2010-06-27

問題解決の方法を100パターン作っておかないと動けない人材

今、組織が欲しい人材は、目的を示すことで自分の持ち駒(経験)を組み合わせて実現する方法を見つけ出すことができる人だ。

その対極に具体的な手順を示さないと動けない人がいる。例えば、目的はひとつ、工程が2つあって、それぞれの工程内での活動の選選択肢が10パターンずつあったら、サンプルのパターンを一つか二つ例示するのではだめで、今自分が置かれている立場にぴったり合う10×10=100のパターンの中から最も近い一つを示せと言われてしまうケースだ。

その程度はまちまちで、いくつかのケーススタディをするだけで済む場合もあれば、手取り足取り手順を示さないと動けない場合もある。

問題解決能力が高い人は、経験値が低くても工程を何回か繰り返すうちに具体的な手順から抽象度の高い解決方法を体系化することができる。

だから、組織は問題解決能力の高い人材が欲しい。

【1. 問題解決能力を身に付ける方法】
  1. 達成すべき目的や要求を伝え「なぜ」も含めて合意する
  2. 集中できる環境だけ用意して解決方法は示さない
  3. 定期的に進捗を報告させてアドバイスを与える
  4. 成果を当事者以外(一番いいのは要求を出した人)に評価してもらう
  5. 2~4を何周か繰り返す
※たぶん、これがよく言う PBL(Project Based Learning/Problem Based Learning)なのだろう。

【2. 問題解決能力の低い人の学習環境(予想)】
  1. 問題が指定される
  2. 解決するために必要とされる一般的な知識を教わる
  3. 試しに一つの解決方法を教わる
  4. 複数の問題を解かせる
  5. 採点して落第だった場合は補習をする
※この学習方法で訓練されると、そのパターンで解けない問題がくると最初から解けないと「問題」と「ソリューション」は一対一だと決めつけられてしまい、ぴったりくる解決方法が記憶の引き出しにないとさじを投げられてしまう。

問題解決能力があるかないかを判断するには、答えのない問題を実際に解決してみてもらえばすぐに分かる。

2の学習方法しかやってこなかった人は比較的早くあきらめて、解決方法を教えてもらえるまで指示を待つ。1の訓練を受けている人は、少なくとも解決方法の提案をレビューしてくれといってくる。自信があるものは問題解決に着手する。

Process (工程)を Activity (活動)や Task(仕事)に分解して Procedure(手順)に落とし込むというアプローチは問題解決能力が低い人にも成果を期待できる反面、不測の事態への対応が十分にできない。手順になれてしまうと、手順から逸脱する行為は悪と見なされる。

同じ品質のものを効率的に生産しなければいけない工場の生産ラインはこの方法でよい。製品ごとに手順は変わるので、工場の中でも手順を作る側の人は問題解決能力が高くないといけない。

商品を作る側の技術者は、新しいものを創造するのだから、不測の事態への対応能力は高くないとまずい。ただ、もしかすると要求仕様が固まった後のコーディングだけを行うプログラマの場合は、手順通りに手を動かしていればいいのかもしれないが、一生その仕事ではたまらないだろう。

技術者はProcess (工程)を、分解された Activity (活動)や Task(仕事)を Procedure(手順)に従って開発を進めることが求められる一方で、不測の事態、変化しなければいけない状況下では、Process や Activity, Task を柔軟に変更できる能力も求められている。

P.S.

日本の組織では「強くお願い」と「強制」の垣根がないと思うことがしばしばある。「強制」とはそれに従わなければクビということだが、日本の組織ではそれはないし、「ヤレ」と言われてやらないで、何もとがめられないこともある。それが「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という特性だ。

そういう環境下では「強くお願い」と「強制」の垣根がないので、権限がなくても「強くお願い」すれば、それを義務ととらえる者が多い。「何の権限があってそんなことを要求するのか」なんてことを言う人を見たことがない。

たぶん、普段から自分の責務もあいまいしているから、それを言ってしまうと自分に返ってきてしまうからだろう。

責任と権限が曖昧な日本の組織では頭ごなしに「強制」するのではなく、徹底的に「強くお願い」するのが効果的だと感じる。どっちもやることは同じなんだけどね。

ようするに誰かに言われて動いたという形になっていた方が安心して行動できるということ。(それって責任回避の心理?)

2010-06-13

情熱とスキルと市場が重なり合うところ、あなたはそれを見つけられたでしょうか?

組織カイゼンにめげているとき、閉塞感に悩まされているとき、やろうかやるまいか迷っているとき、今自分が読んでいる本『20歳のときにしっておきたかったこと』を読み返してみるとよいと改めて思った。

【『20歳のときにしっておきたかったこと』 第6章 より引用】
成功の秘訣は、みずからの情熱につき従うことである---一体、何人からこうアドバイスされたことでしょう。きっと多くの人からこう言われた経験があるのではないでしょうか?何をすればいいのかわからなくて悩んでいる人に、こう言うのは簡単です。でも、このアドバイスは単純すぎて、人を惑わせます。誤解しないでいただきたいのですが、わたしも情熱は大好きですし、自分を突き動かすものを知っておくのは、とても大事だと思います。ただ、情熱だけでは足りないのです。

情熱は出発点に過ぎません。自分の能力と、それに対する周りの評価を知っておくことも必要です。とても好きだけれど、必ずしも得意でないことを仕事にしようとすると、悩みが深くなります。パスケットボールが好きだけれど身長が足りない人や、ジャズの大ファンだけど音程を外す人もいるでしょう。どちらの場合も、プロとしてではなく、熱心なファンとして、試合を見に行ったり、コンサートに足を運んだりすることはできます。

情熱を傾けられるものがあり、能力もあるけれど、それを活かす市場がない、という場合があるかもしれません。たとえば絵がうまくて描くのが好きだとか、サーフィンのボードつくりが好きで波乗りが得意だとしても、こうした才能を活かす市場は小さいのが実情です。自分が夢中になれることを仕事にしようとすると、欲求不満に陥るのは目に見えています。仕事にするのではなく、すばらしい趣味だと考えた方が賢明でしょう。

逆に、能力があり、それを活かせる市場が大きいのであれば、その分野で仕事を探すべきだと言えます。たとえば、実績のある会計士なら、財産諸表を作成できる人間のポジションはつねにあります。世の中のほどんどの人は、こうして生活をしています。自分のスキルを使える仕事があるけれど、早く家に帰って、自分が好きなこと---趣味に没頭したいと思っています。週末や休暇を指折り数えて待っています。あるいは引退の日を待っているかもしれません。

最悪なのは、仕事にまったく興味が持てず、その分野のスキルもなく、いまやっていることを活かせる市場もない場合です。古典的なジョークに、エスキモーに雪を売るセールスマンの話があります。雪が嫌いだし、セールスの腕もないのに、その仕事をやっているのです。これは最悪です。

情熱とスキルと市場が重なり合うところ、それが、あなたにとってのスウィート・スポットです。そんなスポットを見つけられたら、仕事がただ生活の糧を得る手段で、仕事が終わった後趣味を楽しめるのではなく、仕事によって生活が豊かになるすぱらしいポジションにつけることになります。こんなに楽しんでいてお金をもらっていいのかと思えることを仕事にする---これが理想なのではないでしょうか?中国の老子は、こんなことを言っています。

生きることの達人は、仕事と遊び、労働と余暇、心と体、教育と娯楽、愛と宗教の区別をつけない。何をやるにしろ、その道で卓越していることを目指す。仕事か遊びかは周りが決めてくれる。当人にとっては、つねに仕事であり遊びでもあるのだ。
【引用終わり】

「情熱とスキルと市場が重なり合うところ、それが、あなたにとってのスウィート・スポットです。」という一節を読んでちょっと目から鱗が落ちた。

  • 情熱だけでもダメ、スキルがなければいけない
  • 情熱とスキルがあっても市場がなければいけない

現実的な命題だなと思う。第一に好きなことがないという状態では話しが始まらない。好きでもスキルがなければその道で飯を食っていくことはできない。若いときはスキルがないし、何が好きかもまだよく分からない時期があった。スキルがつくことで、情熱を傾けることに値する仕事かどうかが分かることもあるだろう。

そして、残念ながら情熱があってスキルがあっても市場がなければ食っていけない。これはティナ・シーリングのような自分自身や他人が通り抜けてきた様々な経験を知っている者だからこそ持てる視点なのかもしれない。

自分は好きなこと、自分のスキルが活かせることで対価を得るにはどんな市場があるのかを考えるのが好きだ。それはすなわち、自分が他人からどのように評価されるのか、自分のスキルや成果に対してどのような対価が妥当と考えるのかを気にしているということでもある。

なぜか。なぜなら、それでいけるという分野があれば、ティナ・シーリングが言うようにそこが情熱とスキルと市場が重なり合う自分にとってのスウィート・スポットになるからだ。

それが見つかれば、こんなにいいことはない。そんなスポットを見つけられたら、仕事がただ生活の糧を得る手段で、仕事が終わった後趣味を楽しめるのではなく、仕事によって生活が豊かになるすぱらしいポジションにつけることになるからだ。

こうなれば最高だ。スキルを高める努力が苦にならないし、スキルが高まることでより価値の高い成果を上げることもできる。

この話は起業したいと考える人にだけ当てはまるのかというと、必ずしもそうではないと思う。日本では天職を探すというキーワードが広がっているように感じるが、現実問題としてはそこに市場があるかどうかという点は重要だ。

市場がないところに飛び出してしまうのはやはりリスクが大きいと思う。30代、40代はスキルを高めるとともにそのスキルが活かせる市場を見つけることに注力を注ぐべきかもしれないと思った。

2010-06-06

自動化がいつも優れていると思ったら大間違い

我が家の冷蔵庫の自動製氷機が数ヶ月前に壊れた。もう7年も使っているから壊れても不思議ではない。一通り調べてみたがどこが悪いのか分からなかったのであきらめて使わないことにした。

持ち運びできる家電なら修理に出す選択肢もあったが冷蔵庫ではそうはいかない。サービスマンを呼べばそれなりに修理代もかかる。

氷は必要なので昔ながらの氷の型枠を使って手動で作ることにした。型枠は100円ショップで2個買った。そうしたら、いっぺんに42個の氷ができる。

冷蔵庫の自動製氷機はタンクに水を入れておくと型枠に水が流れ、氷ができると型枠が回転して落ちるのだか、この方式よりも手動方式の方がはるかに短時間にかつ大量に氷ができる。

慣れとは恐ろしいものだ。自動でできているとそれが最善の方法な錯覚に陥る。氷を作る手順は自動製氷機も手動でやるのも実は全く同じだから、急いで氷が欲しいときは手動でやればよかったのに急速製氷モードに設定してイライラしながら「早くできないかな」と待っていた。

冷蔵庫の自動製氷機はタンクに水を入れておくしくみになっており、説明書には二週間に一回はタンクを掃除するように書いてある。実際一ヶ月ぐらい放っておくとちょっとぬるっとしたものがタンクの中に付くようになる。一方手動の場合は常にフレッシュな水を水道から注ぐから、定期的に洗うべきタンクがない。

自動製氷機が壊れたおかげで手動で氷を作るメリットが改めてわかった。

このできごとに似たことをソフトウェア開発にあることをふと思いついた。それは、たまにソフトウェアのテストを自動化したいので、いいツールはないかと相談を受けるときのことだ。

そういうときは、半自動でいいから少し時間がかかっても自分自身でテストをやりきってみなさいとアドバイスする。何人かは、その時点で先に進むことをやめ、何人かは自分でやってみて「ああ、自分でできるじゃないか」と気づきツールが欲しいとはいわなくなる。

前者は本当にテストを自動化したいのではない。自分がやるべき検証の作業をツールという他人にやらせて自分の責務を回避したいだけなのだ。そのような技術者は「自分で作ったプログラムのバグを自分で見つけることはできない」などとのたまう。そんなことはない。それを言うのなら「自分はカバレッジの高いテストの技法、バグが入り込みにくい設計のスキルを持ち合わせていないので、それらの技術を教えて下さい」と言いなさいと言いたい。

テストツールは(期待どおりの)テストケースを自動には作ってくれない。効率的なテストをやりたいのならテストケースは設計しなければいけない。テストツールは一度作ったテストケースのセットを自動で通すことはできる。また、テストツールを使わなくても自動で自分の作ったテストケースを自動で通す仕組みは作れる。

だから、テストの自動化を実現する前には多くの場合手動で一通りのテストを通す作業は必要になる。何回も同じテストを通さなくてもいい場合は、手動のテストをできるだけ効率的に実施する方法を考えた方がいい。

自動化がいつも優れていると思ったら大間違い、そんなことを自動製氷機の故障がきっかけで思い出した。また、エンジニアなら自動でできていることのしくみはどうなっているのだろうと考える習慣をつけないといけないとも思った。それが分かるようになると、どうやったらもっとうまくできるか見えるようになる。