2008-10-28

リーダーになるための扉を開く

ある雑誌に、米国シリコンバレーを中心に経営コンサルタントとして活躍するグローバル・マネジメント・プログラム(Global Management Programs=GMP) の講師である、Kimberly Wiefing 氏のインタビュー記事が載っていた。Kimberly Wiefing 氏のリーダーシップに対する考え方の一部を見ていただきたい。
Opening the Door

Interviewer: A lot of people will say that you’re either born to be a leader, or you’re not – that if you don’t already have the aptitude for it, you’ll never gain great leadership skills. What do you think about that?

インタビュアー:人がリーダーになるかならないかは、生まれつき決まっている、と言う人は多いと思います-もともと、リーダーとしての適性を持っていなければ、その後もリーダーとしての優れた能力を身につけることはないだろう、と。そうした意見についてどう思いますか?

Kimberly Wiefling: I totally disagree. I think anyone can be a leader if they care about something more than their comfort, if they care about something more than the approval of other people. You may see somebody who’s very quiet, who does not seem to be a great leader. But if you find something they’re passionate about, something that are willing to do something about to make a difference, they will suddenly become a much better leader.
Leadership is not about confidence. Many leaders are afraid. Many leaders are nervous or anxious or worried because they may fail. Leadership is about continuing in the face of fear of fear and being committed to your goals, even if you’re afraid, even if you are worried that you may not succeed or other people won’t like it, because you care more than about the goals than the approval of other people and your own comfort.
I have seen leadership in many faces – every different size, shape, culture, age, many different kinds of people in the right circumstances demonstrate leadership. My job is to open a door and say, “Would you like to step through the door of becoming a great leader?” Each person must make that choice. Everybody is capable of making choice in the right circumstances.

キンバリー・ウィーフリング:まったく賛成できませんね。自らの快適さや、他人からの賛同以上に大事だと思えることがあれば、誰でもリーダーになれると私は思います。とてもおとなしくて、優れたリーダーになりそうには見えないような人もいるでしょう。けれども、そうした人が情熱を注げること、変化をもたらすためにしてみようと思えることを何か見つけてあげれば、突如として格段に優れたリーダーになるはずです。

リーダーシップというのは、自信があるかないかではありません。多くのリーダーは恐れを抱いています。失敗を恐れて緊張したり、不安になったり、心配したりするリーダーは恐れを抱いています。失敗を怖れて緊張したり、不安になったり、心配したりするリーダーは大勢います。リーダーシップとは、たとえ恐くても、うまくいかないかもしれない、ほかの人が気に入らないかもしれないと心配でも、恐怖心に負けずに進み続け、目標達成のために力を尽くすことなのです。それは、他人の賛同や自らの快適さ以上に、目標を気に掛けているからです。

私は、さまざまな人の顔にリーダーの資質をみてきました-体格も体型も文化も年齢も異なる、実にさまざまな人々が、しかるべき状況でリーダーシップを発揮しているのです。私の仕事は、扉を開けて、「優れたリーダーになる扉の向こうに足を踏み入れてみませんか?」と言うことなのです。一人一人がその選択をしなくてはなりません。誰でも、しかるべき状況でその選択をすることができるのです。
キンバリー・ウィーフリング氏の発言で考えさせられるのは、リーダーシップとは自信があるかないかではなく、「たとえ恐くても、うまくいかないかもしれない、ほかの人が気に入らないかもしれないと心配でも、恐怖心に負けずに進み続け、目標達成のために力を尽くすことなのです。」と言っている点だ。「他人の賛同や自らの快適さ以上に、目標を気に掛けているからです。」というところにハッと気づかせてくれるものがある。

人間、どうしたって他人の賛同や自らの快適さに流されてしまいがちだ。目標に対して障壁があると、無意識に回避したいと考えてしまう。しかし、「優れたリーダーは失敗を怖れて緊張したり、不安になったり、心配したりしながらも、目標達成のために力を尽くす」とキンバリー・ウィーフリング氏は言っている。

「たとえ恐くても、うまくいかないかもしれない、ほかの人が気に入らないかもしれないと心配でも、恐怖心に負けずに進み続けることがリーダーシップだ」と言っている。

これを日本人できっぱりと言えるひとは少ないと思うし、まして、リーダーを育成するためのトレーニングをすることができる人もほとんどいないと思う。

創造性と個性にあふれた強い個人」を育む環境を持ったアメリカ人だからこそ言えることかもしれない。

でも、たとえ恐くても、「うまくいかないかもしれない」、「ほかの人が気に入らないかもしれない」と心配でも、恐怖心に負けずに進み続けなければいけないシチュエーションは、社会生活をしている上では少なからず発生する。そこを目標を見据えて乗り切ることがく必要なんだと思う。

その前提条件として、仮に壁を乗り越えられなかったとしても、進むべき道の先にある目標だけは常に認識していなければいけないのだと思う。目標を見定めることもできずに、自らの快適さや、他人からの賛同に流されているようではいけない。
 

2008-10-18

USとJapanの文化の違いと商品品質との関係

先日、日科技連主催の第15回 品質機能展開シンポジウムに参加してきた。

品質機能展開(Quality Function Deployment)は日本初の顧客の声を製品やサービスの開発につなげるための手法で、 新製品開発の現場など、多くの「ものづくり」の現場で国内・海外問わずに活用されている。シンポジウムでは QFD の生みの親である赤尾洋二先生も出席されていた。

シンポジウムの特別講演で GD3 コンサルティング代表/JMAC GD3 センター長 の吉村達彦氏の話を聞くことができた。(吉村氏の本:トヨタ式未然防止手法GD3―いかに問題を未然に防ぐか


吉村氏はトヨタ自動車に約30年務め、その後九州大学教授を経て、GM(General Motors)の Exective Director Reliability & Durability Strategy の仕事をし、GD3コンサルティング代表に至る。

そして、GMに3年間いてそのときに感じた日本とアメリカの文化の違いを表したのが冒頭の図である。

この図はこれまで自分が抱いていた日本人とアメリカ人の違いを端的に表していたのでここに掲載させてもらった。

この図が意味するところは、アメリカ人(吉村さんの経験ではGMのこと)はルールと責任はしっかりしており、システムやツールを構築することには長けているが、品質を心配する意識が小さい。一方、日本人(吉村さんの経験ではトヨタのこと)は、品質を心配する意識はとても大きいが、ルールや責任を重要視する姿勢は小さく、システムやツールの構築もアメリカほどは進んでいない。

どちらもバランスがいいとは言えないという話だった。

特に、アメリカのカルチャーの問題点として次のことを指摘されていた。

【アメリカのカルチャーの問題点】
  1. 明確に責任や役割を定義すると・・・品質は他の人の仕事だと思ってしまう。
  2. すばらしい支援システムを作ると・・・現地に行って現物を見て考えたり、心配したりする必要はないと思ってしまう。
したがって、品質を心配する意識をもっと大きくしなければいけない。製造業はエンジニアとテクニシャンの創造的技術・技能を製品に付加して利益を得ている業種であり、創造的技術とは問題を発見してそれを製品の価値に変換する能力である。発見するということはシステムやツールでできるものではなく、人間の行為であり、製品に価値を付ける上で意識がもっても大切であると説明されていた。

システムやツールで問題点を発見しやすくすることはできるけれども、そこには気づきが必要であり、気づくためには品質を心配する意識が必要であるということだ。

また、吉村氏は50%の品質を90%に上げること、すなわちだめな品質を良くすることと、90%の品質を99%にすること、すなわち良い品質をもっと良くすることは違うと言っている。

50%の品質とは問題は見えているが、積極的に解決をしていないし、再発防止もしていない状態で、これを解決する過程は知識も知恵もつくし、おもしろい。

また、責任体制やシステムを強化すれば、問題を積極的に解決するようになり、再発防止の体制もでき90%のレベルにはなるが、90%の品質を99%に引き上げるには品質を心配する意識が必要だというのだ。

実際、GMが作る自動車の品質レベルはクレームの件数で言えば日本車と変わらないレベルまで来ているという。しかしながら、顧客の信頼や安心の意識はまだ日本車のレベルに達しておらず、顧客はわずかか品質の差やデータ以外の事実や評判(イメージ)に反応するのだそうだ。

ようするに品質でお客様の信頼を獲得するためには、そこそこの品質(90%の品質)ではダメであり、99%の品質を目指さなければいけない。

吉村氏の話を組込みソフトウェアの世界に展開して現状を分析すると、次のようになる。
  • 日本の組込みソフトエンジニアは品質を心配する意識を武器にして製品のソフトウェアの信頼性を高めていた。
  • このときルールや責任は曖昧なまま。(「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という日本人の特長を活かしている)
  • システムやツールもアメリカほど発達していない。
  • 「品質を心配する意識」を糧にして、繰り返し修正を行いソフトウェアの品質を高めてきた。
  • ところが、ソフトウェアの規模が拡大してくると、このやり方では品質を保てなくなってきた。
  • 何が悪いのか見当がつかないので、欧米のやり方を見習おうということになる。
  • アメリカと日本を比較すると「ルールや責任」「システムやツール」が弱いことに気づく。
  • そこでアメリカ式のルールやプロセス、システムやツールを導入する。
  • そのうち、アメリカで起こっている問題「明確に責任や役割と定義すると、品質は他の人の仕事だと思ってしまう」や「すばらしい支援システムを作ると現地に行って現物を見て考えたり、心配したりする必要はないと思ってしまう」という悪いところまで導入されてしまう。
  • 結果的に、品質を心配する意識が縮小し、日本や日本人の特長が薄れ99%の品質を確保できなくなる。
こんな状態に陥っている組織はないだろうか。問題を可視化することは絶対に必要であり、それをしなければ話が始まらない。しかし、問題を可視化した後で、何かしらの気づきがなければ次のアクションを起こすことができない。多くの気づきが発生するためには、品質を心配する意識がプロジェクトメンバになければいけない。

『組込みソフトウェアの安全設計』の記事で次の図を紹介した。一番下の Safety Culture = 品質を心配する意識 がベースにないと、その上の要素は形骸化してしまうという話は今回の話に通じていると思う。

-ソフトウェア安全確保のための重要な要素-

□    Design & Verification
□□□   Methodologies & Techniques
□□□□□  Rules/Regulations
□□□□□□□ Safety Culture

※Rules/Regulations:Rules/Regulations for Safety Critical System development

2008-10-13

アメリカンなショッピングセンターCOSTCO

半年くらい前だろうか。車で30分くらいのところにCOSTCOという名のショッピングセンターができた。COSTCOのことは、数年間アメリカに住んでいた人にその噂は聞いていた。

COSTCOの特長は次のようなものだ。
  1. 会員制で顔写真入りの会員カードがないと入れない
  2. 会員になるには4000円払う。
  3. 買い物でカードを使う場合は特定のカード(基本はAmex)が必要
  4. 商品は使ってしまった状態でも返品可能。
  5. COSTCOに満足できなかった会員は会費を返してもらえる。
  6. いろいろな商品の割引クーポン券がもらえる
  7. 売っているものが安い(大量仕入れのため)
  8. 業務用と思われるような大容量の商品が多い。(例えば洗剤など)
ショッピングカートも巨大(最近は日本のホームセンターのカートも大きくなったが、それよりもさらにでかい)で、巨大な倉庫の棚に商品が山積みになっているというかんじ。

すべてがビッグな感じでアメリカンな感じがプンプン臭っている。一番日本と違うなあと思ったのは、ファストフードのコーナーだ。例えば、ホットドッグを頼むと大きな空の紙コップに紙に巻かれたホットドッグが渡される。

ホットドッグが包まれた紙を開けると細長いパンの間にソーセージだけが挟まっている。ホットドッグを買った客はこれを持ってトッピングのコーナーにいく。そこで、刻みピックルスとケチャップとマスタードを好きなだけかける。飲みのもは好きなドリンクが飲み放題だ。

雰囲気はまさにアメリカなので、その雰囲気を楽しみたい人には楽しいひとときになるだろう。

アメリカで暮らしていた人に聞くと、アメリカではこのCOSTCOの手厚い保証のしくみを悪用して、使用してしまった水着をいろいと文句を付けて返品してしまうような人もいるそうだ。年会費4000円の中には、このような返品補償費も含まれているということだろう。

ちなみに、自分がCOSTCOで買ったのは、ホットドッグだけで商品はひとつも買っていない。理由は売っているものの量が多い、大きいので多くの場合買いだめするような感じになるのだが、比較的安い小売りスーパーが家の近くにあるので、買いだめするよりも、少しずつ買う方がライフスタイルに合っているからだ。

例えば、COSTCOに売っている冷凍ピザは何しろ巨大だ。近所の人たちを呼んでパーティでも開くときにはぴったりだが、家族だけで一回だけ食べたいときには多すぎる。

COSTCOを見てふと思ったのは、アメリカのライフスタイルと日本のライフスタイルはやっぱり違うのだなあということだ。COSTCOのようなアメリカのスタイルをそのまま持ってきて日本のスタイルに合わせないという方法は確かに日本の市場へのインパクトが強く話題を呼ぶし、昔アメリカに住んでいたような人には郷愁を呼び、他にはないということからファンもできると思う。

でも、やっぱりその地で多くのユーザーに受け入れられるためには、その土地のマーケットニーズを取り入れる必要があるのではないかと思う。COSTCOが高付加価値の商品を専門に扱っているのならいいが、基本的には安売りで勝負しようとしているので、それなら安い商品を(大量に)買いたい日本の消費者のニーズに合わせる必要があるのだと思う。

ということで、4000円出して作った会員カードを返却しようかどうか今考えている。