11月3日 文化の日、テレビ番組を3本見た。1本目は NHK 特集あしたをつかめ 平成若者図鑑 「職人になる!」~建設現場の夏~。2本目は、フジテレビ 金曜プレステージ 「泣きながら生きて」、3本目は NHK教育テレビ ETV特集 「いいもんだよ、生きているって」夜回り先生 水谷修。
(ちょっとこじつけもあるが)これら3本に共通しているテーマは「教育」だ。
まず1本目のあしたをつかめ 平成若者図鑑 「職人になる!」~建設現場の夏~。
この番組は、東京都内の巨大なビルを建設する現場の職人の働きぶりを追ったドキュメンタリーである。ビル建設の現場では、鳶(とび)、左官、鉄筋工、墨だし工、電気工、内装工、防水工、配管工、塗装工など、いろいろな職種の職人達がそれぞれの役割を果たしながら建物の完成を目指す。
番組の中で印象的だったのは19歳のALC工の若者だ。ALCとは「オートクレーブトライトウェートコンクリート」の略で、オートクレーブトは気泡、ライトウェートは軽量を意味し、軽量気泡コンクリートの事を指す。ビルの枠組みができたあと、ALC工はALCの長細い板で各階の部屋の壁を仕切っていく。軽量コンクリートとはいえ、一人で持てるほどの重さではない。職人何人かが手伝わないとALCの板を立てることはできない。番組の中では一つの階のエレベーターホールをACLの板で囲うのにまる1日を費やしていた。
ALCの職人の親方は年季の入ったベテランで、10種類以上の工事関連の免許を持っている。19歳のALC工の若者は他の職場で数年ALCの仕事をしたあと、この親方のもとに移ってきた。
親方は、若者がALCの仕事についてちっとも学習してきていないことに嘆きつつ、本来なら自分でそろえるべき道具一式を親方がホームセンターで買って与えていた。
19歳のALC工の若者は、最初のうち四六時中親方に怒られていた。一つのことがうまくできなかったりするのはまだしも、後片付けしないで仕事を上がってしまったときは、親方も怒り心頭に発していた。
19歳のALC工の職人は怒られながらも黙々と仕事を続ける。カメラは仕事が終わって帰宅する19際の職人の家を写している。そこには、生まれたばかりの赤ちゃんがいて、2つ年上の奥さんが夕飯の支度をしていた。
この若者は子供が生まれたことをきっかけにして、ALC工の親方のもとに弟子入りし、家族のために働くことを決めた。口の重い彼が、自宅で次のように語っていた。「自分は怒られているばかりだけど、何か悪いのか、何をしなければいけないのか、言ってもらわなければ分からない。」「何か疑問に思えば、尋ねることもできるが、疑問に思わないから質問もできない。」「だから、できていないことは言われなければわからない。」
彼はやる気がないわけではない。ALC工としての技術を磨きたいという意欲はある。ただ、しゃべりがうまくないのと、今の親方のようにいろいろ教えてもらう機会に恵まれていなかっただけなのだ。
カメラはまたビルの建設現場に舞台を移し、ACLの板を天井に金具を使って溶接で止める作業をしている親方とそれを見ている若いALC工の姿を写している。
そこで、19歳のALC工が親方に「自分にやらせてくれ」と言う。その後、19歳のALC工はなんとか溶接をこなし、次の場面では「仕事がおもしろくなってきた」とつぶやく。
親方も「最近、ミスが減ってきたのは仕事がおもしろくなってきて、もっと上手くなろうという意欲がわいてきたからだろう」「仕事がおもしろいと感じるようになれば上達も早い」と語っていた。
自分は教育・学習の原点とは、この「何かを達成したい」と「そのために学びたい」が結びつき、その結果「楽しい」「おもしろい」「うれしい」につながることだと思う。
19歳のALC工は、新しい家族が増え家族を養うためにきちんと定職に就きたいと思った。
→「何かを達成したい」
そのために、親方のもとでACLの技術を学びたいと思った。
→「そのために学びたい」
そして、徐々に技術が身につき始めミスが減り、仕事ができるようになった。
→「楽しい」「おもしろい」「うれしい」
非常にシンプルな好循環のサイクルだ。そのサイクルをぐるぐる回していけば熟練工になることができる。しかし、実際にはこのようなサイクルでは済まない複雑な仕事はたくさんある。自分が「何かを達成したいために学びたい」と思っても、つまらない理由からストップがかかることも少なくない。
たとえば、開発効率を高め、ソフトウェア部品の再利用率を上げたい、だからオブジェクト指向設計の技術を学びたい、外部セミナーを受講させて欲しい、このような技術者がいたとする。ところが、この技術者の上司にとっては、まったく未知の技術であり自分の知らないことを学習されて先を越させるのはイヤだという心理が働き「まだ早い、やめとけ」と言われるかもしれない。
ガテン系のようにスキルが外に見えてこない場合、つまらないことでつまずくことは多い。でも、仕事をする上で何かを学ぶということのベースにあるのは、「何かを達成したい」→「そのために学びたい」→「楽しい」「おもしろい」「うれしい」の流れではないだろうか。
○○のための学びたい、の○○が明確でない学習はむなしいし、あまり身につかない。それよりも何よりも楽しくない、おもしろくない、うれしくない。
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2本目に見たテレビ番組は涙なしには見られない内容だった。
【フジテレビ 金曜プレステージ 「泣きながら生きて」 毎日新聞 視聴室より】
こんな父親がいたのか!
上海に妻と一人娘を残して、1989年に35歳で日本に留学に来た中国人、丁尚彪(てい・しょうひょう)さん。当初の夢破れ、やむなく東京に不法滞在。15年も朝から晩まで働き、ひたすら家族へ送金を続けた。命を削るような貧乏・節約生活に耐えることができたのは「娘の希望する米留学を実現させてやりたい」一心からだ。こんなにも、自分を犠牲にしてまで家族のために尽くせるものなのか。
96年から、この家族を追い続け、2時間余りに凝縮したドキュメント。「小さな留学生」などで、日本で生きる中国人のさまざまな生態を活写した張麗玲さん、それをサポートしたフジテレビの横山隆晴プロデューサーの作品。過酷な運命に愚痴を漏らさず、日本に感謝しながら帰国した丁さんの実直な目が、日本人が忘れた者を気づかせてくれる。
【引用終わり】
この番組途中から見たので、丁さんが日本に来たいきさつについては見逃した。丁さんは日本で清掃関係の仕事を3つ掛け持っていて、風呂のない早稲田の古いアパートに住んでいた。毎日帰りが深夜になるため銭湯が開いていない。そのため、丁さんは流しで温水器を使って頭を洗う。体はどうするのだろうと思ったら、巨大なビニール袋を取り出して、この中に入って温水器でシャワーを浴び、たまったお湯を流しに流すのだという。夕飯につくったおかずは明日の弁当のおかずにもする。
丁さんの奥さんは、上海の縫製工場で黙々と働いている。娘はニューヨークの大学で医学を学んでいて、丁さんの奥さんは13回目にやっとビザ申請が通り、ニューヨークの娘に会いに行くところだった。
飛行機の予約をくふうして、トランジットで72時間だけ東京での滞在が許された。この72時間の間に夫と会うのだが、なんと夫に会うのは13年ぶりだというのだ。
丁さんは、13年間上海に帰らなかった、いや、帰れなかった。家族がバラバラで過ごしている理由は、おそらく清掃の仕事でも東京で働いていた方が上海で働くよりも稼ぐことができ、多くのお金を送金できるからだろう。
そこまでして、丁さんが日本で働く理由を丁さんが語っていた。丁さんは十分な教育を受けておらず、祖母は字が読めなかった。日本への留学もおそらく技術を身につけて自分でしかできない仕事がしたかったのだろう。自分ができなかった夢を娘に託して、娘には教育を受けさせ、そして、仕事としてやりたいことをさせてやりたかったのだ。
そのために丁さん夫婦は自分たちが贅沢なことを一つせず、こつこつとお金を貯めることを選んだ。
丁さんの奥さんが一つだけ贅沢をしたのを見た。それは、ニューヨークの娘に会いに、東京の夫に会いに行く前の日、仕立ててあった服を近所の洋服店に取りに行き、美容院で髪を整えにいったときだ。でも、ぜいたくは本当にそれだけだったのだ。
丁さん夫婦は東京で再会し、72時間だけ一緒に過ごし、その後奥さんはニューヨークに発った。
番組の最後で、ニューヨークの娘さんは大学の医学部を卒業間近で、産婦人科の医師になることが決まっていることを伝えていた。
娘が医師になることが決まり、丁さんは日本での役目を終え上海に戻ることを決め、上海行きの飛行機に乗っているところで番組は終わった。
この話では「何かを達成したい」→「そのために学びたい」→「楽しい」「おもしろい」「うれしい」という流れとはまた違った、もっともっと重い教育に対する思い入れを持った人がいることに気づいた。
学びたいのに学べなかった自分の夢を自分の子供に託すために自分は犠牲になっても人の倍働こうという人が世の中にはいる。
実際丁さんは、日本で清掃などの特殊な技能を必要としない仕事を3つも掛け持っていた。たぶん、娘には知識や技術を持たせ自分のようにはさせたくないと考えたのだと思う。
もちろん、娘は両親がそれだけの苦労をしていることを知っていて、決して医者になる目標を捨てないという強い意志を持って学業に励んでいた。
この話を聞いてしまうと、「何かを達成したい」→「そのために学びたい」→「楽しい」「おもしろい」「うれしい」はもともと安定した地盤の上にいる我々の甘い考えのようにも見えてしまう。
広い世界の中には「学ぶ」ことに人生をかけている人もいる。
カルロス・ゴーン氏が言った「働くことの本質は貢献することである」は丁さんの話にも通じている。
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さて、3本目の番組はETV特集 「いいもんだよ、生きているって」夜回り先生 水谷修である。
夜回り先生 水谷修さんは、渋谷の町などをパトロールしたむろしている少年・少女に声をかけて回る先生だということは知っていた。でも、水谷先生が自らものすごい経験をし、危機的な状況に陥ってしまったこどもたちをストイックなまでに救おうとしていることは知らなかった。
水谷修さんは、3歳のときに両親が離婚し、祖母・祖父に育てられた。いったん決めたことはやり遂げないと気が済まない性格で、自分で決めた範囲の勉強ができないことを悔やんでリストカットしたこともあったそうだ。(水谷さん曰く、リストカットは死ぬためにするのではなく、生きるためにしていることが多いのだろうだ)
水谷さんが話すエピソードはどれも重い話でおいそれとは書けない。
水谷先生のホームページがあるので、ここから情報を得て欲しい。
番組では、水谷先生が中学校で講演している内容に、江川紹子さんが水谷先生にインタビューしているところ挿入されて流れていく。
水谷先生には、毎日SOSを発信するこどもから150通以上のメールが届く。多いときには一日3000全通のメールがきたそうだ。
夜、水谷先生はこのメールに返信をするのだが、メールを打っているそばからこどもからの電話もかかってくる。
水谷先生は、自分がドラッグの知識がないばかりにシンナー中毒の少年の心の叫びの真意を聞くことができずに少年を亡くしてしまい、これを機に猛然と麻薬のことについて調べ始めた。
そして、ドラッグのことについて一般の人が読める本がまったくないことに気づき、専門の医師に分かりやすい本を書いてもらうように頼んだ。
そうしたら、医師達からは「水谷さん、あなたはもう十分に知識を持っている。」「ご自分で書いたらどうですか。」と勧められ、自らドラッグに関する本も書いた。
シンナー中毒の少年を亡くした際に、専門の先生に「麻薬による依存症は病気です。病気は愛では治せません。」と言われ、自分の考え方が間違っていたことに気づき、この状況を変えるために何とかしないといけないと思ったそうだ。
水谷先生はインタビュアーの江川紹子さんに「昔のこどもたちと今のこどもたちは変わったか?」と聞かれ、「昔の暴走族は警察に捕まっても、一人で突っ張っていた。でも、今の暴走族は一人なると、すぐ謝る。仲間で集まっていると強がるが、一人になると弱い。」と言っていた。
また、水谷先生は、今の日本人は攻撃的になっていると言う。子供達は昼間の世界で責められ、家に帰り親から責められる。元気のいい子供は暴走することで反発するが、一人部屋にこもる子供は責めを逃がすすべを知らずにリストカットしたりするのだどうだ。
水谷先生の話で思うのは、「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という日本人の特性の陰の側面だ。
「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」の環境で育ち、自己主張することを無意識に押さえつけてきた子供達は、他との違いを許容せずに、違いをもった子供を責めるようになる。
社会人の世界でも同じような環境があるとは言わないが、他との違いを許容しない、自分の経験にないものは受け入れないといった風潮を「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」から引きずっているように見える。
2つ目の話にでていた丁さんは「日本人は勤勉であり、日本人の勤勉さは見習わなければならない」と言っていたが、勤勉さだけで勝負してきた日本人が、勤勉さだけでは太刀打ちできない壁にぶつかったときに、効率を上げるくふうを学ぶことが必要であることに気がついていないようにも思う。
11月3日はテレビを通して自分の知らない世界を3つ見た。
今、日本人そして日本の技術者は自分が知らない世界が存在し、自分の知らない世界から学ぶべきものがたくさんあることに気がつかないのではないだろうか。浸かっている湯の温度がじわじわと上がってきたことに気がつかずゆでガエルにならないためには、自分の知らない世界のことにアンテナを張っておくことも大事だと思う。
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