2012-05-27

ISO 26262との向き合い方 (10) ISO 26262 をテンプレートで乗り切る功罪

国内の自動車メーカーや大手サプライヤが参加する車載ソフトウェアの標準化団体JasParらが、日本の自動車メーカーやサプライヤ向けに ISO 26262の解説書や技術テンプレートの一般公開を
検討しているらしい。

@IT MONOist ESEC 2012 ニュース記事
『ISO 26262の相場観を形成したい」、JasParが解説書の一般公開を検討』

記事によると「ISO 26262の規格書だけでは、自動車メーカーから、車載システムのサプライヤ、その車載システムを構成する部品のメーカー、車載ソフトウェアのベンダーに至るまで、開発現場で『何を』『どこまで』やればいいか分からない。また、自動車メーカーや大手ティア1サプライヤは、それぞれ自社の方向性を定めつつあるものの、それらの方向性が必ずしも同じというわけではない。そこで、国内自動車業界におけるISO 26262の“相場観”を形成するために、2010年度からJAMA、JARI、JasParが連携して、開発現場で役立つ解説書を作成している」とのこと。

国際規格に対して『何を』『どこまで』やればいいか分からないという開発現場の声はよく耳にする。だから日本人向けに解説書や技術テンプレートを作るというのは、方法論としてはありだと思う。

ただし、記事にもあるように日本人の技術者は、1から10までテンプレート通りに行う傾向がある。テンプレートは現場へ規格要求をすばやく広範囲に浸透させるメリットがある一方、テンプレート通りに当てはめることが目的となってしまい、もとの規格要求の意味についての思考を停止させる危険性を含んでいる。

テンプレートがどんなときに効力を発揮するのかというと、それは、レビューの時だ。設計の規範を組織やプロジェクトリーダがテンプレートを通してプロジェクトメンバに示して、テンプレートをもとにレビューを行うと、レビューのスピードが格段に上がる。

レビューワーの役目を持つものは、テンプレートによってどこに何が書かれるのか、どこが重要な部分かを把握している。同じテンプレートで作られたドキュメントが複数の部署から提出された場合、どこに問題があるのか、どこが要求を満たせていないのか一瞬で分かる。

ドキュメントがテンプレート通りに作られていない場合は、レビューポイントが書かれている場所を見つけることから始めなければいけないので時間がかかる。

良くも悪しくもテンプレートは規格要求への対応の自由度を制限した設計の規範である。よって、テンプレートに従うということは、そのテンプレートを作成した者や団体が決めた設計の規範を、その組織、そのプロジェクトがほぼ丸ごと受け入れることを意味する。

【テンプレートの活用法】
  1. プロジェクトリーダーが設計の規範を策定し、
  2. プロジェクトメンバーに説明して守らせる。
  3. そしてプロジェクトのアウトプットをプロジェクトリーダーがレビューし、設計の規範からの逸脱を指摘して修正を促す。
このサイクルが回り出すと、レビュー効率は飛躍的に向上する。そういう意味でテンプレートの有効性は高いと言える。

テンプレートが有効に働かないのは、テンプレートだけがあってレビューワーがいない、レビューワーがいても、そのテンプレートがなぜそうなっているのかを十分に説明できない場合だ。テンプレートは設計の規範が転写されたものだから、設計の規範の根拠をベースに逸脱を指摘しないと、作業者は求められていることの意味を理解しないまま取り組みは形骸化する。

テンプレートがそうなっていることの根拠がいざというときに説明できないと、テンプレートはマスを埋めることが目的の道具となってしまう。記事の中で「テンプレートにある程度の自由度を持たせた方がよい」というコメントがあるのは、マスを埋めるだけでなく、なぜ、それが必要なのかを考えさせる余地を残した方がよいと考えたからだろう。

ISO 26262 の解説書やテンプレートは、みんながマスを埋めることに終始し、「なぜ、それをエビデンスとしたのか」について質問されたときに、ドキュメントを作成した者が答えられないという状態を助長する危険性がある。

「みんながそうしているから」とか「類似した他製品がそうなっていたから」などと答えるのは最悪で、これは「私は規格要求をまったく理解せずに、形式的に書類を作りました。」と言っているのと同じだ。

そういう場合は、受け答えした者のトレーニング履歴(教育訓練の記録)を提示するように言われたり、その書類を承認した者の責任や権限、スキルレベルが問われる。

ようするに、西洋文化から発祥した規格の監査は、すべてがプロセス、システム、責任と権限で責められるのだ。

テンプレート方式を成功させるためには、レビューワーの技量と能力と、ドキュメント作成者へ規格要求(規範)をいかに理解させるのかがポイントとなる。

組織内のISO 26262推進者はテンプレートが形骸化しないように、エンジニアの考える力を衰えさせないようにしないといけない。

P.S.

日本規格協会から ISO 26262 の対訳版が2012年6月1日に発売になる。Part1~Part9 までのセットで 115,290円。自分で頭から全部訳すことを考えれば安いかも。

下記のリンクの 2012年5月28日のニュースを参照のこと。

ISO 26262 対訳版 6月1日(金)発売予定 ご予約好評受付中!

2012-04-08

ISO 26262との向き合い方 (9) 日本人が感じる違和感の原因

ISO 26262 を商売とする各社の営業活動が活発になってきたことから、そろそろ現場のエンジニアにも「ISO 26262に関して調べろ」とか「体制を作れ」といった指示が飛んできているに違いない。

ISO 26262 は基本的には自動車の安全に関して開発プロセスをマネージメントせよという規格だから、それぞれの所属組織の開発プロセスを見直すことが必要だとみな考えるだろう。

それはそれで間違ってはいないと思うが、この後日本のソフトウェアエンジニアが多くの違和感を感じるはずだ。

【日本の技術者が感じる疑問と違和感】
  1. ISO 26262 のプロセス認証を取得すると自分達の開発するソフトウェアが安全で信頼できるようになるのか。
  2. ISO 26262 の認証を取っているツールを使うと自分達の開発するソフトウェアが安全で信頼できるようになるのか。
  3. どこまでやれば終わりが来るのか。
この疑問一つ一つに答えていこう。

ISO 26262 のプロセス認証を取得すると自分達の開発するソフトウェアが安全で信頼できるようになるのか?

答えは No。まず、プロセスをマネジメントすることで安全を確保することはできない。プロセスは自動車の安全に対して直接作用するわけではない。安全は想定したリスクに対する分析とリスクコントロールの実装・実現によって確保される。プロセスはリスク分析やリスクコントロール手段の実現をマネジメントするように求めるかもしれないが、それは間接的な要求であって直接の要求ではない。だから、プロセスをマネジメントすることで安全や信頼が確保されるとは言えない。特に安全に関しては、必ず「何に対して安全と言うのか」「その具体的な根拠は何か」が答えられないといけない。プロセス要求の適合ではその質問には直接答えられない。

車の安全について、リスクコントロールのソフトウェアについて何をやってきたのか、何が危ないのかを一番よく知っているのは誰なのか。それは、車の設計者でしょ。プロセスは漏れや抜けをなくすことに貢献し、組織全体のマネジメント力を高めることに役立つが、リスクコントロール手段の一つ一つを実装するように設計するのはエンジニアだ。

「プロセスをマネジメントすることで安全を確保することはできないが、世界は安全の実現をプロセスで説明することを求めている。」 なんでこのような禅問答のようなことを言うのか、それは特に日本のソフトウェアエンジニアはこのことを意識していないと、規格適合の活動が自動車の安全や信頼に結びつかないからそう言っている。

そもそも、ソフトウェアの開発プロセスを管理することによって、ソフトウェアの品質を確保するという考え方は欧米で1970年代から構築されてきた長い歴史がある。しかし、1980年代、1990年代、2000年代と、日本の組込みソフトウェア製品は欧米の製品に対して品質面で劣っていただろうか。

ISO 26262 を商売にしようとしている会社は、みな「日本は欧州よりも遅れている」「国際標準に追いついていない」と声高に主張するが、「じゃあ、プロセスアプローチを進めてきた欧米の製品は日本の製品よりも、安全で信頼できていたのかよ」と聞き返したい。

自分は自動車を含む日本の組込みソフトウェアは、プロセスアプローチ至上主義ではなかった日本の製品の方が、欧米の製品よりも品質が高かったと思っている。

ようするに、欧米発のソフトウェアプロセスマネジメントよりも、日本のソフトウェア技術者が行ってきた“何か”の方が優れていたのだと考えている。(詳しくは『USとJapanの文化の違いと商品品質との関係』の記事を参照のこと。)


左図は、GD3 コンサルティング代表/JMAC GD3 センター長 の吉村達彦氏が日科技連主催の第15回 品質機能展開シンポジウムのプレゼンテーションで使った図だ。

吉村氏はトヨタ自動車に約30年務め、その後九州大学教授を経て、GM(General Motors)の Executive Director Reliability & Durability Strategy の仕事をし、GD3コンサルティング代表に至る。

GMに3年間いてそのときに感じた日本とアメリカの文化の違いを表したのがこの図である。この図は日本人とアメリカ人の違いを端的に表してる。

図が意味するところは、アメリカ人(吉村さんの経験ではGMのこと)はルールと責任はしっかりしており、システムやツールを構築することには長けているが、品質を心配する意識が小さい。一方、日本人(吉村さんの経験ではトヨタのこと)は、品質を心配する意識はとても大きいが、ルールや責任を重要視する姿勢は小さく、システムやツールの構築もアメリカほどは進んでいないということだ。

特に、アメリカのカルチャーの問題点として次のことを指摘されていた。

【アメリカのカルチャーの問題点】
  • 明確に責任や役割を定義すると・・・品質は他の人の仕事だと思ってしまう。
  • すばらしい支援システムを作ると・・・現地に行って現物を見て考えたり、心配したりする必要はないと思ってしまう。
したがって、品質を心配する意識をもっと大きくしなければいけない。製造業はエンジニアとテクニシャンの創造的技術・技能を製品に付加して利益を得ている業種であり、創造的技術とは問題を発見してそれを製品の価値に変換する能力である。発見するということはシステムやツールでできるものではなく、人間の行為であり、製品に価値を付ける上で意識がもっても大切であると説明されていた。

システムやツールで問題点を発見しやすくすることはできるけれども、そこには気づきが必要であり、気づくためには品質を心配する意識が必要であるということだ。

ISO 26262 が求めているのは、この図でいうシステム(=プロセス)やツールであり、品質を心配する意識ではない。そして、自分は日本人の品質を心配する意識の強さが、日本の組込製品の品質の高さだったのではないかと考えている。

だから、ISO 2626 がシステムやツールを日本人の技術者に要求するのは苦手な部分、不足している部分を強化しようというプラスの力が働く反面、もともと強かった「品質を心配する意識」が製品の安全や信頼を実現していたことを忘れて、これまで築き上げてきた製品品質を落としてしまわないか心配しているのだ。

品質というよりは安全を確保する力が弱まることが心配だ。このような背景が分かっていない実績を積み重ねてきたベテランのエンジニアは、ISO 26262の要求に嫌気がさすと同時に、意味がないことをやらされていると感じるに違いない。

そんなときは、この特集記事を今一度最初から読み直してみて欲しい。日本のソフトウェアエンジニアの強みと弱み、過去と現在と未来について何ができていて何ができていないのか分かるはずだ。

さて、プロセスに関してもう一つ図を見ていただきたい。この図は『ソフトウェア品質論の歴史的推移』の記事で取り上げた図で、日科技連主催のソフトウェア品質シンポジウム2010(SQiPシンポジウム2010)で広島市立大学の大場充先生が講演された内容を図にしたものだ。


この図で示したかったのは、プロセス重視のソフトウェア品質論は1970年代から連綿と続いていて今のなお強固な考え方である一方、日本では当たり前品質/魅力的な品質といった、商品の価値や顧客満足に根ざした品質向上の取り組みが行われてきたという事実である。

このことは、前述の US と Japan の文化の違いとよく符号している。US はプロセス重視で、システムやツールを使うことに長けており、Japan は品質を心配する意識が強く、価値や顧客満足重視で商品の品質を高めてきた。

ISO 26262 の規格適合を日本で目指すのなら、技術者はこの二つの図を頭の中にたたき込んでおいて欲しい。そして、自分達の良さを消すことなく、足らない部分を補って欲しいと思う。

最初の質問、「ISO 26262 のプロセス認証を取得すると自分達の開発するソフトウェアが安全で信頼できるようになるのか」にもう一度答えると、日本のソフトウェアエンジニアがこれまで安全や信頼を確保するためにやってきた取り組みを殺すことなく、取り入れることができらば Yes であり、日本人の特性を無視して欧米的なやり方をごり押しされたら No になる。

これは、東京大学 ものづくり経営研究センター センター長、東京大学 大学院経済学研究科 教授の藤本隆宏先生が『日本もの造り哲学(p125  図10 アーキテクチャとは何か)』で日本のものづくりの方法をインテグラル型として表した図だ。(こちらの記事『すり合わせと組み合わせ』も参考されたし)

藤本先生は、ものづくりの機能と構造の関係をモジュラー型とインテグラル型、すなわち、組み合わせとすり合わせに分類でき、日本の自動車の作り方はインテグラル型(=すり合わせ型)で、インテグラル型は機能とサブシステムの関係が一対多で、機能とサブシステムが複雑に絡み合っているがユーザーニーズに対して最適解を得られるとしている。

一方、モジュラー型は機能とサブシステムが一対一になっていて、真似すること、アセンブリメーカーとしての市場参入が容易である。ISO 26262 の流れに乗って、日本の自動車のものづくりを組み合わせ型に変更し、個々のモジュラーの信頼性を高めることに精力を注いでいると、日本のサプライヤーは欧米のサプライヤーに飲み込まれるか、アジアの振興サプライヤと三つ巴で消耗戦を繰り広げることなるだろう。そうなったら日本の自動車のものづくりは衰退するだろうし、消費者にとってもかゆいところに手が届く商品は減っていくだろう。

自動車の安全を可視化するのは重要だが、だからといってものづくりのやり方全部をすり合わせから組み合わせに変えてしてしまうと自分のクビをしめることになる。機能と構造が絡み合ったノウハウが隠蔽されたモジュールをその組織のコアコンピタンスにしてアドバンテージにしていかないと、すぐに代替えが用意されてしまう。

ISO 26262 の認証を取っているツールを使うと自分達の開発するソフトウェアが安全で信頼できるようになるのか?

これは単純に No だ。最初の質問にも関係があって、ツールを使いこなすことに長けている組織、プロジェクトなら Yes になる可能性があるが、品質を心配する意識でこれまでの実績を築き上げてきた日本のプロジェクトでは成功の確率は低い。

そうでなくても、これまでに宝の持ち腐れになったツールの一つや二つはあるだろう。日本のプロジェクトではツールをトップダウンで導入するよりも、ボトムアップでじわじわと広げていくことが多いと感じる。この際、プロジェクトリーダーのリーダーシップが必要であり、このとき品質を心配する意識がプロジェクト全体を方向性を一つにできればツールは有効に働く。しかし、認証が取れたツールだから使いなさいと言われたら逆に品質を心配する意識は低下するだろう。

日本では、まったく同じツールであっても、規格の認証が取れているからという理由で採用したら有効には活用されず、認証とは関係なく組織やプロジェクトが商品の安全や信頼のために必要だと思って採用した場合は有効に活用される。プロジェクトメンバの意識が一致していればうまくいくし、押しつけられたらうまくいかないといののが、日本のソフトウェアプロジェクトの特徴だ。

欧米ではシステムやツールを上手に使いこなす下地や国民性があるから、そのようなまどろっこしい問題は起きないのだろうが、日本ではそうではない。この点を理解しないでツールを導入するともう一つ宝の持ち腐れが増えるだけだ。

どこまでやれば終わりが来るのか?

当たり前だが、規格の認証を取ることがゴールではない。安全で信頼できるソフトウェアをすでに提供できているのならゴールに到達しているとも考えられる。足らないのは説明責任だ。だから、今自分達がやっていることを、規格の要求に基づいて説明できるようになればそれがゴールとなる。

そのとき気をつけたいのは、自分達がやってきた安全や信頼に対する良い取り組みを規格要求の答えとして何とか説明することをまず考えることである。その努力をせずに、自分達がやってきたことをあっさり否定して、欧米的な要求を神のお告げのように捉えてはいけない。規格要求の文言通りに何でもかんでもやらなければいけないと考えるのは間違いだ。

もしも、今現在、安全で信頼できるソフトウェアを提供できていないのなら、それができるようになることがゴールとなる。ただ、問題なのは、日本でそんな問題が起こっているのなら、それは単独の機能ではない可能性が高いということだ。一つのサプライヤだけでは解決できない、複合的に絡み合った要求仕様、機能や性能の実現方法に絡んだ問題があるときだろう。

この場合、サプライヤ単独では問題は解決できない。機能安全はそもそも、サプライチェーンを意識しすぎているから、その点に弱点を持っている。信頼性の高い部品の組み合わせで安全は確保できない。ISO 26262 はシステム全体の安全マネジメントを取り入れたぶん、自動車メーカーとサプライヤが一体となってマネジメントできれば対応できるかもしれないが、現実には難しい点が多いと感じる。複数のサプライヤにまたがってリスクコントロールを実現していることを可視化して証明するのはとても難しい。

またの機会にそれについて語りたいと思う。

2012-02-18

医薬品業界における Computerized Systems のガイドライン

GAMP5は邦訳版が購入可能
今回は医薬品業界におけるコンピュータシステムのガイドラインの話を書こうと思う。この話は近い業界である医療機器業界にも関係あるのはもちろんのこと、自動車業界にも参考になるはずだ。

まずは歴史的背景から。1990年台初期に米FDAは英国を中心にEUの大手製薬会社を集中的に査察した。FDAがある地域の同業者を回って査察を敢行することはよくあることだ。

このとき、FDAは複数の医薬品企業に対して Warning Letter を出した。特に指摘が多かったのがコンピュータを使ったシステム(Computerized System)に関するものだった。Warning Letter が発行されると、アメリカへの医薬品の輸出がストップするから、当時欧州の医薬品業界は大騒ぎになったであろうと想像する。

医薬品業界は化学系というイメージが強いと思うだろうが今ではかなりの部分でコンピュータシステムが導入されている。実験段階のデータ分析から、薬の開発、臨床試験、医薬品製造(倉庫管理、原薬工程、製剤工程、包装工程製造)、製造管理システム、品質管理システムと、いたるところにコンピュータシステムが使われている。

これらのシステムが問題なく動いていれば、なんらユーザーリスクは生じないが、何かのソフトウェアの問題により、薬の成分が意図した成分でなくなってしまったら大変なことになる。これが Intended Use からの逸脱のリスクだ。

それ以外にも、コンピュータシステムを悪用して、臨床実験の結果が改ざんされたりしたら、これもユーザーリスクにつながる。

だからこそ、FDAはコンピュータシステムの管理に問題がないかどうかを調べ、問題があればアメリカ国民の安全のために是正を要求する。

欧州の製薬会社は、FDAからの指摘で自分達のコンピュータシステムがキチンと管理されていないことにダメ出しをされてしまった。そして、指摘を受けて医薬品の開発や生産に使っているコンピュータシステムの管理が十分ではなかったことを純粋にまずいと認識した。

また、そもそも、製薬会社はコンピュータやソフトウェアのプロではないから、それほどプライドは傷つかなかったと思うが、アメリカから数多くの指摘を受けたのは苦々しく感じたに違いない。

そこで、欧州の製薬会社、設備、機械メーカーはこれを機に、GAMP Forum を立ち上げて、自分達でコンピュータシステム管理のガイドラインを作ることにした。これが GAMPの始まりだ。

1993年にガイドラインのドラフトができ、その後5回の改訂を経て 2008年に発行されたGAMP5 が現在の最新版である。

もともと、GAMPは民間のガイドラインだったが、その後、FDAのレビューも受けて国際的なコンピュータシステムのバリデーションのガイドラインとなった。そしてその後、日本でもGAMPの内容は、コンピュータ使用医薬品等製造所適正管理ガイドラインに反映された。

ここまでの流れを整理すると
  1. アメリカが先行してコンピュータシステムのあるべき姿をまとめ規制を開始。
  2. アメリカに指摘を受けた欧州がスタンダードを作りブラッシュアップ。
  3. 日本やその他の国々がスタンダードに従うようになる。
ISO 26262 の場合は、アメリカが先行してガイダンスを持っていたわけではないが、アメリカにおける自動車関連の事故に対する訴訟や議会で取り上げられたことが、国際標準の必要性を強くしたという点では、トリガーがアメリカで、熟成させた中心が欧州であるという点はよく似ている。そして、その後出来上がったスタンダードに日本が従うことになることも同じ系譜である。

GAMP5は500ページにも渡る大作であり、次のような構成になっている。
  1. 原則と枠組み
  2. 管理、開発、運用
  3. 実践規範ガイド(Good Practice Guide)
  4. 他の情報(論文、テンプレート例、トレーニング教材)
ISO 26262 と共通するのは1と2の部分だが、ISO 26262 には実践規範ガイドやテンプレート、トレーニング教材はない。そこが、国際規格と業界が主体で作り上げたガイドラインとの違いである。GAMPは医薬品業界が必ずしも自分達の得意分野ではないコンピュータシステムの管理について知恵を絞りながら、自分たちにとって実際に役に立つガイドラインを仕上げていった。そもそも、医薬品会社が自分達でコンピュータシステムを作るわけではないので、GAMPの内容の大部分はコンピュータシステムを供給するサプライヤに対する要求事項である。

この点も ISO 26262 とよく似ていて、コンピュータシステムの開発計画→開発→運用→廃棄のライフサイクルの中で、開発計画と運用、廃棄の部分の責務は製薬会社が、開発の部分の責務はサプライヤが担う(正確にはサプライヤのアウトプットを活用するということ)内容になっている。

ただし、GAMP5は製薬会社と製薬会社へのコンピュータシステムを納入するサプライヤが実際に日々の活動に使えるガイドラインとなっているが、自動車の方は ISO 26262 だけでは GAMP5 と同等にはならない。なぜなら、ISO 26262 には Good Practice Guide や、テンプレートやトレーニング教材は含まれていないからだ。

だから、今後のために自動車業界は医薬品業界がやったように協力して実践規範ガイドやテンプレートやトレーニング教材を作る必要がある。

医薬品業界には PIC/S という国際的な医薬査察協力スキームがあり、EU各国、アメリカを含む現在37ヶ国/39当局がこのスキームに参加し、日本も加盟を検討している。このスキームに乗ると、査察官のトレーニングの場が提供され、共通の査察システムにより医薬品の品質を高く保つことが可能になり、問題が起こればその査察情報が共有される。

業界と規制当局が協調し、医薬品の品質を高めるスキームを作り上げた功績は純粋にすばらしいと感じた。医療機器や自動車業界も業界が協力して主導的に安全や信頼の得るためのスキームを構築する必要があるのだろう。

さて、GAMP5 の基本概念は次の8つである。
  1. リスクベースアプローチ
  2. Quality by Design(設計段階から品質を確保する)
  3. サイエンスベース(科学的な根拠を明確にする)
  4. Good Engineering Practice(サプライヤの活動結果も受け入れる)
  5. 製造システムの重大な側面
  6. ベンダー文書の活用
  7. 継続的なプロセス改善
  8. Subject Matter Expert(SME)
これは医療機器ソフトウェアや自動車のソフトウェアにも共通するところが多々ある。まず、リスクベースアプローチに関しては、1990年代から FDA はその方針を打ち出していて、GAMPもそれを受け継ぐことになった。現在、どの分野においてもリスクベースアプローチが取り入れられている。その理由のひとつは、そうしなければ規制当局が監督しきれないという理由がある。ユーザーリスクの大きいものから見ていかなければ許認可が追いつかないし、リスクの大きさに応じて審査、査察対応することが、各国の国民の安全を効果的に高めることにつながる。(現実世界ではリスクベースアプローチが主流になっている。フォーマルメソッドではない)

2の Quality by Design(設計段階から品質を確保する)とサイエンスベース(科学的な根拠を明確にする)は言わずもがなであるが、とりあえず動くソフトウェアを作ってしまう組織には耳が痛い話だ。

4と6は、サプライヤやベンダーの文書も有効利用するという考え方であり、7の継続的なプロセス改善は日本が発祥のQC活動に通じる。

8のSubject Matter Expert(SME)は、特定分野のエキスパート専門家のことであり、医薬品業界ではコンピュータシステムの設計、管理、評価に関しては、医薬品業界の品質保証担当がすべての責務を負うのではなく、ソフトウェアのことは専門家の意見を聞き、彼らの判断を積極的に使ってコンピュータシステムの品質を保証しようという考え方を取り入れている。

<今回の記事のまとめ>
  1. 医薬品業界ではコンピュータシステムの品質を担保するために業界が協力してガイドライン(GAMP)を作った。
  2. そのガイドラインは業界標準から規制当局も含めた国際標準になった。
  3. ガイドラインは規制目的だけでなく、実践のガイド、トレーニング教材も含まれている。
  4. 他の業界も同様に“使える”ガイドラインを作り上げることが、業界、規制当局、ユーザーのために必要である。