2014-10-05

父の元部下の方からの手紙

父の死後約、一ヶ月が経ち、いろいろな方から香典やお悔やみの手紙をいただいた。その中でかつて父の部下だった方から手紙が来た。

母に宛てた手紙であったが、認知症の傾向があるため、自分が手紙類を整理している。

この方は父が自分の死後に知らせるよう書き残した約20名のリストには載っていなかった方で、父が永年勤めていた建設会社の知人の方から訃報を聞いたらしい。

昭和45年頃(1970年)の思い出が書かれていたので、44年前に所長(父)と所員という関係だったようだ。

若かった頃、優しく指導し、トラブル解決の為に活躍し、楽しく営業所時代を過ごすことができたとある。父が営業所時代にたくさんの実績を上げることができたのは、柔和な笑顔、温和な話し方、豊富な知識によるもので尊敬していたとあった。

わざわざ、知人の方から住所を調べて、母の名前が分からず父の名前で送られてきた。(お詫びが添えてあった)

その他、いろいろな思い出が書かれており、心に響いた。

そして自問している。自分はこれまで人を育ててきただろうかと。40年も経ってかつての上司であった父との思い出を伝えてきてくれる方がいる。自分にはそんな人がいるだろうかと考える。

建築業界とは世界が違うので単純には比較はできないが、25年以上も同じ会社に勤めていて人を育てることが出来ていたかどうか考えてしまう。

組織内外で技術者教育に携わってきた実績はあるものの、一人の方にこんな深い感謝のことばをいただけるような関わり方をしてきただろうかと。

父のこのような仕事ぶりについて、自分が若い頃はまったく想像もできていなかった。子供に仕事の話など一切しないからだ。晩年になって、自分が家を建てた時のトラブル時などでその片鱗を垣間見ることができ、頼もしいと思ったことはある。

ただ、会社の方が見ていた父の姿と、家族が見る父の姿は同じではなかったと思うし、また、自分自身も同様に子供達からは、家では料理をするとき以外はごろごろしているおじさんににか見えていないだろう。社会の中で働いている父の姿を子供に見せることは重要かもしれない。

結局、自分は人を育てるという意味では広く浅くしか出来ていなかったような気がする。一つ言い訳をするとすれば、まだまだ、自分自身が学ばなければならないことがあると思ってるので、人に教える時間より自分が学ぶ時間の方が大事だと考えていたのだ。

でも、頭の方の瞬発力がピークを過ぎたと思うようになり、後身の育成に重きを置く必要を感じてきた。その際に重要なのが、「育つのを待つ」という感覚だ。頭では分かっているのに待てない。自分でやってしまった方が早いと考えてしまう。

問題を早期に解決することがすべてならば、それでもいいのだが、今は人を育てるフェーズであることを意識しないといけない。自分ができることを、教える相手が出来ないからといってイライラしてはいけないのだ。

実際、それができないから、深い師弟関係が生まれないのだと自己分析している。柔和で温和な感じの父がシニア向けの携帯電話がうまく使えずイライラすることがあった。それだからダメなのだ。

父の元部下だった方の手紙は、自分が大事に取っておこうと思った。いつの日か、こんな風に思ってくれる技術者を育てたい。そのためには寛大な(Generous)心を持てるようにならないといけない。

そして、いつの日か、自分が死に絶えるときが来たら、このブログが役に立った人にコメントをもらえれば本望だ。

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