2013-04-07

問題解決リーダーシップ(Problem Solving Leadership):自ら動きそしてチームを動かす力

確か北九州市立大学の山崎さんの紹介だったと思う。今、『採用基準』という本を電子ブックで読み終えたところだ。

Amazon でのこの本の内容紹介はこうだ。

マッキンゼーの採用マネジャーを12年務めた著者が語る
マッキンゼーと言えば、ずば抜けて優秀な学生の就職先として思い浮かぶだろう。そこでは学歴のみならず、地頭のよさが問われると思われがちで、応募する学生は論理的思考やフェルミ推定など学んで試験に挑もうとする。
しかしマッキンゼーの人事採用マネジャーを10年以上務めた著者は、このような見方に対して勘違いだという。実はマッキンゼーが求める人材は、いまの日本が必要としている人材とまったく同じなのだ。だからこそ、マッキンゼーは「最強」と言われる人材の宝庫の源泉であり、多くのOBが社会で活躍しているのだ。
本書では、延べ数千人の学生と面接してきた著者が、本当に優秀な人材の条件を説くとともに、日本社会にいまこそ必要な人材像を明らかにする。
でも、マッキンゼーの採用基準を紹介した内容というよりは、日本の組織に足らないもの、鍛えられていないものが何かを語った本だと思う。

このブログでもよく読まれている『問題解決能力(Problem Solving Skills):自ら考え行動する力』で紹介した本もマッキンゼーを卒業された渡辺健介さんの本だった。

採用基準』もよく売れているらしく、この本の著者の伊賀泰代さんもマッキンゼーの出身だ。あまりよく知らなかったがマッキンゼーは相当すごいコンサルティングファームらしい。

マッキンゼーでは、問題解決スキル(Problem solving skills)という言葉と並んで「問題解決リーダーシップ(Problem solving leadership)」という言葉が使われる。この本では、この問題解決リーダーシップの重要性やそれがいったいどういうことなのかの説明にかなりのページが割かれている。

伊賀さんはリーダーシップを組織やプロジェクトの中で一人が持っていればよいものではないと強調している。

【『採用基準』「リーダーシップは全員に必要」から引用】
「組織においてはごく一部の人がリーダーシップを持っていればいいのに、なぜ外資系企業や欧米の大学では、採用面接や大学入試において、全員にリーダーシップを求めるのか」と不思議がられるのです。同様の趣旨で、「メンバー全員が強いリーダーシップを持っていたら、チーム全体としてはうまく動かないのではないか」といった質問もよく聞かれます。
この質問に対する私の答えは極めてシンプルです。全員がリーダーシップを持つ組織は、一部の人だけがリーダーシップを持つ組織より、圧倒的に高い成果を出しやすいのです。だから、学校も企業も、欧米では(もしくは外資系企業では)全員にリーダーシップ体験を求めるのです。もちろんマッキンゼーがリーダーシップを、重要な採用基準と考えているのもそのためです。
【引用終わり】

全メンバーがリーダーとしての自覚を持って活動するチームは、「一人がリーダー、その他はみんなフォロアー」というチームより、明らかに高い成果を出すことができると伊賀さんは言っている。

そして、日本でリーダーシップの概念が理解されず、教育がなされない背景に成果が最優先されない場合が多いからだと書かれている。

【『採用基準』「成果主義とリーダーシップ」から引用】
リーダーシップという概念がここまで理解されていない背景には、日本では社会において、さらに言えばビジネスの現場においてさえ「成果が最優先されない場合が多い」ことが挙げられます。実はリーダーシップを考える時、常にセットで考える必要があるのが「成果主義」なのです。成果主義とは、「努力でもプロセスでもなく、結果を問う」という考えであり、成果主義を原則とする環境でなければ、リーダーシップは必要とされません。
例えば、町内会のグループでお祭りの出し物を企画することになったとしましょう。どんな出し物をするか、町内のメンバーから意見を募ります。こういった話し合いの際、「できるだけ多額の収益を上げ、それを被災地に寄付する」という成果目標がある場合と、特に成果目標はなく「お祭りだから楽しければよい」という場合では、リームの運営方針は大きく異なります。
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成果目標がなければ、何の出し物をやるかは単純に多数決や場の雰囲気で決めればよいのです。何を楽しいと思うかは人により異なります。五人中四人が焼きそば屋をやりたいと言うなら、残りの一人が異なる意見をもっていても、「みんながそういうなら、焼きそば屋でいこう」という話になるでしょう。
この場合、最後の一人が「自分はどうしてもうどん屋がやりたい」と主張して譲らず、最終的に多数決で決める場合もあれば、少数意見をもつ人が空気を読んで自分の意見を出さず、結果として議論も採決もなく、焼きそば屋に決まる場合もあるでしょう。そのいずれの場合でも、リーダーは必要とされません。
しかし、もしも「収益を最大化する」という成果目標があれば、たとえメンバーの大半が焼きそば屋に賛成しても、異なる意見を持つメンバーは「本当に焼きそば屋の収益が高いのか。うどん屋の方が儲かるとうい可能性はないか。売り上げとコストを比較してから決めるべきではないか」と問わねばなりません。ほかの人も同じ成果目標を共有しているわけですから、少数派の意見も比較・検討する必要があると理解します。
【引用終わり】

成果目標を収益だけだと考えてしまうと、「なんと冷たい、血の通っていないリーダーシップなのだ」と思われるかもしれないが、成果目標を「顧客満足度を最大にすること」と考えれば、納得できる。そうすれば、売り上げを上げるために、顧客を裏切る行為例えば偽装表示などは避けつつ、何を成果として達成しなければいけないのかに集中できる。成果主義=悪と捉えるのは短絡的過ぎると思う。

リーダーシップと成果目標はセットで考えるべきという話は納得した。ただし、よいリーダーシップを発揮するためには、よい成果目標も必要だと思う。メンバーが納得できる成果目標であれば、判断にぶれが生じないが、成果目標自体が曖昧だとその場の雰囲気や多数決で物事が決まってしまい、失敗しても誰もが「しようがない」と投げやってしまう。組織的には無駄を容認することにつながる。

他部署の判断に口を出さない人たちは、組織の和や組織の秩序を、ビジネス上の利益最大化という成果目標より優先している。こういった職場では、リーダーは必要とされず、全員が空気を読んで「他部署のことは他部署に任せておこう」という思考停止をし、問題が起こっても見て見ぬふりをし、衝突が起こりそうになれば全員が少しずつ譲り合って衝突を避ける、と伊賀さんはバッサリ切っている。そういう日本の組織っていっぱいある。

この他にも「バリューを出す(何らかの成果を生む)」とか「会議で発言ゼロの人はバリューゼロ」とか「So what? (つまり、あなたの結論は何なの?)」にフォーカスするとか、「必要なのはグローバルリーダーでグローバル人材ではない」といった、そうだよなということがたくさん紹介されている。

経済産業省が掲げている社会人基礎力』で国が育てるべきと提唱している人材像の中に、リーダーシップという言葉がまったく出てこないのは、今や世界の中で極めて“ユニーク”だと言えるでしょう、とも言われてしまっている。

日本の組織が優秀だと考えているのは「専門性が高い」「協調性があり、組織のルールを遵守する」「迅速に正確な処理ができる」といった人であり、これらは欧米企業が考える優秀な人との間に大きな隔たりがあるとも書かれている。高い専門性も、リーダーシップを併せ持ってこそ評価される資質だというのも同意できる。

最後にリーダーシップとは特別な場所、場面で磨かれるものではなく、日常的に発揮されるごく身近なスキルであるという例えの部分を紹介して終わりにしようと思う。

【『採用基準』「あらゆる場面で求められるリーダーシップ」より引用】
たとえば、マンションの管理組合の会合にお菓子の持ち寄りがあったとしましょう。会合が終わり、帰り際になってもテーブルの上にはお菓子や果物が残っています。貸し会議室なので残していくわけにもいきません。お菓子の数は全員分には足らないので、ひとつずつ分けるのも不可能です。みんながそれらをすごく欲しがっているわけでもありません。 
このとき、「このお菓子、持って帰りたい人はいますか。お子さんがいらっしゃる方、どうぞお持ちくださいな」と声を上げる人が、リーダーシップのある人です。 
そんなつまらないことがリーダーシップだなんてと驚かれるかもしれませんが、これがまさにリーダーシップです。その場にいる人の多くは、机の上にお菓子が残ったままになっていても、「自分が声を上げるべき問題ではない」と考えます。これは「役職」の考え方です。「声を上げるべき立場の人、すなわち会合の主催者である管理組合長が問題を解決すればよい」と考えるのです。 
こういった場面を目にした時の言動によって、人はふたつのタイプに分かれます。最初のタイプは、何らかの問題に気がついた時、「それを解決するのは、誰かの役割(責任)か」と考えます。もう一方の人たちは、それを解くのが誰の役割であれ、「こうやったら解決できるのでは?」と、自分の案を口にしてみます。この後者の人を、リーダーシップがあるというのです。
【引用終わり】

日本の組織にはリーダーシップキャパシティが足らない、成果目標とリーダーシップはセットであるといったことがこの本によって気がつかされた。

また、リーダーシップは学べるスキルであり、自分のキャリアパスの中でどのような特長を活かしてリーダーシップを発揮していくかを考えることが重要であることに改めて気づいた。

P.S.

なお、この本、リーダーシップを絡めたタイトルにすればよいのに「採用基準」というタイトルにしたのは、こんなに売れるとは思っておらず、就職氷河期の話題に乗りたかったからではないかと思う。そこはちょっと残念。

ちなみに、全メンバーがリーダーとしての自覚を持って活動するという精神をマッキンゼーが持っていて、そうなるように人材を育てていることはこの本を読んでよく分かったが、自分が読み飛ばしていなければ、そういう素地を持っていない組織において、どうやって change our mind するのかについては書かれていない。

まあ、それがコンサルティングファームのノウハウであり、もっとも実現が難しいことなのだろう。でも、プロジェクトチームのリーダーシップが産業競争力の高さの全ての要因なら、日本の産業はリーダーシップ教育が充実している他国に負けて、ボロボロになっていても不思議ではない。

しかし、現状は必ずしもそうではないし、まだまだ日本の製品が世界でも優れている分野はたくさんある。だから、リーダーシップの欠如だけを問題視するのはよくない。それ以外の要素で日本のチームが欧米に比べて有利な点が必ずあるはずだ。

だから、我々は自分達のやっていること、自分達のやり方を全否定する必要はない。欧米の優れているところは取り入れて、日本の良いところは捨てずに伸ばす、これを忘れてはいけない。

「採用基準」には後者の「日本の良いところは捨てずに伸ばす」ことは書いていないので、一体それがなんなのかについてはよくよく考えないといけない。(『アメリカ人と日本人』『USとJapanの文化の違いと商品品質との関係』『西洋の真似をするだけというのはそろそろやめよう』『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方の感想』を参照されたし)

誰も声に出して提案しない、指示していないのにチームメンバーそれぞれが黙々と自分ができることを実行し、問題を解決するといったやり方は外国人チームではやらないだろうが、日本のチームならよくある光景だ。自分の失敗を恥じて全力で修復し、二度と再発させないと誓うというスタイルも日本のチームだけの特長かもしれない。

自国の良さがどこにあるのかを理解して渡り合う日本人こそグローバルリーダーだということは「採用基準」のどこかに書いてあったと思う。

1 件のコメント:

YoshWoods さんのコメント...

ちょうど Facebook で「リーダーシップ」を話題にしたところです。先日、代理で新卒採用の面談を行なったのですが、採用側の評価基準に「リーダーシップ」というのがあるのです。これを何段階かで評価表に記すようになってる。けれど、「リーダーシップ」の定義は書いていないのです。
従来の意味の「リーダーシップ」は、人をぐいぐいと引っ張っていく資質と捉えられていますので、他の面接官はその意味でしか評価しないのではないかと危惧しました。しかし、リーダーシップというのは、例えば sakai さんが紹介しておられるように、問題が解決されるように動くことであり、表立って人を引っ張る必要は必ずしもあるものではありません。そして、実際には前者(旧来)のタイプより、後者のタイプの方が多くの場面で有用なのです。
旧来のリーダーシップを無闇に発揮したがる人やそういう人を希求する人が減り、問題解決のために動く人が動き易くなるよう、自分も動いていきたいものです。