2020-04-18

他業種の医療機器製造業参入について(人工呼吸器そんなに簡単に作れるの?)

新型コロナウイルスの蔓延で人工呼吸器が足らなくなるかもしれないというニュースが駆け巡っている。

それを受けて、自動車やその他の産業から、急遽医療機器の製造を支援したり、医療機器そのものを作りますといった発表も散見される。『ホンダが新型コロナ軽症者の搬送車両を開発、陰圧状態の後部座席で飛沫感染防ぐ』の記事中で、トヨタ自動車の豊田章男社長は、次のように述べている。
人工呼吸器の生産に対しては「人命に直結するモノづくりは簡単ではない」(自工会 会長の豊田章男氏)とし、直接生産は行わない姿勢だ。
それはその通りなのだが、なぜ「人命に直結するモノづくりは簡単ではない」について解説したいと思う。

医療機器は規制が厳しいので、実際にどのような規制要件があるのかを書いてみる。非常時なんだから、一次的に規制は緩和してもいいのではないかという意見もあると思うが、まずは、現状どんな規制があるのかを書く。

法規制

日本では薬機法(旧:薬事法。正式名称:医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)がある。医療機器としての要件や、医療機器製造業や販売業に関する規定が含まれている。

電気を使用する医療機器では IEC 60601-1 医用電気機器―第1部:基礎安全及び基本性能に関する一般要求事項 の規格に適合しなければならない。

この規格は各種個別規格や副通則もあるので、医療機器の種別によって適合しなければならない規格は複数存在する。

※医療機器には基本要件基準が定められており、IEC 60601-1 は基本要件基準への適合を示すための規格の一つ。

ソフトウェアの要件としては IEC 62304(JIS T 2304)もある。さらに、医療機器を製造するには ISO 13485(ISO 9001 の医療機器版)の認定も必要だ。

どれ一つとってもハードルは高く、そのハードルの高さが、異業種からの医療機器業界への新規参入を阻んでいる。

なぜ、そんなに規制が厳しいのか?

薬機法には公告規制もある。要するに虚偽・誇大広告は法律で禁じられている。
第六十六条 何人も、医薬品、医薬部外品、化粧品、医療機器又は再生医療等製品の名称、製造方法、効能、効果又は性能に関して、明示的であると暗示的であるとを問わず、虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない。
効果効能が明確でないのに、「癌が治る」とか「症状が軽減する」などと公告すると、一般市民が惑わされ害があるので規制されている。病気や健康は人々にとって強い関心事であるため、虚偽又は誇大な記事を規制しないとだまされる人が増えて社会が混乱する。

医療機器についても同じで、効能、効果、性能が臨床的に立証されていない機器は売れないし宣伝もできない。

規制がないと、製造業者が表明している機器の機能や性能が実際には十分でなかったり、リスクコントロールがないため事故が起こったりしてしまう。一般的な機器ならユーザがメーカにクレームを言えば済むかもしれないが、医療現場では取り返しがつかないような事態になるかもしれない。だから、医療機器は規制されている。

ベネフィット・リスク分析

多くの薬には副作用がある。副作用があるけれども、効果効能を優先させるために服用が必要な場合もある。例えば、抗がん治療には副作用があるが、延命するためには治療はしなければならない。

医療機器も同様で、リスクはあるがベネフィットが上回るため、ある条件下では使用すべきということが多々ある。

生命維持装置や治療器には大抵リスクがあるので、どんなリスクがあり、それらのリスクを低減してリスクが受容できている状態にしておく必要がある。

そのときに、リスクはあるがベネフィットが上回るので条件付きで使用させるというケースも出てくる。

左図の上部は顕在的な価値、例えばカタログスペックに出てくるような目に見える価値で、下の部分は、表にはでてこないけれど安心や安全を担保する価値になる。当たり前品質とも言える。

医療機器は、この潜在的価値の部分が脆弱だと、人の死に直結してしまう可能性がある。生命維持装置や治療器が期待通りに動かなければ、患者が死亡したり重傷を負ったりするかもしれない。

よって、この潜在的価値の部分を担保するために、さまざまな規制があると言えるし、規制当局は取り締まりをすることで、国民の安全を確保している。

緊急時にそんなこと言ってられない

世の中平温ならいざ知らず、今は、「もたもたしていたら、死者がどんどん増えてしまうではないか」という緊急事態かもしれない。

だから、米FDA(食品医薬品局)は、COVID-19 に関連して、規制を緩和するガイダンスを次々に出してる。例えば、これやこれ。こちらのサイトでCOVID-19をキーワードに検索すると27件ものガイダンスがヒットする。

米国は、FDAにかなりの権限があり、規制に対する裁量権が認められているので、ガイダンスによって規制を緩和することができるようだ。

モバイルアプリに関しても、左図にあるように米国では、医療機器かもしれないが、FDAが執行裁量権を使って取りあえず規制しないというカテゴリーがあるが、日本では、法体系が違うためそのような曖昧なことはできない。

1か0(医療機器か、そうでないか)を判定しないといけない。

よって、現実的には、日本では薬機法を改訂しないかぎり、従来の規制を一次的に緩和することは難しい。

特に、現実問題、医療機器の製造業・販売業の業の認定がない企業に、一次的ではあっても医療機器を製造したり、販売させることはできないだろう。

米国も同じだが、審査の工程を簡素化したり、短縮したりすることはできるようだ。

現実的には何が問題になるのか

法規制のことはいったん横においておいて、実際にこの緊急時に異業種の企業が人工呼吸器を作ることにどんな問題があるのだろうか。

コロナ最前線で戦う医療現場にTeslaが約束の「人工呼吸器」を送ったという記事があった。

ところが、この機器は、睡眠時無呼吸症候群の治療機機器であるCPAPの機器だったようだ。価格は800ドルで、侵襲型の人工呼吸器(約5万ドル)とは異なる。

機能としては、CPAPも人工呼吸器も酸素を送り込むので似ているが、意図する使用/意図する目的(Intended Use)が異なる。

臨床的に目的が異なるものを緊急で転用するならその違いを理解している人が機器を扱わないと事故が起こる危険があるし、人間は必ずミスをする(ヒューマンエラーはなくならない)ので、臨時の使い方を多くの人がするようになると気をつけないといけないことを怠って事故が起こる確率も徐々に上がっていくだろう。

それも含めて緊急事態だからベネフィット・リスクを考えて、臨時的な使い方を許容するという選択肢もあるかもしれない。

どちらを優先させるべきか悩ましいが、前提として臨床的に有効性のない機器を投入することは間違いだと言えるし、患者が死や重傷に至るようなリスクに対してリスクコントロールがされており、リスクが受容できているという確認(=バリデーション)は必ず必要だ。

特に、医療機器の開発にあたっては、臨床的な知識や医療現場での機器の使われ方、治療や診断の実際について、開発者が十分に理解していることが重要だ。

今、集中治療学会は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の対応に関連して、人工呼吸教育ビデオや、新型コロナウイルス肺炎患者に使用する人工呼吸器等の取り扱いについて(Ver.2.0)などの情報を公開している。

これを見るだけでも人工呼吸器は取り扱いに注意が必要で、十分なメインテナンスが必要な機器であることがわかる。

「人工呼吸器の部品を3Dプリンタで作りました」などのニュースを見ると、作った部品は滅菌できるのかとか、つなぎ目から空気の漏れは起こらないのか、薬液耐性は大丈夫かとかといった疑問が沸く。

人工呼吸器を本気で作ろうと考えている設計者は、まずは、臨床的な知識、治療の実際について理解してから、自分達が持っている技術がどの部分に活かせるのかを考える必要があると思う。

総合的な感想

現在の医療機器規制は過去の事故の再発防止策などが積み重なって今に至っている。ただし、改めてそれらができていないと安全ではないのか、逆にそれらができていれば安全なのかという疑問がないわけではない。

例えば、IEC 62304 はプロセス規格なので、この規格への適合と機器の安全は一体一ではない。機器としてのリスクを分析しており、リスクが受容できていることの確認はしている。でも、この規格の一つ一つの要求について、本当に必要か?という要求もないわけではない。

再発防止策の積み重ねは40年以上続いているのでハードルはどんどん高くなっており、医療機器ドメインへの新規参入はかなり難しくなっている。

でもハードルを下げれば、事故は増えるだろう。だからこそ、リスクの高い機器についてはハードルを上げざるを得ず、リスクの低い機器やヘルスソフトウェアのハードルは下げて上げるのが現実的であり、米FDAはそういうアプローチを採っている。

では、人工呼吸器はどうか。生命維持装置なのでリスクが高い機器であることは間違いない。人工呼吸器が足らない状況にみんなが協力して打開しようとすることはとても良いことだが、よかれと思った取った行動が逆の結果を招くかもしれないのが、医療機器の怖さでもある。

意図通りに動作すれば社会に貢献でき、高い満足感も得られるが、その裏側には大きな責任(=リスク回避の責任)もあるということだ。

この危機的な状況にあっても、安易に実験的な機器を現場に投入するよりは、現存する機器の増産の可能性を探ることが現実的なような気がする。

日本の自動車業界が医療機器製造業者に製造に関する支援を表明しているのはそういう理屈なのだろう。

2020-04-09

Raspberry Pi3を使ったリアル波形描画(10) アーキテクチャの設計思想について(2)

本特集記事の「Raspberry Pi3を使ったリアル波形描画」を実現するにあたり、採用したアーキテクチャの設計思想を説明しようと思う。前回は、全体のシステムの中の入力部分の説明をした。

今回は、このシステムの重要な要素(=商品価値=コアコンピタンスとなりうる部分)の説明をする。

アイテム構成にうち、他社に真似できない商品価値となる部分(コアコンピタンス)のソフトウェアを再利用可能な資産にすることができれば、商品の価値となるソフトウェアアイテムをベースに派生製品を作ることができる。それらの商品群は個々の商品の競合力が高く、かつ、商品群としても強く、さらに、効率よく派生開発が可能となる。

コア資産部分がUIやI/Fに依存していなければ、コア資産をベースにさまざまなI/FやUIを持った派生製品を作ることができる。汎用I/Fや、UIは時代とともにどんどん代わっていくので、それらに対応していき、コア資産の実力をじっくりと高めていけば、商品群は競争力を高いまま維持することができるはずだ。

コア資産が他社の追随を許さない性能を持っている、または特許で知財が保護されていれば、競合しても勝つことができるし、仮に営業力で負けても、長いこと使っていればユーザのその性能の差に気が付き、戻ってくるだろう。

本システムは、基本的には、心電図を入力し、デジタルフィルタで波形を整えて、心電図のQRS(ピンと上に跳ねる部分)を検出して、心拍数を算出し、その結果や波形や付帯情報をディスプレイに表示します。

先の一番下のレイヤーがデータソースレイヤーで心電図の入力部、真ん中がドメインレイヤーで、デジタルフィルタや心拍数計測部、一番上がプレゼンテーションレイヤーで結果を表示する部分です。

今回は、重要な不整脈の解析などは入れていませんが、それがあればドメインレイヤーに含まれ、解析性能が良ければコアコンピタンスになります。

ちなみに、デジタルフィルターやQRS検出の部分も、それなりにノウハウがあるはずなので、コアコンピタンスになります。

左記の緑のクラスがそれに相当します。

EcgAcLineNoiseFilter クラスは、心電図に重畳する50Hzや60Hzの電源ノイズを除去するフィルターで、EcgDriftFreeFilter クラスは、呼吸やその他の基線変動要因を取り除き、心電図を見やすくし、心拍数計測の精度を高めるために必要なアイテムです。
EcgHighCutFilter はアナログフィルターで取り除いてもなお、残っている40Hzより高域のノイズ成分を取り除くフィルターとなります。QrsDetectorTypeTest1 クラスは、心電図のQRSを検出するためのクラスで、このシステムの中ではもっとも複雑性が高く、システムの性能に寄与するアイテムです。TypeTest1としているのは、QRS検出のソフトウェアは試行錯誤しながら精度を高めていくことが多く、1回で完成することはなく、いろいろな試行を繰り返すことになるからです。

このクラス図では、派生クラスにしていませんが、インタフェースを共通にしておいて派生させていろいろなタイプを作って差し替えながら、性能を検証していくのがよいと思います。

また、デジタルフィルタについても、一度固まってしまえば変更することはあまりないと思いますが、こちらもベースクラスから派生させておいて、後々差し替えられるようにするのもよいと思います。

実際、デジタルフィルタは C言語で数行で表現できてしまうケースもあるため、技術者研修ではわざわざクラスに分けたり、派生させたりしないことが多いようですが、商品としてまた、コアコンピタンスとしてデジタルフィルタを位置づけるのであれば、ソフトウェア資産として独立させて、再利用することに意味があります。

そのソフトウェアシステムのうち、競争力を生み出すコア資産が何か、そのコア資産が再利用しやすくできているか、そこができているかどうかが、競争力の高い商品でかつ、効率のよい開発ができるかどうかの分岐点になります。

詳しくは、『リアルタイムOSから出発して 組込みソフトエンジニアを極める[改装版]』の第三章をお読みください。

2019-11-06

『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』のKindle 版リリース

『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』のKindle 版が出ました。紙の本は絶版になってしまい、技術評論社から PDF版では買えたのですが、技術評論社の編集者にお願いして kindle 版もリリースしてもらいました。

下記は、この本が最初に出版されたときのブログ記事の抜粋です。

【『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』はじめにより】
日本のソフトウェア製品やソフトウェア搭載機器がグローバルマーケットで支持され続けるためには、「品質がよく割安感のある商品」を市場にアウトプットしていかなければいけないと思っています。リコールを繰り返すような品質の悪いソフトウェアではダメなのです。

一方、ソフトウェア開発の側面を見ると、欧米で体系化されたソフトウェア品質改善の方法論の多くが日本のソフトウェアプロジェクトに紹介されています。ところが、日本のソフトウェア開発現場の多くでそれらが役に立っておらず形骸化しているように感じています。また、大部分の方法論は欧米で実践されているはずですが立ち遅れているといわれる日本のソフトウェア搭載製品のほうが品質が高いという事実があります。

それはなぜなのでしょうか。それならば、日本のソフトウェアプロジェクトはこのままの方法で開発を続けていればよいのでしょうか。この命題を解明し、ソフトウェア工学をどのように日本のソフトウェアプロジェクトに適用すると有効なのかを示すことができなければ、日本のソフトウェアエンジニアは決して幸せにはなれないと思っています。これが本書を書こうと思った動機です。

本書は、たとえば、次のような方に有用です。
  •  ソフトウェア開発の初級者の方
  •  新人でこれから目指すべき道筋が見えていない方
  •  ハードウェアエンジニアで「なぜ、ソフトウェアは問題を起こすのか」を常々疑問に思っている方
  •  ソフトウェアプロジェクトマネージメントの技術を学んでいて、どうして自分のプロジェクトでうまくいかないのか悩んでいる方
  •  組織内でソフトウェア品質問題に頭を抱えている方
その他にも、ソフトウェアの品質管理、構成管理、再利用資産、安全設計などに興味を持っている方にもおもしろく読んでいただけると思います。 まず、ソフトウェアエンジニアの新人や初級クラスの方は、Part1のソースコードのケーススタディを見て、自分がいまどのレベルにいて、何を学ばないとまずいのかを考えてみてください。きっと答えが見つかるはずです。中堅、ベテランのエンジニアのみなさんは、Part1でソフトウェアの本質的な危うさを認識し、日本人の特性を理解したうえで、日本におけるプロジェクトマネージメントの適用方法を Part2で学んでください。

そして、プロジェクトリーダーやソフトウェアアーキテクトとしての責務を負っている方は、ソフトウェア再利用資産の抽出方法を Part3で修得し、現行のソフトウェア製品群の開発効率と品質向上に役立ててください。
最後に、自組織のソフトウェア製品やソフトウェア搭載製品が市場で問題を起こしており、その問題を解決する責務を負っている方は、本書の最初から最後までを通して読み、ソフトウェアと日本人の特徴を理解し、自組織において何に手をつければよいのかを理解してほしいと思います。
本書が、初級や中級のソフトウェアエンジニア、アーキテクト、マネージャ、リーダーの方にソフトウェア品質の改善活動の参考書として役立つことを期待しています。

2010 年 3月 酒井由夫
【引用終わり】

『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』目次

Part1 ソフトウェアの危うさの本質を体感してみよう
Chapter 1 ソフトウェアの危うさを知ろう
Chapter 2 危ないソフトウェアのプログラム例とケーススタディ
Chapter 3 ソフトウェアはなぜ危ないのか
Chapter 4 ソフトウェアの品質を高く保持するために
coffee break アメリカ人と日本人

Part2 日本的ソフトウェアプロジェクトの管理はここから
Chapter 5 ソフトウェア開発の理想と現実
Chapter 6 日本のソフトウェアプロジェクトに求められる取り組み
Chapter 7 ソフトウェア構成管理
Chapter 8 ソフトウェア変更管理
Chapter 9 レビュー
coffee break 問題解決能力:自ら考え行動する力

Part3 ソフトウェア資産化の技術がリコール防止につながる
Chapter 10 ソフトウェア開発のプラットフォーム
Chapter 11 ソフトウェアシステムとソフトウェア搭載機器の価値
coffee break 3 ものづくり戦略とソフトウェア品質:品質=Qualityの話
Chapter 12 再利用資産を抽出するためのアプローチ
Chapter 13 再利用資産を抽出する手順
coffee break 4 UML導入のススメ
Chapter 14 再利用資産の抽出のケーススタディ
Chapter 15 再利用資産の抽出後のアプローチ
coffee break 5 テストカバレッジ
Chapter 16 安全性が求められるシステムに対するアプローチ
Chapter 17 安全アーキテクチャの検討
Chapter 18 ソフトウェアを資産化して品質と開発効率を高める