2006-07-23

美食を極めるには不味いものを食べるべし

美食の王様 ―究極の167店 珠玉の180皿 という本をご存じだろうか。この本の著者、来栖けい氏は若干26歳。なんと、この本のファンサイトまである。

自分が来栖けい氏を知ったのは、フジテレビ日曜PM10時からやっている週間人物ライブ『スタ☆メン』で取り上げられていたからだ。

ちょうど、グルメ評論家の山本益博氏が来栖氏の本を「読み終わっていやな感じがしない、店や料理をけなすようなことがひとことも書いていないのに、圧倒的な情報量で説得力があり、その店に行ってみたくなる」と語っていたところだった。

来栖氏は、こどものころ親に一流の料理店に連れて行かれたことが多くあったとのこと。小さいころから一流の料理人が作った料理を口にする機会があったということだ。しかし、他のグルメ評論家とは違って風貌はお世辞にもオシャレとはいえず、パーカーは高校生のときに買ったものを今でも着ているのだという。大衆店も一流店もその格好で入っていく。(でも、メガネだけにはこだわっているみたい)

カメラは来栖氏の一日の行動を追っているのだが、何しろたくさん食べる。一つに店に入って看板メニューや気になる料理を注文しまくって、テーブルいっぱいに並べる。おそらく4~6人前くらいはあると思う。これらの料理を来栖氏はすべて平らげる。『スタ☆メン』では来栖氏の朝と夜の体重差を計っていて、夜6Kgも体重が増えていた。

でも、彼はほっそりした体型なのだ。ようするに、あまり栄養を消化吸収しない体質なのだと思う。よく、大食いコンテストで優勝する人の中に痩せている人がいるが、これらの人たちに共通するのは食べても食べてもなかなか栄養を吸収できないらしい。

ただ、来栖氏の場合、そのような体質でありながら舌が肥えているという点が他の人たちとは違う。来栖氏は食べても栄養を吸収しないという特徴を活かして、一日に何件ものレストランをまわり食べまくる。そして、3ヶ月たっても記憶に残っている料理のことについて本に書くという。

来栖けい氏のことを今回ブログに取り上げたのには理由がある。ひとつは、「グルメ評論家のプロフェッショナルになるには、最高の料理をたくさん食べて、感銘を受ける経験が必要」また「美食を極めるには不味いものを食べるべし」という彼の発言に、組込みソフトエンジニアを極めるためのアプローチと共通するものを感じたからだ。

来栖氏は「不味いものを食べたときに後悔しないですか?」というインタビュアーの質問に「いや、不味いものも食べないと、おいしいもののすばらしさがわからなくなる」と答えていた。

これと同じことを、先日、娘のピアノの発表会で感じた。娘二人が通っている音楽教室は、個人の教室でありながらピアノだけではなく、バイオリンやマリンバ、サックス、ドラムなどいろいろな楽器を教えている。

発表会は一日2回、4時間ずつに分けて演奏が続く。今回は自分の娘の演奏だけでなく他の子供達の演奏と講師の先生の演奏合わせて4時間びっちり聴いた。

そこで感じたのは、印象に残るのは「こんなに小さいのに上手に弾くなあ」という感覚で、演奏会の最後に披露される講師の先生達の演奏は、子供達よりも遙かにうまいにもかかわらず記憶に残らないという事実だ。

子供達の演奏でも言っちゃ悪いがかわいそうに思えるくらいひどいものもある。特にバイオリンの初心者の演奏はそうだ。ピアノやマリンバやドラムは叩けば、一応意図した音が出るが、バイオリンは意図した音階の音を出すこと自体が難しいので、初心者の演奏は聴くに堪えないようなものもある。

しかし、その段階を抜け出して完璧ではないものの80%~90%きちんと演奏できると、「ああ、すごい。この子はよく練習している、上手だなあ」と感じるのだ。

講師の先生達の演奏は、うまいのが当然なのではっきりいって何の感動もない。

でも、そういう風にしか受け取れないのは、たぶん自分の耳が肥えていないからなんだと思う。もっともっとセミプロや本当の一流の演奏を聞き込んでいけば、演奏のテクニックや表現力の違いを感じ取ることができるのだろう。音響設備も iPODだけでなく、性能のより高いアンプ、スピーカがあった方がいいし、コンサートで生の演奏を聴くことも必要だろう。

組込みソフト開発の世界も料理や音楽の世界と同じだと思う。ソフトウェアは要求された目的を達成するための方法はひとつではなく、無限に存在する。そして、アーキテクチャやモデル、コードが美しければ、品質が高くなり、顧客満足を高めることができる。

アーキテクチャやモデル、コードが美しいかどうかを見極めるためには、もちろん美しいアーキテクチャ、モデル、コードを見ることも大事だが、見るに堪えないコードやモデル、アーキテクチャも見ておかなければいけない。

見るに堪えないコード、モデル、アーキテクチャを見ることで、美しいコード、モデル、アーキテクチャがを書くためにはさまざまな知識やスキルが必要だということがわかる。

だから、ひどいコード、モデル、アーキテクチャを見つけたら感謝をしないといけない。教科書に載っているようなコード、モデル、アーキテクチャばかり見ていると、当たり前のように自分も美しい成果物を作れるような錯覚を起こしてしまいがちだが、実は自分たちもプロフェッショナルの作品とは言い難いものを平気でリリースしてしまっていることの方が多いのである。

人の作品と自分の作品を見比べて、反省したり、ほっとしたり、自信を持ったりする経験をたくさん積むことが大事なのだ。

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