1年3ヶ月ぶりの投稿。ふと、Facebook で友人が近況を書き込んでいるのをみて、「あ、そういえばブログ更新してなかった」て気が付いた。
このブログを始めたきっかけは、自分の本を出版して読者との交流しながら情報発信したいと思っていたからだった。あと、組織内で思ったこと、感じたことをブログに書くことである意味ストレス解消していたのかもしれない。また、書くことで自分の考えを整理して伝えるスキルを高めたいという思いもあった。
20年以上、組込みソフトウェアの開発をしてきたが、技術者への支援の仕事を経て、今は、組込み機器からの情報をクラウドに上げて、ユーザにサービスを提供するソフトウェアの開発をマネジメントしている。在宅勤務が増えて仕事の取り組み方も変わって、仕事をしているときとしないときの、ON/OFFがはっきりするようになって、OFFのときは仕事の事を考えなくなった。
若い時は会社にいても家に帰ってきても抱えてる課題をどう解決しようかと考えていたが、今はスキルが高まってきたせいか、ONのときに課題解決の道筋が見えるようになってきたので、OFFのときは仕事のことはあまり考えないようになった。こういった状況の変化で、ブログの更新が滞っていたのかもしれない。
環境が変化したとはいえ、今になってもいろいろを思うところはある。ソフトウェアは複数のエンジニアが関わって作っていくものだし、事業も関係する人々とコミュニケーション取りながら進めて行くので、その中で何かしら感情がぶつかったりすることはある。そういうことがあると、ブログに自分の考えを書きたくなってくる。
最近思うのは、組織ってやっぱり蛸壺的になるもんだということだ。組織が大きくなるほど、エンドユーザとの接点がなくなり、自分のやっていることがユーザのためというよりは、組織のため、さらに自部門のため、さらに自分の利益のためになる。最近、他部門の技術者が「その機能、入れるのか入れないのかだけ、言ってください」という発言をしたので、「そうじゃないだろう、ユーザにとって必要かどうかを考えるんだろう」とたしなめたことがあった。上から言われたことだけやる仕事って面白くないようなって思う。自分が作ったものをユーザが喜んでくれることを糧に仕事ができれば、技術を吸収するスピードだって速くなる。
自分がそういう考えで35年以上働いてきて感じるのは、組織の中にいても自分は個人商店だという認識を持っていたのはよかったなということだ。
入社したてのころはスキルがなくて、とても独立してやっていくことはできなかったので、早く一人前になりたいと貪欲に技術を吸収しようと思っていた。ある程度、外の世界の人達と渡り合えるようになってからは、いつでも独立するぞという気持ちでいたつもりだ。
ただ、組織と自分のポリシーにオーバラップがある内は、多少イヤなことがあっても我慢しようと思った。実力さえ身につけることができれば、組織が方向性が自分の生き方と異なると思ったら、迷わずに外に出ようと考えることができた。個人商店として何とかやっていきそうという自信が付いてなければ、組織にかじり付くしかなかったけれど、いつでも個人商店としてやっていけるとなれば、組織に対してもそれ相当の発言ができる。
そして、組織の事業を支えるようなプロジェクトに関わるようになれば、顧客満足を高めることの実感を得ることができるようになる。
自分はエンドユーザにどのような価値が提供できるのかから始まり、それを実現するための技術は何か、その技術を習得するためにどうしたからいいかという順番で物事を考えるようにしている。
いろいろな技術者と話しをしていると、そういう思考ではなくて、このファンクションをどうやったら実現できるかから話しをはじめる人がいることに気が付く。
「組込みソフトエンジニアを極める」の著書では、技術的なこととともに、エンドユーザに提供する価値を実現する技術を身につけることの大切さを書いたつもりだ。
そういった思考をする訓練をしてきたことによって、さまざまな課題にぶつかったときに、組織内のセクショナリズムなど、エンドユーザ価値に関係がない、また逆行するような事柄は実にくだらないと考えることができるようになった。
35年以上ソフトウェアエンジニアとして働いてきて思うのは、やっぱりソフトウェアは人が作ってるので、人=技術者のことをよく理解しないと何事もうまくいかないということだ。
「組込みソフトエンジニアを極める」や「リコールを起こさないソフトウェアのつくり方」で、欧米と日本の技術者の考え方の違いについてしつこいくらい書いたのは、そこを理解しなければ開発はうまくいかないと直感していたし、実際、欧米で培われたプロセスアプローチはそのまま適用したのでは日本ではうまくいかないと実感したからだ。
ソフトウェアの面白さって、人と密接に関係しているところかもしれないと、今更ながら感じる。