2013-02-10

NHKのドラマ「メイドインジャパン」を見て2

NHKドラマ「メイドインジャパン」(全3回)の最終回が放送された。最終的に瀕死の日本の大企業TAKUMIが技術盗用で訴えていた中国企業と一転、業務提携して窮地を脱するというところが意外だったが、やっぱり何か違和感を感じる。

その原因をいろいろ考えてみたが、それは過度な組織への忠信、執着ではないかと思った。唐沢寿明演ずる会社再建のリーダーと高橋克実演じるTAKUMIの元技術者が廃棄製品置き場で昔開発した機器を見つけてうれしそうに動かしてみるシーンがあった。

そりゃ、自分が携わった製品や自分の会社の製品がテレビに出ていたり、現実社会で使われているのを見るとうれしい気持ちになる。周りに家族がいれば、「あれがな」と講釈したくなる。でも、それははしゃぐようなものではなく、静かにかみしめるものだと思う。

ドラマの演出として過去の栄光を回顧しているこのシーンがとてつもなく古くさく、プロジェクトX的なサクセスストーリーを求めている視聴者へのサービスショットのような感じがした。

起業した直後ならまだしも、巨大化してしまった会社での製品開発ってそんな単純なものではないと思う。技術者の自らの強い意志のみで成功するイノベーティブな開発というのは100のトライのうちのいくつかだろう。

巨大企業は主力商品でそんな賭けはしない。きちんとマーケティングして消費者に受け入れられる機能や性能を分析するから、エンジニアの思いだけでもの作りが進んでいったりはしない。

それよりも何よりも、個人と組織の関係性が昭和の時代とまったく変わっていないように描かれていることが気になる。今時、家庭や個人よりも組織の方を優先して「会社が命」みたいな人がそんなに多くいるだろうか。

日本以外ではそういう人の比率は低いことは分かっていたが、日本だって例外ではなく、どんどん少なくなっているように思う。

個人と組織の関係は対等であると考える人が増えていると思う。組織から「会社のために死んでくれ」(個人を犠牲にしても組織に尽くしてくれという意味)と言われたら「No」というのが現代人の正しい判断だと思うし、そういう人情論で乗り切るという考え方がグローバルマーケットで日本の企業で負けが多くなってきた原因ではないだろうか。

組織は何か実態があるわけではない、信じたってその時々の状況で社員を裏切ることなどいくらでもあるだろう。社員からは裏切りと感じられても、組織からは正当な行為だと言われることだってある。リストラなどはその典型的な例だ。個人から見れば裏切りだし、組織から見れば組織の存続と後に残った社員の生きながらえさせるための正当な行為だ。

だから、組織に全面的に身をゆだねたりしてはダメなのだ。個人と組織は対等な関係であり、組織が個人を必要としないというのなら、さらっと「バイバイ」とドライに手を振れるようにしておかなければいけない。それは、組織の中にいて個人の独立性を高めることにもつながるから、結果として自立した社員が増えることになり、組織にとってもプラスに働く。

「メイドインジャパン」はそれに逆行し、昭和の時代に回帰することがよいというメッセージを発信しているように感じた。それが自分が感じる違和感の原因だ。

今朝、たまたまNHKで サキどり↑「日本発!ピカッと輝く新技術“LED照明通信”」という番組をやっていて、LED照明による光通信の最先端について紹介されていた。1秒間に数万回点滅するLEDを制御し光通信をする技術で、画期的な技術だと感じた。

そして、この技術を最先端で開発しているのは皆小さい会社だった。一つの技術を実用化するまで持っていくためには試行錯誤の期間が数年はかかる。そこには時間だけでなく、必ず成功させるという強い意志が必要だ。だから、小さい会社でないと続かない。

大企業はその巨体を支えるために、今年度、来年度の売り上げを確保するのに必死で、10年後のための投資、10年かかった花開く技術へのこだわりを持続できるとは思えない。

繰り返すが大きな企業ほど「メイドインジャパン」にこだわるのは間違っていると思う。そして、個人と組織の関係は対等であると考え、組織に依存しすぎなくても生きていける人間になることが重要だと思う。

そして、組織にどっぷりつかりたい人は起業するか、できるだけ小さい会社を目指した方がよいと思う。

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