今年の新人達がプレゼンするのを聞いた。ものすごくうまい。本当に信じられないくらいうまい。最近は個人情報ということで、どの大学の何を専攻してきたのか、学卒か院卒かも公開されないからプロフィールがまるでわからないが、プレゼン慣れしているのは確かだと思う。
あまり人前であがらないというのは現代的な特徴かもしれないが、観客が自分をどのように見ているのかを客観的に把握できているように見える。
就活で鍛えたのだろうか? 最近の就職は非常に狭き門となっているらしく就職を控えた学生の諸君は大変だという話しをよく聞く。
『内定の出ない学生は何が間違っているのか~学生、企業、大学、親がすれ違う悲惨な現状』を読めば大変な現状が分かる。
しかし、日本の企業はどうして「新卒」にこだわるのだろうか。これまでずっと同じシステムでやってきたから、いまさら変えることに不都合があるのか。能力主義、成果主義に切り換えたといいながら、実は年功序列が実態なので新卒という枠を外すと問題が生じるのだろうか。
日本の企業は大学、新卒とう枠を設けることで、自分達が欲しい人材がどのような人間であって欲しいか考えることから逃れていると思う。
ようするに新卒であれば世代という観点では同じ評価指標で考えられる。その土俵で人選すれば選びやすい。ところが、新卒という条件を外したら、もっと評価指標が増えるし、また、どのような人材を求めているのかをもっと明確にしなければいけない。
その組織にあった人材ということだけではなく、今、不足している、これから始めようとする事業に有効な能力、ポテンシャルを持った人材を選らばなければいけなくなる。というよりは選べるようになるのだ。
キャリア採用と似ているが、キャリアは十分ではないだろうから、人材を必要とする事業やプロジェクトに投入する際にポテンシャルの高い人を探さなければいけない。今まで以上に人事部門が事業部門と情報を共有し、どんな人材が必要か常日頃からディスカッションしておかねければいけない。
新卒しか採用しないのは、人事部門が新卒という枠でしか技術者を評価できないからではなだろうか。
その組織に、その事業に、そのプロジェクトに必要な人材がどのような者か、どのようなポテンシャルを持っているべきかを考えられるようになれば、新卒にこだわる必要がない。
ちゃんとそのコンセプトを示し、いろいろな経験をした広い範囲から人材を選べるはずだろう。
プレゼンがうまいのがもしも就活のために訓練したのであれば、それもよいが、エンジニアとして組織が求めているポテンシャルが高いのかどうかはそれだけでは分からない。
就職する側の企業が変われば、大学の姿勢や受験も変わるのではないかと思う。現在の就職状況では、一芸に秀でた人材が埋もれてしまわないか、日本ではチャンスは新卒の一回しかないのかどうか心配になる。