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2009-07-26

ソフトウェアを教える学校

ハリー・ポッターの第6作『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を見た。このところ地上波テレビでも旧作を放映していたため、我が家ではちょっとしたハリー・ポッターブームになっている。

ハリー・ポッターを見ていて、ソフトウェアエンジニアもホグワーツのように魔法(ソフトウェア技術)を学ぶ学校が必要かなあ、と思った。

ソフトウェア開発というよりはプログラミングは、こもろうと思えばかなりの部分自分の中にこもって仕事ができる。自分だけの世界の中で自分だけの価値観で突き進み、たまに外界から呼ばれたら「しようがないなあ」とつぶやきながら出て行って「はいはい」と適当に対応して、また自分の世界に戻るという時間の過ごし方も可能だ。

プロジェクトマネージャ、プロダクトマネージャの立場からすると、こういうエンジニアばかりいるととてもやりにくい。Aグループが作ったソフトウェア再利用資産をBグループのメンバーに利用させるとか、AグループとBグループとCグループの共通のインタフェース仕様を共同で策定するなどといった活動がなかなかうまく進まない。

ソフトウェアエンジニアを魔法使いに見立てれば、彼らは魔法使いとしては未熟な部分があり、集団生活、集団学習の中で、設計の規範や再利用の技術や、ソフトウェア工学を学ぶ必要がある。

自分を客観視できるエンジニアは書籍を先生に見立てて、自分自身で教室を開けるので学校にいかなくても、学校に行っているかのような環境を作り出すことができるし、組織内部で教育やトレーニングの環境、システムが整っているところは心配ない。

問題はそのような環境がなく、自分の中に閉じこもろうと思えばそうできてしまうような多くのソフトウェアエンジニアはどうすればいいのかということだ。

社会人が大学院で1年くらい学べるような環境が整っていればいいが、仕事を抱えているとなかなかそうもできない。社外研修やシンポジウムへの参加はできるものの、ホグワーツのような系統だった学習ではなく断片的な知識の習得になりがちた。日科技連などの長期的な学習カリキュラムもあるが、魔法学校のように学習すべき技術が体系化されていないためどれに参加していいのか困ることもある。

産学の間で「教えて欲しいこと」と「教えること」を合意し、将来を期待するソフトウェアエンジニアを定期的に送り出して魔法(技術)を教えてくれるような、ホグワーツのような学校ができないかなあと、ハリー・ポッターのシリーズを見ながら思った次第である。

【ホグワーツのようなソフトウェアエンジニアリング学校の条件】
  • 学校の名前に権威があること。
  • 優秀な魔法使い(エンジニア)を多数輩出していること。
  • 実績のある教師を有していること。
  • 実技実習も充実していること。
  • 誰もが学びたいと思うような魅力があること。

2006-05-05

ライオンと魔女

つい最近、ライオンと魔女の映画を見た。映画が始まるやいなや目頭が熱くなってきた。なぜかというと、ライオンと魔女は少年時代に夢中になって読んだ本であり、自分の中で30年間もやもやっとした想像の世界の物語だったのに、そのもやもやが目の前のスクリーンで鮮明な映像となって再現されたからだ。

さらに、隣で10歳になる自分の娘が同じ映像を見ている。娘には何年も前にナルニア国物語の全7冊セットを買ってあったのだが、彼女はハリーポッターがお気に入りで勧めてもなかなか読んでくれなかった。それがライオンと魔女の映画化が決まり、コマーシャルが流れ始めてから本を読む気になって読破したところで、自分から映画を見に行きたいと言ってきた。(しめしめ)

娘のリクエストがきっかけということで見に行った映画の冒頭で父親の方がウルウルしてしまった訳だ。具体的には末娘のルーシーが箪笥の中のコートの束を通り抜けてナルニアの雪の世界に足を踏み入れたところ。やっぱり映像の力はすごいと思う。本は想像力をかき立てるが、映像はストレートに感情を揺さぶる。

しかし、映像による印象は非常に強いだけに、監督は原作のイメージと乖離しないような配役の人選に苦労したはずだ。全世界の子供たちが読み継いできたライオンと魔女は子供だけでなく親の方にも登場人物のイメージができあがっている。本を読んで登場人物のイメージをすでに持っている者に「あー、違う」と思わせてはいけない。そういう意味ではライオンと魔女の配役は本のイメージぴったりだった。

ライオンと魔女で一番印象に残っているのは、4人兄弟の末っ子ルーシーが半人半獣のフォーンで裸に赤いマフラー姿のタムナスさんの家に呼ばれてお茶をいただくシーンだ。タムナスさんは最初と最後しか出てこない登場人物なのだが、以前このブログでも紹介した『アメリカ人と日本人』で言うところの日本人の特徴である「やさしい一員」の性格が前面にでているキャラクターである。

タムナスさん役のジェームズ・マカヴォイは、みごとにやさしく愛嬌がありそれでいて悲しげな側面も持ち合わせた紳士のフォーンを演じている。

自分が日本人だからかどうかはわからないが、ライオンと魔女で一番気になるキャラクターがフォーンのタムナスさんなのだ。

ちょっと強引で申し訳ないのだが、『組込みソフトエンジニアを極める』の主人公、組田鉄夫のキャラクター作りのときもイラストレーターの武田亜樹さんにいろいろと注文をつけた。組田鉄夫のイメージは頑固で追求心が強くまじめな感じ。ここで人物のイメージと性格の設定がずれてしまうとすべてが台無しになってしまう。

キャラクター設定を間違うと、どんなに本の中身に納得しても違和感が残ってしまう。本に人物イラストを入れるのは諸刃の剣でもあるのだ。技術書における挿絵はそうでもないが、文学書における挿絵はその本に与える影響が非常に大きいと思う。

ライオンと魔女では、原作の挿絵にあるタムナスさんよりもジェームズ・マカヴォイが映画で演じたタムナスさんの方がより原作のタムナスさんの性格をより忠実に表していたかもしれない。