2007-10-27

活用力がないのは大人も同じ

今年4月に小学6年生と中学3年生およそ220万人を対象に、国語と算数・数学の2つの教科で行われた全国学力テストの結果が報告された。

算数では左図のような地図上にある長方形と平行四辺形の2つの公園のどちらが広いかを説明させる問題の正答率が最も低く、5人に1人の18%にとどまった。単純な平行4辺形の面積を求める問題の正答率が96%だったことと比べ、基礎的な知識を日常の場面で具体的に活用する力が不足している実態が浮き彫りになっている。

公式に当てはめるだけの問題なら96%の子供が解けるが、公式をどこに使うべきか考える必要のある問題にすると正解率が18%に落ちる。

公園の問題の解法は長方形は縦×横で、平行四辺形の面積は底辺×垂直方向の高さで計算し、計算した面積を比較することなのだが、いつもは図形のすぐ脇に書いてある長さがこの問題ではちょっと遠いところに書かれている。長さを平行移動して平行四辺形の底辺と垂直方向の高さがどれに当てはまるのか考えないといけない。

この問題の点数が低い(=活用力がない)原因は、子供にあらかじめ答えが決まっているペーパーテストばっかりやらせているからだと思う。

この公園の面積を比較する問題も、公式を使った応用問題のテストを山ほど実施すれば解けるようになるはずだ。人間の記憶のメカニズムを考えればそれはうなずける。でも、それはあくまでも記憶をたよりにした問題解決であり、記憶の引き出しの中にない問題を解決することはできない。

短い時間、たとえば90分とか、4時間とかいった限られた時間の中で、テストの点数を高くするには、早く正しい答えを見つけるしかない。この記憶にたよった問題解決方法だと問題を早く解けるようになるが、たくさんパターンを覚えなければならない。一方、記憶の引き出しにはパターンがそれほど蓄積されていなくても、対象となる問題について考えて考えて考える問題解決方法なら、時間はかかるがいろいろな問題に対応することができる。平行四辺形の面積を計算する公式を知らなくても、その公式さえ思いつくことも可能だろう。前者の記憶をたよりにしてパターンの中から正解を見つける方法だと、記憶の中に今回のパターンらしきものがないとすぐにあきらめてしまう。その問題に時間をかけているより、より多くの別の問題を解いた方がテストの点数が高くなるからだ。

これを10年以上訓練してきた子供が大人になってエンジニアになると、長期的なレンジに立った問題解決能力の低い技術者になってしまう可能性が高い。この近視眼的な問題解決しかできない、解決のパターンが記憶にないとすぐにあきらめてしまう技術者はカイゼンが苦手だ。今そこにはない正解のパターンを自らが作り上げるということができない。

大学生の場合、卒業論文や修士論文などが長い時間をかけた問題解決の練習になると思うが何しろそれ一回限りだとまったく訓練が足りない。あるテーマに対してレポート提出を要求する方法だって、1分でも早く終わらせるために google で検索してコピペで終わらせてしまう。

だからこそ、今大学の教育で見直されているのがPBL(Project Based Learning)なのだろう。プロジェクトが達成すべき目標に向かって、長い時間をかけて解決を見いだしていくという学習方法だ。

活用力が下がっているのは、簡単に言えば「考えること」が不足しているのだと思う。ひとつのテーマに対して、考えて考えて考えて、いろいろなアプローチで考えて、出した答えの根拠を明確にしていき、他の問題にも活用できるかどうかをまた考え体系化していく。この訓練が必要だ。

ちなみに、そのようなアプローチで考えを体系化した人は、その知識を論文に書いたり、書籍にしたりする。そのような人達はもれなく「考える人」である。

そして、先人の知恵であるソフトウェア工学を自分の現場に適用しようと考える技術者は、考えを体系化した人ほど「考える人」である必要はないが、そこそこ「考える人」になっていないといけない。

前述の記憶をたよりにしてパターンに当てはめることしかしない人は、先人が体系化した知恵が自分の現場の問題にピッタリ当てはまっていないとすぐにさじを投げる。そこそこ「考える人」は、先人がなぜそんなことを考えたのかを考えたりしながら、どうやって自分の現場に応用したらいいのか考えを巡らすのだ。

果たして、みなさんは常日頃簡単には答えのでない問題について考える習慣を持っているだろうか?自分は、このブログに記事を書くことでその訓練をしている。

NASAゲームという、考えを巡らすのにぴったりの問題があるので、それを紹介して今回の記事を終わりにしたい。

「月で遭難した時に何を持っていくか?」
あなた達は月旅行宇宙船のメンバーです。計画では"明るい方の月面上"で迎えに来る母船とランデブーすることになってました。ところが、あなた達の乗った宇宙船が機械の故障で着陸予定地点(母船とのランデブー地点)から、"200キロメートル"離れた所に不時着してしまいました。

あなた達は損害を免れた品々のなかから、必要な物を選んで、月面上を200キロメートル移動し、母船まで辿り着かなければなりません。

と、いう中で、課題は「残された携帯可能な品々である"下の15品目"に、その必要度(重要度)に応じて順位をつけなさい。」というものです。

携帯可能な15品は次の物です。[ ]の中に優先順位を書いてください。

[ ] マッチとマッチ箱
[ ] 宇宙食(月面移動中でも摂取可能)
[ ] ナイロンのロープ15m
[ ] パラシュート(地球に帰る時に開く)   
[ ] ポータブルの暖房機(月面でも使用可)
[ ] 45口径のピストル2丁
[ ] 粉乳 1ケース
[ ] 100ポンドの酸素入りボンベ2個。
[ ] 月から見た星座図。
[ ] 救命いかだ ガスボンベ付(海上へ着陸したとき使う)
[ ] 磁石のら針儀。
[ ] 5ガロンの水。(補給可能)
[ ] 発火信号(月面でも使用可)
[ ] 救急箱。(応急用のテープやビタミン剤、注射器等入り)
[ ] 太陽で作動するFMの受信機。
ちなみに、この問題は個々に考えた優先順位を複数人で付き合わせてコンセンサスを得る訓練のためのものだが、必ずしも答えが一つではない問題にたいして、いろいろなシチュエーションを考えながら自分が考えた優先順位の根拠を明確にしていくという過程は、「考える人」になる訓練にもなる。
 

2007-10-19

マーケティングと商品コンセプト

日経ビジネスオンラインに「ハンズは30年前からロングテールだった!」という和田けんじさんの記事が載っていた。

ロングテールとは簡単に言えば、それほど売れ筋ではない商品でもインターネットのようなバーチャルストアーで扱うことで、ながーい期間棚に陳列しておけば、トータルで十分に儲かるということだ。需要曲線が長い尾を引くことからロングテールと呼ばれる。

さて、和田けんじさんは16年間東急ハンズに勤めた経験から、マーケティングの考え方について記事を書いている。

【「市場調査が個性を殺す」より引用】

 企業は、市場を調査し需要を確認してから店舗を展開します。需要が存在しないところに大切な資金を投入したくありませんから、「顧客はいるのか」「利益は見込めるのか」しっかり調査します。

 しかし、大抵の企業のマーケティングの結果にそれほどの違いはありません。その結果を基本に店作りをするわけですから、名前が違うだけで、同じような品揃えの、同じようなコンセプトのお店ばかりになってしまいます。

 これでは、消費者にとって魅力のあるおお店にはなりません。

【引用終わり】

東急ハンズは言わずと知れた、売れ筋のみに固執せず、豊富かつ専門的に商品を展開する店で、現在のネット通販に見られるロングテールビジネスを30年も前から店頭でやっている。

和田けんじさんは15年前に、バス・トイレタリー用品の担当だった時、バス用品の売り上げの90%以上を占める大定番のプラスチック製の製品とは別に高価な上に使わない時は日陰干しにするなどしないと、すぐカビが生えたりヒビが入ったりする檜の風呂椅子・風呂桶・ひしゃく・石鹸台・湯かき棒を仕入れたそうだ。

プラスチックの風呂椅子が高くても2000円くらいなのに対し、檜のそれは1万円を超えていた。今でこそ、バスタイムを楽しもうという提案も珍しくないが、「オーガニックブーム」でも「癒やしブーム」でもなかった頃に、そうやすやすとは檜のバス用品は買ってもらえなかった。

売れ筋を後ろに下げて、この檜シリーズを棚の一番目につくところに陳列までしてもすぐには売れなかった。それでも、上司は、そんな売れない檜シリーズの展開をやめろとは言わなかったそうだ。

むしろ、品物の良さをすぐ理解し、慈しむように眺めては、「買っていただけた?」と目を輝かせて毎日のように聞いてきたとのこと。

そうこうするうち、次第に商品の良さが理解されるようになり、結果的には大変多くの客様にご購入いただくことができた。

当時の和田さんの考えは、プラスチックという品揃えに物足りなさを感じ、せっかくの一日のリラックスタイムを、もっと楽しんでいただきたい。何か、もうひとつお風呂に入る時間を豊かな時間にできるものはないかというものだった。

今日のブログのテーマはこの話から学ぶ「組込み機器開発のマーケティングと商品コンセプト」についてである。

和田けんじさんは「市場調査が個性を殺す」と書いているが、組込み機器開発ではものを作ることから始まるので、最初から市場で売れ筋の他社製品のマネだけすることは少ない。

多くのメーカーは(商社ではないので)商品の仕入れ方で独自性を出すのではなく、機能や性能で独自性を出すことを考えている。もっとも安易な開発手法として、市場で売れ筋の商品とまったく同じ機能でコストを安く、販売価格を下げるという戦略はあるが、その方法はアジア諸国と勝負できないし、人件費が高くなってしまった日本では利益がでないのでもう誰もやらない。

そうなると、次に考えるのが売れ筋の他社製品にプラスアルファの機能を付けて、カタログスペックで機能や性能を表にしたとき一つだけ抜きんでるようにするという作戦だ。これを繰り返し行くと同じ市場に同じような商品を投入するA社、B社、C社、D社が次々に同じことをするので、機能比較の表がどんどん長くなってくる。

この安易な商品戦略の考え方(戦略と呼べるようなものではないが・・・)は、日本の組込みソフトエンジニアに長い間習慣として染みついてしまった試行錯誤・付け足しのソフトウェア開発のスタイルにベストフィットする。

商品群を何世代にも渡って、機能を付け足し続け、ユーザークレームを払拭するように改善し続ける。この取り組みは一見顧客満足を高める方向にしか進まないように見えるが、実はそうではない。

デメリットは2つ。

ユーザーサイドのデメリットは、本当に欲しい機能以外の機能がたくさんついていて使いこなせなくなるというデメリットだ。使わない機能は放っておけばよいという考え方もあるが、使わない機能のユーザーインターフェースが本当に使いたい機能の操作を迷わせることも多々あるのでそう簡単ではない。

普通に考えれば商品に機能を追加していけばコストが高くなるはずだが、ソフトウェアで機能を追加していく場合、材料費アップにはつながらず開発費だけがアップするので、開発費のアップぶんをエンジニアのオーバーワークであらかたカバーしてしまえばメーカーサイドの痛手は少ない。

となると、メーカーサイドのデメリットは、ソフトウェア資産の再利用性の低下だろう。機能を付け足し付け足ししていくということは、すなわち明確な商品コンセプトがなく、長期的な再利用戦略がないままに最初に考えたアーキテクチャを引きずりながら、だましだまし進んでいくということになるため、結果的に再利用資産を中心に派生開発を行うことができない、もしくは難しい。

ようするに、売れ筋商品を思い浮かべてプラスアルファする、そのとき流行のデバイスを使ってみる、といったそれほど頭を使わないマーケティング、商品開発を続けていると、顧客満足も高まらない、開発効率も上がらないという悪循環の道に入り込んでいく可能性が高い。商品の外見を変えると一瞬、市場やユーザーも振り向くが、本当に使い勝手がよい商品でないと支持が長続きしない。長続きしないから、また短期間に付け足し商品を開発しようとする。

このような悪循環から脱出するには、「プラスチックという品揃えに物足りなさを感じ、せっかくの一日のリラックスタイムを、もっと楽しんでいただきたい。何か、もうひとつお風呂に入る時間を豊かな時間にできるものはないか」というユーザーサイドに立った商品コンセプトを打ち立て、そのコンセプトを開発の最初から最後まで貫くことが必要だ。

コンセプトを明確にして商品開発を行うのが得意なのは食品や生活用品の開発者だろう。商品コンセプトの善し悪しが売り上げに明確に反映するような商品の場合、自ずと商品コンセプトの重要性は開発チームに伝わる。

ところが、組込み機器、組込みソフトウェアの開発には商品開発に多くの知識・技術が必要なため、商品コンセプトよりもどうやって機能や性能を実現すべきかという方法論の方に技術者の興味が向かいがちだ。しかし、組込み機器の開発では制約条件と機能・性能とのトレードオフが必ず発生するので、商品コンセプトが明確でないと開発チームの方向性が右に左に揺れて、大きなソフトウェアの仕様変更が何回も発生してしまう。

自分のスキルを駆使して機能や性能を実現することに生き甲斐を感じている組込みソフトウェアエンジニアにとっては、右に左に揺れる仕様変更さえ「やったるぜ」と張り切って取り組む者もいるだろう。

でも、その付け足しアプローチを続けていると、開発効率は上がらず、ソフトウェア品質は下がり、ユーザーにも「使えない」商品になってしまう。

だからこそ、組込み機器開発者は「プラスチックという品揃えに物足りなさを感じ、せっかくの一日のリラックスタイムを、もっと楽しんでいただきたい。何か、もうひとつお風呂に入る時間を豊かな時間にできるものはないか」といった視点を持つべきなのだ。

残念ながら、このことはどんなソフトウェア工学の本を読んでも書いていない。(と思う)

でも、ものづくりに生き甲斐を感じたい=組込み機器を使ってくれるユーザーの満足を高めたいという気持ちと、そのためには何をすればよいかということをよくよく考えていけば、自ずと商品コンセプトを明確に持って、ソフトウェアシステムのアーキテクチャを考え、再利用資産を何にすべきか明確にすることの重要性が分かると思う。

組込みソフトエンジニアの盲点は、技術やスキルを高めることに夢中になって、顧客満足の高い商品を作るために必要なことは何かを日々考えることを怠ってしまうことだと思う。

その危険を回避するためには、自分が作っている商品がエンドユーザーにどんな風に受け入れてもらえるだろうかということをいつも気にしていることが大事だ。そのことをいつも心に留めておくと、不思議と身につけるべき技術や迷ったときのトレードオフの選択の方向性が見えてくる。

そのドメインのエキスパートになるということは、要求を実現する技術を持つことも大事だが、自分の成果物がお客さんに喜んでもらえるはずという自信と、本当にそうだろうかかという不安と緊張の両方持ちながらものづくりに邁進することなのだと思う。

2007-10-13

顧客満足と価値

10月11日WBCフライ級タイトルマッチで内藤大介と亀田三兄弟の二男亀田大毅の試合が行われ、チャンピオンの内藤大介が初防衛を飾った。亀田大毅は試合中、頭突きやサミング(グローブの指を相手の目に入れる行為)、太ももを狙ったローブローなど反則行為を連発。12回には相手を投げるレスリング行為を2度繰り返し、計3点を減点された。

でも、この試合ファイトマネーは亀田大毅がチャンピオン内藤大介の10倍も高いのだという。悪名高き亀田親子が話題を作り興業を成功させたからだというのだ。

この話を聞いて、顧客満足と価値は必ずしも一致しないことがるのだと思った。チャンピオンの内藤大介が名も知れぬ外国人ボクサーと試合をしてもこれだけ注目を引くことはなかっただろう。悪役の亀田親子が世間の注目を集め興業として利益を生み出した。結果的に興業としては顧客満足(観客やテレビの視聴者を引きつけたという意味で)が高かった。

しかし、この試合「価値」の高い試合だっただろうか。歴史に残る名勝負だったろうか。もちろん、その答えはNOであり、後味の悪い(よい意味で)語り継がれることのない試合だった。

そう考えると、ものづくりで生きている者にとっての顧客満足は持続性のあるものでなければいけないことがわかる。一回こっきりの成功は継続的な価値につながらない。組込み製品は継続的に使われるため、買ったそのときに満足してもらっても商品を使うこむうちに「ああ、やっぱり使いにくいなあ」と思われると次にその製品群や場合によってはそのメーカーの商品すべてがその消費者に選択されない。組込みの世界では継続的な顧客満足がブランドととしての価値を生むのだと思う。

継続的な顧客満足と価値を生み出す商品開発を続けていなければ、顧客や市場に見放される羽目に合う。製造年月日を偽装した赤福しかり。
 

2007-10-08

エンジニアの品格

今回は時事ネタを2つ。

その前に、WEBブラウザでこのブログを見ている人はこのブログサイトの右上の「あなたのプロフィールは?」の投票に是非参加していただきたい。このブログサイトを最初に作ったとき、できれば読者との双方向コミュニケーションを実現したいと思っていた。でも、実際にはたまに少数の方がコメントを書いてくれるとき以外はほとんど一方向の情報発信となっている。そこで、せめてどんな人がこのブログを見てくれているのかをリサーチして、その結果を見ながら話題を変えていきたいと考えている。(Let's vote!)

【エンジニアの品格】

さて、一つめの話題。先週、時津風部屋の序ノ口力士、時太山=当時(17)、本名斉藤俊さん=がけいこ後に死亡した問題で日本相撲協会が時津風親方を解雇した。

この事件でTVやラジオやインターネットでいろいろな方がコメントを寄せているが、どれにも「品格のある行動だったかどうか」という視点がないのが不思議だった。

朝青龍が出場停止になったとき、世間はあれだけ「横綱の品格」のことを話題にしておきながら、相撲部屋での親方や兄弟子達の振る舞いには品格を問わないのか? 親方や相撲部屋での力士達の行動に品格があれば、今回のような制裁と思われる行動は起こらなかったのではないだろうか。

厳しい稽古、時には竹刀で叩くような行為は力士を鍛えるための叱咤激励か、制裁行為かどっちにも取れるように思うが、叩いている方に品格があるかどうかで、強くなるための試練か、制裁行為かある程度判断できると思う。開かれた相撲部屋では近所の人たちが稽古をのぞきに来ることがしょっちゅうあるそうだ。このような相撲部屋では、近所の人たちの目が暗黙に親方や力士達の行為に品格があるかないかをチェックしていたのではないだろうか。いじめや制裁は閉鎖された空間で起こりやすい。でも、品格のある人たちであればいじめは抑えられる。

品格のない相撲部屋から品格のある横綱が誕生するとは考えにくい。もしも、それが実現したのならその横綱の品格は表面的に繕っているもののように見える。日本相撲協会は今後相撲部屋にも品格を求め、品格のない部屋は相撲の世界から去ってもらうと宣言して欲しい。そこまで言って品格を持った行動が大事だというのなら、横綱に品格を求めるという話にも自然に同意できる。強くなるまではどんな行動をしてもよく、横綱になるときだけ品格を求めるというのでは説得力がない。

似たようなシチュエーションが組込みソフトの世界にもあるように思う。組込みソフトの世界もプロジェクトリーダーの進め方によっては閉鎖された環境になりがちだ。ハードウェア出身のプロダクトマネージャからはソフトウェアの開発はブラックボックスに見えるので、ソフト屋さん達が何をやっているのかよく見えない。成果物もソースコードだけだといいのか悪いのか分からないから見る気にもならない。

かくして、ソフトウェアプロジェクトは閉鎖された空間となり、品格のないエンジニアがいじめを始めたりする。ターゲットになりやすいのは、立場上反論しにくい協力会社だ。メーカーやクライアントサイドの仕様が曖昧であることが原因で詳細仕様の勘違いやバグが発生しても悪者はソースコードを納品した協力会社の人間にされたりする。

メーカーサイドの能力のない発注者が自分自身の問題点を棚に上げて開発の遅れや品質の低下を協力会社のせいにするのを見ると、無性に腹が立つ。こういうときに「こいつはエンジニアとしての品格がない」と思う。相撲における品格と同じで、品格のあるエンジニアが他人を責めるときには、厳しい言葉であっても責められた方も周りも納得がいく。しかし、品格のないエンジニアが他人を責めるときの言葉は、誰が見てもいいわけがましく、自分の失敗を他人に押しつけているように見える。

エンジニアの品格とは、技術的な裏付けに基づいた言動・行動、長期的展望、リーダーシップ、揺るがない信念のようなものから生まれるのだと思う。自分の成果が外に見えにくいだけに、エンジニアとしての品格のある言動・行動がソフトウェアエンジニアにも求められるのだと感じる。

日本人が『あたたかい人間関係の中のやさしい一員』という特徴を持っている中で、組込みソフトエンジニアやソフトウェアプロジェクトはエンジニアとしての品格を堅持しておないと、目的を失い、ともすれば弱い者いじめをする集団と化してしまう危険性があるように思う。

日本人が欧米人のように、明確な責任と権限を持たず、曖昧な上下関係の中で、品質の高いものづくりができるのは、「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という気質にエンジニアとしての品格がプラスされているからではないかと感じる。

【携帯電話のソフトウェアの規模が拡大したカラクリ】

2つめの話題。auブランドの携帯電話を展開するKDDIが、携帯電話機の大幅な値下げ原資となっている「販売奨励金」制度を適用しない新料金プランを導入するとのこと。

KDDIが新プランを導入するのは、総務省が携帯各社に対し、2008年度をめどに、販売奨励金と通話料を分離し、利用者が、コスト負担を判断できる料金体系を設けることを要請したためだ。

販売奨励金の存在は前々から知っていたが、このところの各方面からの報道でその金額が4万円にもなるという話を聞いた。ようするに、2万円で売っている携帯電話の本体価格は本当は6万円、3万円の携帯電話の価格は7万円だったということだ。

この話、携帯電話を製造するメーカーから見ると自分たちは希望小売価格6万円、7万円で売って欲しいと思っている商品を、すべての消費者が、頭金2万円、3万円で残りの4万円をローン契約で買ってくれていたということになる。

本当なら店頭に表示される価格は6万円とか7万円なのに、消費者は勝手に長期ローン契約にされてあたかもメーカーの希望小売価格が2万円とか3万円かのように見せかけていたということだ。今後携帯電話のキャリア各社とも KDDI と同様に、販売奨励金をなくしたプランを出してくると思う。それによって、携帯電話の本当の価格が消費者に見えてくる。

ちなみに、自分は携帯電話がもし6万円も7万円もするものだったら、購入するかどうか悩むと思う。2万円か3万円で基本機能だけの機種を探すだろう。実際、販売奨励金をなくしていく方向に動いた場合、携帯電話の市場では安い基本機能だけの機種が増えると予想されている。

このニュースを聞いたときに、日本が携帯電話の機能が異常に多く、ソフトウェアの規模が大きかった原因は「コレだ!」と思った。

ユーザーは携帯電話の価格を表面上低く見せられていたので、価格と製品の機能とのバランスが崩れていた。高機能なものがより安価に買えるので、たいして使わない機能があってもカタログスペックで他社より上回っているものを買っていた。メーカーサイドもハイエンドの機種がバンバン売れるのでお金をかけたコマーシャルを打つことができる。それによって消費者はハイエンド機種に誘導される。

ユーザーは携帯電話のラインナップの中で高機能なハイエンド機種群を見かけ上安く買っていた(買わされていた)。通常商品ラインナップの中でハイエンド機種は高価で一番出荷台数が少ないものだが、携帯電話の場合は、ハイエンド機種の出荷台数が一番多かったということになる。

そんな状態が何年も続けば、そりゃソースコードの規模も600万も700万もいくだろう。でも、その裏には販売奨励金によって見かけ上4万円も小売価格を低くするカラクリがあった。

もしも、最初から端末の価格表示が実勢にあったものであれば、携帯電話におけるソフトウェアの規模の爆発はこれほどではなかったのではないか。携帯電話下請けソフトウェアエンジニアが女工哀史のようになることはなかったのではないだろうか。

ただ、携帯電話キャリア各社のこの作戦で、高機能な携帯電話が日本中に短期に爆発的に普及し、携帯電話が技術革新を生んだのも事実だろう。携帯電話のおかげで、高密度、大容量のバッテリや、小型振動デバイス、高精細カラー液晶などが開発されたし、ソフトウェアの世界でもオブジェクト指向設計の普及を後押ししたのではないかと思う。

でも、この異常状態がこの後解消されていけば、市場やユーザーは価格と機能のバランスを考えて携帯電話を購入するようになる。使わない機能が満載のかっこいい機種ではなく、自分の収入に見合った価格の中から必要な機能が入っている機種を購入するようになる。

携帯電話メーカーの売れ筋商品はハイエンドからミドルレンジ、ローエンドの機種に移ってくるため当然利益も減ってくる。商品群の中で共通なソフトウェアコア資産を再利用するソフトウェアプロダクトライン戦略も組織的に取り組んでいかないと利益を維持できなくなっていくだろう。

これまでカタログやCMに踊らされていた消費者は、財布の中身を気にしながら本当に自分に必要な機能は何かをじっくり考えるようになる。そして、そのニーズをいち早くくみ取ってそこにターゲットを合わせ、その機能や性能の価値に消費者が納得できる価格を付けることができたメーカーが市場で生き残るだろう。もちろん、他社にはない自分たちの得意技術をウリにできなければ差別化することはできないが・・・

そう考えると、携帯電話業界における異常なほどの技術者の残業、ソフトウェア規模の急激な拡大、人材不足は、消費者がそうとは知らずに高い携帯電話を買わされていたためだと考えられないだろうか。いびつに形成された市場が生み出した負の側面ということだ。

前にも書いたけれど、海外でNOKIAの携帯電話をレンタルしたりすると、本当に基本的な機能しか入っていないことに気がつく。いくら日本人が新しもの好きだからといって、みんながみんなこんなにたくさんの機能が付いている携帯電話を持っているのは絶対異常だと思っていたが、今回の話でその裏事情が見えてきた。

メーカーは市場と製品、機能・性能とその価値を適正に把握できないと、商売に失敗するだろうし、そこにいるエンジニアもしあわせにはなれないと思う。市場やユーザーから本当に求められているものを適正な価格(開発費)で提供するためには、エンジニアは制約条件の中で何ができるか、よーく考えなければいけない。その前提が崩れると正しい判断ができなくなり、考える能力が鈍ってくる。

ユーザーニーズと商品の価値と価格、この関係をきちんと分析できた者が、その市場で成功を収めることができるのだと思う。