【回生ブレーキと回生協調ブレーキについて】
ハイブリッド車や電気自動車には回生ブレーキがある。回生ブレーキとは減速時にモーターを発電機として回すことで運動エネルギーを電気エネルギーに変えてバッテリに貯める。ガソリンエンジンにはモーターがないからこのエコ機能は使えない。回生ブレーキを搭載することによって燃費が伸びる。
回生ブレーキがエコという価値の一部を担っているということだ。消費者が望むエコの価値を回生ブレーキという機能・性能が実現している。エコの価値を実現する回生ブレーキサブシステムはハイブリッド車にとって再利用可能なコア資産である。
そしてプリウスのブレーキは単なる回生ブレーキではなく、回生ブレーキと油圧ブレーキの配分をコンピュータで最適に制御する「回生協調ブレーキ」となっている。当たり前だが、回生ブレーキに比べて回生協調ブレーキはより複雑な制御を必要としソフトウェアの規模・複雑度も高まる。複雑であればあるほど他社には真似されにくいのでより価値の高いコア資産ということになる。(『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』 Part 3 を参照のこと)
■回生協調ブレーキ採用車
・トヨタのハイブリッド車
・ホンダのシビックハイブリッド
・2010年発売予定の日産自動車のリーフ(回生協調ブレーキ採用との噂)
■回生ブレーキ採用車
・三菱自動車の i-MiEV
・富士重工業の プラグインステラ
・ホンダのインサイト
回生ブレーキだけでは従来の油圧ブレーキと同等にはならない。なぜなら、絶対的な制動力が足らないからだ。だから回生ブレーキで不足した制動力を油圧ブレーキで補う必要がある。それが回生協調ブレーキである。
では、回生協調ブレーキでない、回生ブレーキの方はどうしているのかといえば、アクセルペダルを離したときだけ一定の回生ブレーキを効かせるようににして、ブレーキペダルを踏むときは油圧ブレーキを使うようにしている。(回生ブレーキと油圧ブレーキの併用) ガソリン車でエンジンブレーキを使うときだけエネルギーを回収しているような感じだ。
ここまでのところですでにお分かりだと思うが、回生協調ブレーキはよりエネルギーの回収率が高い代わりに複雑な制御を要する。一方で回生ブレーキは回生協調ブレーキよりエネルギーの回収率が低いが、ブレーキペダルを踏んでブレーキをかける機能についてはシンプルな制御であるため複雑性からくるリスクは低いと言える。
英国MISRA(Motor Industry Software Reliability Association:
自動車産業ソフトウェア信頼性協会)が策定した、MISRAソフトウェア安全性解析ガイドライン 通称 MISRA SA (Safety Analysis)によると、単純なシステムと複雑なシステムの違いは次のようなものであると定義されている。(『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』のAppendix B にも掲載している)
-単純なシステムの定義-
A system is classified as smple if its design is suitable for exhaostive simulation and test, and its behavior can be entrely verified by exhaustive testing.
もし、その設計が徹底的(網羅的)なシミュレーション及びテストに適しており、かつ、その挙動が徹底的(網羅的)なテストによって、完全に検証可能ならば、そのシステムは“単純”と分類される。
-複雑なシステムの定義-検証可能かどうかで単純か複雑かを分類するこの定義自体もかなりおおざっぱなような気もするが、MISRA SA の定義に照らし合わせると 回生ブレーキは単純なシステムに分類され、回生協調ブレーキは複雑なシステムに分類されると言えるのかもしれない。
A system is classified as complex if its design is unsuitable for application of exhaustive simulation and test, and therefore its behavior cannot be verified by exhaustive testing.
もし、その設計が徹底的(網羅的)なシミュレーション及びテストに適しておらず、かつ、それ故にその挙動が徹底的(網羅的)なテストによって、検証可能ではないならば、そのシステムは“複雑”と分類される。
なぜなら、回生協調ブレーキを採用したプリウスでは結果的にブレーキシステムのソフトウェアの改変を実施しており、そのことが徹底的(網羅的)なシミュレーション及びテストに適しておらず、その挙動が徹底的(網羅的)なテストによっても検証から漏れてしまった考えられるからである。
今後、システムが複雑化していくにつれ、似たような問題は次々と発生するだろう。
消費者はエコを求めている→エコ製品を作ると売れる→エコの実現には複雑な制御が必要→システムやソフトウェアの大規模複雑化をもたらす→これまで実現できていた安全や信頼を脅かす可能性がある
ひとつの考え方として、ホンダは低価格のインサイトについては燃費の追求よりもシンプルでローコストであることを目指したが、トヨタは低価格でも燃費や快適性を追求したためブレーキシステムが複雑になってリスクが増えたとも言える。
今の製品で実現している当たり前にできていることの重要性や、商品における潜在的な価値の大きさをイメージできない組織内のステークホルダはシステムやソフトウェアの複雑性によるリスクを想像することができない。何か事故が起こってから「なぜ?」と考え始める。
複雑性の中に潜むリスクを回避するために消費者の要望(例えば、燃費の向上)を犠牲にすることは悪だろうか。それは、複雑化しても絶対の安全を保証できるのなら悪だと言えるが、そもそも絶対的な安全など保証できないという前提に立つのなら必ずしも悪とは言えないと思う。
ソフトウェアで絶対的な安全や信頼など保証できないことは『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』の Part 1 で事例を使って解説した。そのことが理解できない組織は今後システムが複雑になるにつれリコールを起こす確率が徐々に高くなっていくと考えている。
【プリウスで不具合が起こりうる減速の仕方-『不具合連鎖-「プリウス」リコールからの警鐘』p39-より引用】
- ハイブリッド車だから必ず回生ブレーキがある
- 回生ブレーキはABSと相性が悪いので、非常時は回生を切り、摩擦を使った普通の油圧ブレーキに切り換えた
- 回生が切れる分を補うため、摩擦を使った普通の油圧ブレーキを急に強める。従来はこのときに油圧を高めるポンプの騒音が出ていた
- ポンプの騒音を低減するために従来の方法をやめ、ペダルからの力を使う方法に変えた
- 動力源が切り替わるためブレーキの油圧が急に下がり、摩擦力が下がって“空走感”を感じさせた
【引用終わり】
プリウスはABSモードに入ると回生協調をやめて、油圧ブレーキだけ働かせる。今まで回生ブレーキを負担していたブレーキ力を油圧ブレーキが突然負担することになる。このとき、電動ポンプが動き出すと騒音が出るのだそうだ。
トヨタは騒音・振動・ハーシュネスにこだわる会社らしい。「レクサスLS600h」のカタログには「電子制御ブレーキは最適なブレーキ制御を行うためブレーキ操作時にモーター音が聞こえる場合があります」と書いているそうだ。新型プリウスではこの騒音(モーターと書いてあるが実際には電動油圧ポンプのこと)を軽減するために、先代プリウスのブレーキ制御方式を変えた。
しかし、結果的に今回わかった空走感の問題が明らかになったので、先代プリウスの制御方法に戻したため騒音が出るようになったと思われる。
詳しくは 『不具合連鎖-「プリウス」リコールからの警鐘』の p47-51を読んで欲しいが、簡単に書くと新型プリウスのブレーキ・バイ・ワイヤの仕組みはこんな感じの特徴を持っている。
まず、前提条件としてハイブリッド車では、ドライバーがブレーキを踏む側のサブシステム「バーチャル側」と、電子制御でブレーキを制御する「リアル側」のサブシステムが組み合わさってブレーキシステムを構成している。
ドライバーはブレーキペダルを踏んだときのその圧力が直接ブレーキに伝わっているかのように感じているが、実際はそうではなく電子制御によってブレーキングを実現している。だからドライバー側のサブシステムは「バーチャル」なのだ。
そして、通常バーチャル側とリアル側の油圧の配管は遮断弁で切り離されているがリアル側の制御が故障したときは遮断弁が開いてリアルとバーチャルをつなぎ、ドライバーがペダルを踏む力が各輪に伝わるようになっている。(プリウスの場合)
2代目プリウスでは電源が故障したときのために非常用電源に相当するキャパシタを搭載しておりこれでブレーキを効かせるようにし、キャパシタが空になったら遮断弁を開いてペダルを踏む力を伝えるようにした。(相当強く踏まないとブレーキは効かないらしい)
新型プリウスではコストダウンのためのキャパシタを省略し、高圧のブレーキオイルをアキュームレータに蓄えることで2~3回分補助できるようにした。
さて、新型プリウスではABSによる制動時の油圧ポンプによる騒音を減らしたいがために、ポンプをできるだけ使わずバーチャル側の力(油圧)で回生ブレーキが担っていた分の制動力をカバーしようとした。ところが、リアル側とバーチャル側は通常は遮断されているため、今回問題となったケースにように低速で走っていて、軽くブレーキをかけた状態で遮断弁を開くとリアル側の方が油圧が高くなっている。
だから遮断弁を開いたときに油圧がリアル側からバーチャル側に流れて、各輪にかかっているブレーキ油圧が一瞬(1秒くらいだろうか)下がる。リアル側とバーチャル側がつながっているので、ドライバーはこの油圧の低下感覚をもろに受けてブレーキ力がすっぽ抜けたように感じる。
リアル側とバーチャル側の油圧に差がないとすっぽ抜け感はない。おそらく高速走行中では問題はないのだろう。
結局、今回のブレーキ制御ソフトの改変でABS作動時にリアル側とバーチャル側の遮断弁を開くのをやめたのでこのすっぽ抜け感はなくなったが、騒音(どの程度の騒音かはわからないが・・・)は復活してしまった。
【プリウスのブレーキ問題を振り返って】
ハイブリッド車のブレーキ制御システムを知って、これほどまでに複雑化しているのかということを知って驚愕した。日本車ならこれくらい複雑になっても信頼できると言いたいが、これ以上複雑になるのなら、安全を重視してシンプルな制御システムの車かどうかという点も調べてから商品を選ばないといけないと思った。
なんだかんだいっても日本車が消費者から信頼されているのは、ユーザーがどのように車を使うのかについての妥当性確認(Validation)を徹底的に行っているからだと思う。
しかし、システムが複雑化すればするほど Validation では漏れや抜けが生じるため、検証(Verification)の重要性が増す。ようするに V&V が安全や信頼のポイントとなる。
MISRA SA が言う複雑なシステムにおいては、Verification や Validation の実施に先立って、ユーザーリスクに焦点を絞った安全分析が必要となる。
『不具合連鎖-「プリウス」リコールからの警鐘』を読んで複雑なシステムは恐いと思った方は、続いて『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』も読んでいただいて、どうすればユーザーの安全や信頼を得ることができるかという方法について考えていただきたい。