2014-08-17

誰のため、何のために仕事している?

時事通信のサイトに、ドイツのダイムラーが社員が休暇中に届くメールを自動削除するシステムを導入したというニュースが載っていた。

社員10万人が希望に応じて利用でき、送り手には「休暇中でメールが受け取れない」という説明と、緊急要件に対応する別の担当者の連絡先を知らせることができるそうだ。

この話を聞いて、この夏、自分が気にしないからと思って、夏休み中にいろいろな方にメールを送って失礼なことをしたなと反省すると同時に、日本人は働き過ぎじゃないかと改めて思った。

思い起こせば、十数年前、家を建てるときに担当のハウスメーカーの営業の方の携帯電話に夜中だろうが気にせず電話して、いろいろな問題に対処してもらった。その方とは、個人的に長いつきあいをさせていただいているが、今から思えばあちらの家族に迷惑を掛けたと思う。

日本では、無理な注文を聞いてくれればくれるほど、顧客との信頼が増すといった慣習が色濃く残っているような気がする。それが、仕事にオンの時間ならいいと思うけれど、オフの時間にも対応してあげるのは、どうなんだろうと考えてしまう。

相手が仕事上の顧客なのか、それとも個人的な友人なのかによっても、その判断はかわると思うが、どちらとも言えないようなときが一番の悩みどころだ。前述のハウスメーカーの営業の方は、最初のつきあいは完全に仕事だったから、ずうずうしかったかなと思う。ちなみに、その人はやり手の営業マンで、当初家を買う気もないのに、あちらの会社持ちで地盤調査をしてしまうような強引さもあった。そんなこともあって、契約にいたり、いろいろ無理も利いてもらっていた。

「あの人のために何とかしてあげたい」と思うこともある。そういうときは、公私を忘れてなんとかしようと思うこともあるが、相手が一人じゃなかったり、それをやることで家族の時間が犠牲になってもいいのかという時もある。

仕事とプライベートに明確な線を引いていない自分としては、そのような悩みが常につきまとう。実際公私に関係なく、没頭してしまうとそのことが頭から離れなくなり、集中力が高まる一方で他のことができなくなるという問題もある。

それともう一つ、日本では優秀なエンジニアが仕事のパフォーマンスを上げれば上げるほど、そこに新たな仕事が降り注いでくるという傾向がある。ソフトウェアは見えないだけに、再利用性の高いアーキテクチャを構築したアーキテクトは現場レベルでは一目を置かれるが、組織としてその功績を目に見えるようにするのはとても難しい。

だから、場合によっては、作っちゃ直し作っちゃ直しを繰り返していつも忙しくしている方が表面的には頑張っているように見えたりする。

ソフトウェアの開発効率を高めて左うちわになるような功績を達成しても、それを評価できる組織はそう多くはなく、逆に楽になったぶん仕事を上積みされる。

そうなるとエンジニアはなんだか貧乏くじを引いた気分になる。誰の為に何のために技術を磨いているのは分からなくなることもある。

そういう話をすると、今の世の中独立して会社を興せばいいじゃないかと言われることもあるが、製造業(組込みソフト)の世界で生きていきたいのならば、そう簡単な話ではない。

製造業は生産設備が必要だし、さまざまな役割分担をしないとものつくりができない。形あるもの作りが好きな者としては、分業された組織が必要なのだ。

最初のダイムラーの話に戻ると、組織は社員に対して「この会社のために何とかしよう」と思わせる努力が必要なのではないか。

冒頭の話が「休みの間くらいゆっくり休んでリフレッシュしてくれ」ということなら、社員は「この会社のために何とかしよう」と思うかもしれない。

別に休暇だけがその方法ではない。何かしらのインセンティブや組織と社員の価値観の共有の努力かもしれない。

それがない状態で、成果だけを求められても、「この会社のために何とかしよう」という気持ちにはなかなかなれない。

ちなみに、こういった主張をこのブログでずっとしてきたのだけれど、ブロガーとして問題を分析するだけでなく、自分自身が組織の側に立ってエンジニアに「この会社のために何とかしよう」と思ってもらう立場に変わりつつある。

それは今までやってこなかったことだけに大きな悩みの一つになっている。エンジニアとして技術を追求するだけではすまなくなってきただけに、日々のいろいろな活動に対してモチベーションを維持するのが難しい。

歳を重ねるとエンジニアリングだけ考えていればよいという立場ではなくなってくるのがイヤだ。

P.S.

8月15日は終戦記念日だった。そこでラジオで紹介されていた『戦争の教室』という本を買って、読んでいる。この本は、1901年生まれから1990年生まれまで、各世代80名が戦争や平和について語った文章を集めたものだ。500ページとページ数は多いものの、それぞれが短く完結しているので、好きな年代から気まぐれに読んでもおもしろい。

みんながみんな戦争に向き合って堅い話を書いている訳ではない。元暴走族のリーダーだった中野ジローさんの話などは戦争とはまったく関係ないが、自分の親が自分に向けていたまなざしと、自分や奥さんが自分の子供に向けているまなざしの共通点が、平和を希求する気持ちとオーバーラップしているように思える。

また、もうすぐ結婚するという山﨑曜子さんという20代の女性が、婚約者の祖母に戦争体験を聞きに行く話は、現代の若者が素直に感じたこととしていい文章だと思ったし、教科書的でないところがすごくよかった。