2006-08-12

働くことの本質は貢献であるという考え方

日頃コミュニティ活動を行っていると、コミュニティ活動はサラリーを得るための仕事ではないので、"Best Effort"すなわち最大限の努力が大事、別な言い方をすれば「できることしかできない」→「できる範囲でしかできない」という論理になりがちで、忙しいから後回しにしようという弱気になることが少なくない。

また、コミュニティ活動のみならず会社でも自分の職務の範囲外の仕事は、Contribution(貢献)であり、自分以外の人たちに対して「やってあげていること」と考えがちである。

そう思っていたら、日経ビジネス 2006年8月7日・14日号の日産自動車社長 カルロス・ゴーン氏の記事に、「私は働くことの本質は貢献することだと思う」と書いてあるではないか。

働くことと貢献という言葉は背反するイメージを持っていたので「働くことの本質は貢献することだ」という主張にはちょっと驚いた。

以下、日経ビジネスの記事の一部を引用する。

【日経ビジネス 2006年8月7日・14日号 p148 日産自動車社長 カルロス・ゴーン 「働くことの本質とは」より】

今回は「働く」ということについて、考えてみたい。人はなぜ働くのか。皆さんはどう思うだろうか。偉大な芸術家、優秀なビジネスパーソン、優れた芸術家・・・。どんな人でも構わない。最高の仕事を想像してみてほしい。共通するものは何か。そう、彼らには大抵の場合、非常に激しい情熱がある。

早起きして1日20時間働き、翌日も同じ熱心さで仕事に臨む。普通の人ならこうならない。「もううんざりだ。休暇が欲しい」と音を上げるだろう。これを乗り切るには、より高次元の精神性が求められる。つまり愛情や熱意、貢献と呼べるきわめて強い感情だ。これはまさに「あなたのモチベーションは何か」という問いに直結する。

「貢献」こそが仕事の目的

私は働くことの本質は貢献することだと思う。それは必ずしも一方通行ではない。私は社会や会社、自分の家族に貢献しているが、同時に給料などの見返りも手にしている。また、仕事によって自分自身を鍛える、すなわち自分への貢献という側面もある。働いている時、人は特定の目的のためにエネルギーを費やしているが、この目的が何らかの貢献でなくてはならないのだ。

【引用終わり】

カルロス・ゴーン氏の「働くことの本質は貢献」であり、それは一方通行ではない、給料や自分自身を鍛える貢献になっているという考え方が新鮮だった。

給料の対価として働いているのではなく、何かに貢献するために働いている、貢献する先は会社かもしれないし、社会かもしれないし、自分自身かもしれない。

冒頭に書いたコミュニティ活動における貢献は、大部分は社会への貢献であったり、自分自身を鍛える貢献になる。

「働くことの本質は貢献である」という考え方は、目的意識を明確にするのに効果的だし、働くことへのモチベーションも高まる。ゴーン氏は記事の中で、「私が大切にしていることは、どうすれば会社に、あるいは会社からより多くの価値を生み出せるかということだ。平日は朝から晩まで働いているが、このことがいつも頭を離れない。」とも言っている。

組込みソフトエンジニアを極める』の中では、商品の顕在的な価値と潜在的な価値の両方を高め、顧客満足を最大にする必要があると書いた。

価値を高めるために努力する、貢献するという考え方は分かりやすいし、ポジティブであり、その努力がはずれとなることが少なく、やる気にもつながる。

ゴーン氏の記事の次のくだりを読んで欲しい。

【引き続き、日経ビジネスの記事から引用】

日産自動車では限度ぎりぎりまでコミットメント(必達目標)を高く設定し、達成に向けて社員が成長できるようにしている。容易な目標を掲げれば、個人として、あるいは組織としての成長を経験できない。逆に目標が高すぎてもあきらめてしまう。一見難しいと思われる目標を達成した時、初めて社員は大きな喜びと自信を得るのだ。

生まれながらのリーダーなどいない。誰にでもリーダーになれる素質がある。問題はその素質が花開くかどうかだ。それを分けるものは何なのか。

1つは明らかに教育だと思う。学校の問題だけではない。教育は親の責任でもある。子供の能力の伸ばし、限界に挑戦する姿勢を身につけさせるうえで、親の果たす役割は大きい。
2つ目は経験だ。日産では新入社員に最初の職場から責任を与える。そして3~4年後、誰が最も成果を上げたかを見極め、より困難な仕事に挑戦させる。リーダーは難しい任務の中で育つからだ。

【引用終わり】

権限もいらないから責任もとらないってあり?」の記事でも書いたように、日本では会社の中でも Best Effort といいつつ、本当はもっと力を出せるのに最大限の努力をしていない場合がある。新しいものへの挑戦に尻込みをする者もいるし、言われなければ動かない者もいる。ゴーン氏が語るコミットメント(必達目標)を設定し、責任を与え、より困難な仕事に挑戦させるということをしないと、人間は間違いなくだらける。権利だけを主張して責任を果たさなくなる。

日本人はピンチのときに誰の責任とは言わなくても、自己犠牲を払って一致団結し問題解決に当たるという非常によい性質を持っているものの、この手法で対処できるのは人海戦術で解決できる問題だけだ。

スキルが足らない場合はスキルの高い者に作業が集中してしまう。そうならないようにするためには、それぞれの技術者が高い目標を掲げそれをクリアしなければならないのだが、技術者が高い目標を掲げ、その目標をコミットすると大抵の場合はスキルアップのオプションがもれなく付いてくる。

スキルアップするためには、本を読んだり、調べ物をしたり、誰かに教わったりしなければならない。それは黙っていれば与えられるものではなく、自ら選択し獲得するものだろう。

これは普通に考えれば自己投資なのだが、ゴーン流に言えば「自分への貢献であり、働くことの本質」ということになる。日本人は働くことが好きな国民とよく言われるが、働くことが好きということはすなわち、社会や会社、自分自身への貢献度が強い国民ということになる。

みんなそのことは暗黙に認識しているので、社会や会社を裏切るような行為が発覚すると糾弾が厳しいのだろう。

働くことの本質が貢献であるのなら、どんなに長い時間勤務していても貢献度が低ければ働いているのではなく、ただ単に時間が過ぎているだけということになってしまう。

仕事をしている一瞬一瞬が働いていることになっているかどうかを見極めるには、その行為が何らかの貢献になっており、商品やサービスの価値を高めているかどうか考えてみるとよい。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 現在の機械工学における構造材料の耐久性に対する主な問題点は強度ではなく、摩擦にある。島根大学の客員教授である久保田邦親博士らが境界潤滑(機械工学における摩擦の中心的モード)の原理をついに解明。名称は炭素結晶の競合モデル/CCSCモデル「通称、ナノダイヤモンド理論」は開発合金Xの高面圧摺動特性を説明できるだけでなく、その他の境界潤滑現象にかかわる広い説明が可能な本質的理論で、更なる機械の高性能化に展望が開かれたとする識者もある。幅広い分野に応用でき今後48Vハイブリッドエンジンのコンパクト化(ピストンピンなど)の開発指針となってゆくことも期待されている。