2013-11-24
流星ひとつを読んで
自分の好きな作家 沢木耕太郎(当時31歳)が28歳のときの藤圭子にインタビューしたときの本を、今になって出版したことを聞き、思わず買って今日読んだ。
藤圭子さんへのインタビュー本と言うことだけなら買わなかったと思う。沢木耕太郎氏が書いた本ということでどうしても読みたくなった。
なぜ、1979年、今から34年も前のインタビューが今になって出版されたのかは、本を読んでみると分かる。
この本は沢木耕太郎がインタビューした内容をそのまま本にしようと試みたノンフィクションライターとしての挑戦の成果だ。だから、たぶん何も恣意的な加工をしていない。不正確な事実は修正したかもしれないが、事前に大宅文庫で綿密に情報を仕入れ整理してインタビューに臨んでいるので、インタビュアー側の資料は元々正確だっただろう。
そして、藤圭子の発言は何の加工もなくストレートに語られている。話したくないことは「話したくない」と断り、そのことも書かれている。
この本はよくある回想録のように、隠したいことを隠したり、インタビューの後に名前を匿名にしたりしていない。容易に誰だか特定できる人達のことが生々しく語られている。沢木耕太郎氏は、2013年の出版に際して書き起こした後記に、その当時これを出版していたら、藤圭子が将来芸能界に復帰するときの妨げになると思い、藤圭子本人から出版の許可を得ていたにもかかわらず、出版を断念したと書いている。
そして、藤圭子が亡くなって、宇多田ヒカルと元夫の宇多田照寛氏のコメントが発表され「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげく投身自殺をした女性」という一行では片付けることのできないひとりの女性(沢木氏は「輝くような精神の持ち主」と書いている)の最も美しい瞬間を見られるのは、このインタビュー記事しかないと思った。
そして、28歳のときの藤圭子がどのように考え、どのような決断をしたのか。もしもこの『流星ひとつ』を読むことがあったら、宇多田ヒカルは初めての藤圭子に会うことができるかもしれないと考えた。
藤圭子は、沢木氏とのインタビューの冒頭で「インタビューなんで馬鹿ばかしいだけ」「この人には、自分のことが、もしかしたらわかってもらえるかもしれない、なんて思って真剣にしゃべろうとすると、もう記事のタイトルが決まっていて、ただあたしと会ってたってことだけが必要だったりするんだよね。あたしなんかがどんなことをしゃべっても関係ないんだ、その人には」と言っている。
それに対して、沢木耕太郎は「すぐれたインタヴュアーは、相手され知らなかったことをしゃべってもらうんですよ」「知らなかったこと、というと少し言いすぎになるかな。意識していなかったこと、と言えばいいかもしれない。普通の会話をしていても、弾みで思いもよらなかったことを口にしていることがあるじゃない、よく。でも、しゃべったあとで、そうか、自分はこんなことを考えていたのか、なんてひとりで納得したりする。そういうことなんだ、知らなかったことをしゃべらせるっていうこは、相手がしゃべろうと用意していた答え以外の答えを誘い出す。そういった質問をし、そういった答えを引き出せなければ一流のインタヴュアーとは言えないと思うな」と言った。
そして、その言葉どおり、おそらく藤圭子が自分でも気がつかなかった自分自身を沢木耕太郎のインタビューによって見事に引き出されたと思う。
スティーブ・ジョブズ の評伝も本人へのインタビューを書き起こした本だが、事実のおもしろさではなくインタビュアーが引き出したもののおもしろさでは『流星ひとつ』が一枚上を行っていると思う。
沢木耕太郎の世界の旅『深夜特急』をもう一度読み返したくなった。その旅の最後の時期に、パリのオルリー空港で、沢木耕太郎と藤圭子が出会っており、その出会いにまったく気づいていなかった藤圭子にそのこと語るくだりが、とても運命的でよかった。
1979年当時、インタビューでこれだけのものを引き出しておきながら、この本を出版することを思いとどまった沢木耕太郎と小説新潮の編集担当者に敬服する。当時この本を出版してもおそらく相当の部数が売れただろう。利益のことだけを考えれば、当時、その価値を捨てたことになる。しかし、この本を出版していれば、藤圭子が嫌気していた週刊誌やワイドショーに引き出したエピソードが断片的に取り上げられて、インタビューの内容が一人歩きしただろう。
そういったことを考えて出版を思いとどまったのなら、若干31歳、ノンフィクションライターでジャーナリストとしての沢木耕太郎がすごいと思った。世俗的な編集者ならなんとしても出版してくれと説得しただろうし、凡人ならその説得に結局は応じただろうし、そうしたら、その後のマスコミの動きが沢木耕太郎自身の人生に陰を落としたのではないかと思った。
やぱり沢木耕太郎のインタビュー本だからということでこの本を買ったのは正解だった。
P.S.
藤圭子本人は、引退のきっかけは1974年の声帯のポリープを取る手術をして声質が変わってしまったことだと言っている。「圭子の夢は夜開く」(1970年)と「面影平野」(1977年)で違いが分かるはずなのでYoutube で比較してみたが、何となくという感じではっきりとは分からない。高域での引っかかりがなくなってしまったことで自分の声質の特長が消えてしまったことが相当ショックだったらしい。
何となくわかる気がする。歌の上手い歌手はたくさんいるけど、上手いのと曲を買いたい(昔ならアルバムを買いたいだが、今はダウンロード)と思うのは違う。
何かしらの魅力があるから買うのであって、単純に歌が上手いから買うのではない。最近、テレビでこの人は歌が上手いと思い iTunes Store でサビを聞いて買うのをやめたことが二回あった。「買おう」と決断するには、今ひとつ心が動かなかったのだ。
藤圭子さんは声帯の手術をした後にすぐに変化に気がついたそうだ。冷静に自分の価値がどこにあるのか分かっていたのだなあと思った。
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