザインするものではない。偶然に出会うものだ、という考え方だ。ただし、そのためには条件がある。今、目の前にある仕事に120%集中することだ。「自分には向いていないかもしれない・・・」などと言わずに、その仕事に集中するのだ。そのときに初めて偶然が、幸運が訪れる。
「明確な人生のビジョンを持ち仕事に取り組んでいる人は1割に満たない」というのは悲しいことだ。そうなっているのは、人生のビジョンを描く訓練をしてこなかったからだと自分は信じたい。「ベキ論」に縛られることなく、やりたいことをやるにはどうしたらいいのかを考え、実行し、ダメだったらなぜそうなったのかを反省するそれを繰り返していけば、人生のビジョンを描けるようになると思う。
本当ならば、それを学生の時代に訓練しておいて欲しいのだが、その訓練をする機会もなく社会で出てしまった人達は大勢いる。だから、上司は部下に仕事を任せなければいけない。
【CHAPTER 3 「任せる、と伝える」 より引用】
■任せる、とういことは、自分の違うやり方に異を唱えないこと
任せた以上は、自分と違うやり方を許容しなくれはならない。【引用終わり】
「オレだったらこうするのに・・・」
「そのやり方をすると後で必ず問題が起こるぞ。あ~。やっちゃった・・・」
そう思ったとしても、部下のやり方に異を唱えてはいけないのだ。失敗することも含めて部下に経験させなくてはならない。それが本当の意味での任せる、ということなのだ。
もう一つ、重要な教訓。
【CHAPTER 4 「ギリギリまで力を発揮させる」 より引用】
■相手に矢印を向ける人は成長しない
先にお伝えした通り、上司が持っていた仕事を部下に任せると、部下には大きなストレス負荷がかかる。能力以上の仕事にチャレンジする部下は思い通りにならない仕事にイライラを感じるのだ。これを心理学の言葉では認知的不協和と呼ぶ。【引用終わり】
これは前にも説明したが、そのイライラを解消する時に常に選択肢は二つある。一つは自分に矢印を向ける方法。つまり、問題の原因を自分にあると考え、自分を変えることで問題を解決しようとするアプローチだ。これを選ぶ部下は成長していく。仕事を任せたかいがある、というものだ。
しかし、もう一つの選択肢を選んだ場合はそうはいかない。それが他人に矢印を向けるという方法だ。
「目標達成できないのは不景気のせい」
「期限内に提出物を出せないのは、仕事の量が多すぎるから」
「チームの目標達成率が低いのは、人員を補充してくれない人事部のせい」
そうやって問題をすべて他人のせいにすることで自己正当化する。自分は悪くない、悪いのは他人だ、と言って必死に自分を守るのだ。
当たり前にことではあるが、このタイプの人は成長しない。自分は変わる必要がない。すべては他人が悪いと思っているからだ。
相手に矢印を向けずに、「自分に矢印を向ける」ように指導する、これが難しい。どうすればいいかを考えるのも自分の仕事だ。