なぜなら、プリウスのブレーキ制御問題について、これまでになく詳細な情報が掲載されており、問題がなぜ起こったのかを推察できるからだ。
詳しくは 日経ものづくり8月号の特集記事『ソフトが揺さぶる製品安全』を読んでいただくとして、この記事のコラム「プリウスに見る、ソフトの落とし穴」の感想を書いてみたい。
まず、このブログの『プリウスブレーキ制御ソフト改変についての考察』の記事でも書いたように、何しろプリウスのブレーキシステムは非常に複雑だ。
これはプリウスだからではなく、現在のハイブリッド車はみな、このように複雑な制御でブレーキの機能や性能を実現しているのだと思う。
何が複雑化というとざっとこんなところだ。
- そもそもブレーキペダルを踏むとブレーキオイルの圧力が伝達されブレーキパッドを押し当てると思ったら大間違い。ブレーキペダルとブレーキパッドの間にはさまざまな構造物が間に入っている。
- ブレーキペダルを踏むとピストンのような油圧ブースターを押すような構造になっている。
- ピストンも密閉されているのではなく、リザーバタンクからブレーキオイルが補給されるようになっており、アキュームレータとポンプが接続されていて、ブレーキの圧力をモータとポンプの制御で高めることができる。
- ブレーキオイルの圧力はストローク・シミュレータに送られて、ここでドライバが要求する制動力とペダルに対する反力を計算している。
- ようするにドライバがあたかも、ブレーキペダルとブレーキパッドが直につながっているような感覚になるように、油圧を制御しているのだ。
- 強く踏めばブレーキは強く効き、弱く踏めば弱く効く。そこにタイムラグ(例えば0.5秒)があればドライバは強い違和感を感じるので、ハードリアルタイムの制御が必要となる。
日経ものづくりに掲載されているプリウスのブレーキシステムの構造図を眺めていると、ブレーキががこんなに複雑な構造になっていることに恐ろしさを感じる。車メーカーに全幅の信頼を寄せられなければ恐くて車には乗ってられない。個人的には、電気自動車の時代になっても新規参入してきた会社の車には10年間は乗りたくないと思う。それくらいソフトウェア制御が絡む複雑なブレーキシステムにはノウハウがないと危ないと直感する。
さて、プリウスのブレーキ問題は低速走行で緩やかに減速しているときにアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)が動作すると、一瞬制動力が低下し、その結果、制動距離が延びる、または、運転手がペダルを踏み増さなければいけないという問題だった。
この問題が起こった流れを書くと次のようになる。
【新型プリウスのブレーキ問題が起こった背景】
- プリウスは燃費を稼ぐために回生ブレーキを利用しジェネレータを回して発電する。(エンジンブレーキのようなもの)
- しかし、回生ブレーキの制動力は弱いので、油圧によって制動力を足してやらなければいけない。(だから、構造が複雑になり、制御も複雑になる)
- やっていることは超複雑なのに、ドライバには違和感を感じさせないように繊細な制御をすることが要求される。
- ABSが作動するときは、回生ブレーキは使わずに油圧ブレーキだけで制動力を確保する。(回生ブレーキでは断続的なブレーキングは不得意だから)
- ABSが作動するときは、ブレーキの油圧の供給方法を切り換えてドライバーが踏んだペダルの油圧を使うようにしている。
- 先代プリウスではペダル油圧ではなくモーターとポンプで作り出すアキュームレータ油圧を使っている。(新型プリウスのブレーキ問題の後トヨタはペダル油圧から先代プリウスで実績のあるアキュームレータ油圧に制御を変えている)
- なぜ、先代プリウスではアキュームレータ油圧を使っていたのに、新型プリウスではペダル油圧に変えたのか?
- それは、ブレーキングの際に増圧デューティ制御弁から生じる騒音・振動を低減させようとしたからでもある。(先代プリウスでは高価な増圧リニア制御弁を各車輪ごとに使っていたが、新型プリウスではコストダウンのために安価だがノイズの大きい増圧デューティ制御弁に一部変更している)
- 先代プリウスに比べて新型プリウスではペダル油圧の特性が強化されており、モーターとポンプを使わなくても、ペダルの踏み力でブレーキを動作させやすくなった。
- これは、先代プリウスでは電源が故障するとブレーキが効かなくなるときの対策として予備電源のキャパシタを載せていたが、新型プリウスではこのキャパシタもなくしてコストダウンをはかり、電源が壊れていてもペダル油圧だけで制動できるようにした。(電源が死んだときは、ドライバの踏み力でブレーキを作動させやすくなった。)
- そして、ABS動作時にアキュームレータ油圧を使うと増圧デューティ制御弁から発生する騒音や振動が目立つ(らしい)。(たぶん、ディーティ型は弁をパタパタさせる周期を変えることで制御をしているのでそのパタパタがうるさいのだろう)
- この微妙な乗り心地感を向上させるために、改善したペダル油圧を使うように制御メカニズム(ECUのソフトウェア)を変更した。
- ところが、低速で減速しているときのペダル油圧はアキュームレータ油圧よりも若干低い。(そこに落とし穴があった)
- この差がドライバに微妙な「スカッ」という抜け感を生じさせてしまった。
ブレーキ制御ソフトの改変後、ABS動作時の制御をアキュームレータ油圧に戻したことから、騒音・振動は大した問題ではなかったのだと想像できる。
99.8% の満足度を 99.9% にするというトヨタの0.1%のコストダウン、乗り心地の改善が、結果的にブレーキシステムという基本性能に問題を発生させてしまった。
コストダウンや乗り心地のよさを追求した結果、すべての機能・性能に問題がないことを精査しきれないほどシステムが複雑になってしまったといえるのではないだろうか。
コストダウンや乗り心地のよさを追求した結果、すべての機能・性能に問題がないことを精査しきれないほどシステムが複雑になってしまったといえるのではないだろうか。
不具合が発生するメカニズムは分かってしまえば簡単だが、誰かから指摘される前にこのような問題を見つけるのは至難の業だ。特に複雑なシステムでは難しい。だから、メカもエレキもソフトもできるだけシンプルな構造(アーキテクチャ)を採用した方が安全面では有利だ。
シンプルであればあるほど、テストの網羅性を高めるととができる。妥当性を確認するために時間をかければかけただけの安心につながる。しかし、システムを複雑にすると、テストのカバレッジはいつまでたっても100%になならず、妥当性確認の時間は無限に必要になる。
このような Systematic Failure を防ぐには個別最適の発想ではだめで、全体最適の発想が必要だ。
【日経ものづくり 2010年8月号 p39 図3 製品安全の方針より 引用】
明治大学理工学部情報科学科教授の向殿政男氏によれば、そもそも日本の企業は、信頼性を高めることで安全を確保しようとする傾向が強いといいう。しかし、前述の流れに従えば、そうした考え方は特に修正を迫られることになりそうだ。
「信頼性を高めることで安全を確保する」とは、製品を構成している個々の要素の信頼性をひたすら高めることによって、異常事態が発生する可能性をゼロに近づけようとする考え方である。構成要素に故障やバグがあることは前提としないので、これは「フォールト・アボイダンス」と呼ぶ考え方だという。
日本の企業はこれまで、この考え方で実績を積み上げてきた。「日本製品は壊れにくい」という評価は、まさにこのフォールト・アボイダンスを追求してきたたまものといえる。もともと日本の製造業は、欧米で確立された製品の改良設計で成長してきたという経緯がある。製品全体のアーキテクチャが所与の中、改良設計という形で信頼性を高めることに力を注いできたのは、ある意味必然だった。【引用終わり】
さらに向殿氏は、信頼性は定量的・純技術的な概念であり、技術者にとって扱いやすい指標だったことも、日本の企業がフォールト・アボイダンスに傾倒した理由に挙げる。「安全を定義するには、社会が許容するリスクとは何かといったことも考えなければならないので、どうしても哲学的な判断が必要になる。それに比べると、信頼性は技術者にとってとっつきやすい概念だった」(同氏)
だが、ソフトの役割が増すにつれ、フォールト・アボイダンスだけで安全を確保するのは、難しくなってきた。前述の通り、ソフト自体の信頼性を高めるのが困難な上、ソフトやハードといった構成要素同士の関係も複雑になっていることから、構成要素の故障やミスを認めない前提そのものに無理が生じているのだ。
そもそも信頼性(壊れにくいこと)と安全は全く異なる概念である。だが、前述のような経緯から、信頼性を高めることと安全を確保することがほとんど同じ意味になってしまっていたのである。
ソフトによって「信頼性≒安全」という認識は崩れつつある。ある意味では、本質的な安全に取り組む上で良い機会といえる。そこで重要になるのが「フェイルセーフ」や「フォールト・トレランス」といった概念だ。
フェイルセーフは、構成要素に故障やバグがあっても、安全側に落ち着くようにする設計である。例えば鉄道の踏み切りでは、遮断棒を支持する機構に何らかの故障が発生すれば、遮断棒が自重で落ちてくる。このとき、人や自動車は必要以上に足止めされるので信頼性という点では低下しているが、安全は確保できている。このように信頼性を犠牲にしてでも安全を最優先にするのがフェイルセーフとである。
ただし、製品や使用状況によって、明確な安全状態が存在しなかったり、コストなどの制約でフェイルセーフを盛り込めなかったりすることがある。その場合は、冗長化や多重化といったフォールト・トレランスを検討する。フォールト・トレランスは、信頼性を高めて昨日の継続を目指すという意味ではフォールト・アボイダンスと同じだが、欠陥やバグの存在を前提としている点が決定的に異なる。
構成要素ごとに信頼性を高めることが可能なフォールト・アボイダンスに対し、フェイルセーフやフォールト・トレランスは製品全体(システム)やサブシステムといった、大きな視点で見なければ実現できない。それには、製品開発の在り方を大幅に見直す必要がある。
日本のリスク分析の大家である向殿先生の主張が、アメリカの安全設計の大家であるナンシー・レブソン教授と根底でつながっているのはとても興味深い。
「日本の製造業は、欧米で確立された製品の改良設計で成長してきた」というくだりは、まさに目から鱗が落ちた。「だから全体最適や安全アーキテクチャの話しが通じないんだ」と思い当たるふしがある。日本の製造業の歴史的要因があるとなると、根が深いので安全アーキテクチャをシステム開発の上流で分析させるためには、攻め方を変えなければいけない。
全体最適の発想で安全アーキテクチャを考えなければ、どんなにがんばっても大きな問題を抑えきれない時代はすぐそこまで来ている。